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2011.09.10

「髑髏城の七人」を見る

劇団☆新感線2011年夏興行 いのうえ歌舞伎「髑髏城の七人」
作 中島かずき
演出 いのうえひでのり
出演 小栗旬/森山未來/早乙女太一/小池栄子
    勝地涼/仲里依紗/高田聖子/粟根まこと
    河野まさと/千葉哲也 ほか
観劇日 2011年9月9日(金曜日)午後6時開演
劇場 青山劇場 1階O列17番
料金 12500円
上演時間 3時間20分(20分の休憩あり)

 自力ではとてもチケットが取れなかったところを、あんみんさんにお声がけいただいて、チケットを取っていただいた。
 感謝します!

 相変わらずグッズが充実していて、ロビーでは、パンフレット(2500円)や、トートバッグ、手ぬぐい、Tシャツなどが販売されていた。

 終演後、小栗旬の音頭で川原正嗣氏ら9月生まれの方々のお誕生日祝いということでケーキが用意され、4人でろうそくの火を吹き消していた。
 不揃いの「ハッピーバースデイ」がなかなか良かった。

 ネタバレありの感想は以下に。

髑髏城の七人

 7年ぶりの「髑髏城の七人」は、随分と装いを変えている。
 天魔王と捨之介の一人二役がなくなり、この2人が「織田信長の影武者だった」という設定がなくなった。
 そして、何より捨之介を演じる役者が古田新太から小栗旬に変わった。これが大きい。
 どの要素が最初なのか契機なのかは判らないのだけれど、とにかく、「ワカドクロ」と言われるに相応しい舞台なのは間違いない。

 ストーリーを追っておきたいのだけれど、7年前のアカドクロとアオドクロ、さらにその7年前の「髑髏城の七人(このときは、通称はなかった気がする)と見ていて、小説版も買って読んでいるので、どうも見ながら自分で勝手に裏設定を作っていたような気がする。
 舞台上で語られていること以上に「確か、こうだった筈」というのがあって、何だか頭の中がごっちゃになって「髑髏城の七人」が膨れあがってしまい、どうもちゃんと「ワカドクロ」を押さえられていないような気がするのだ。

 オープニングはアオドクロがこんな感じだったんじゃないかなとか(確か、アオドクロも天魔王のシーンから始めていたような気がする)、極楽太夫が仲間の遊女を救おうと着物を脱ごうというシーンは小説にあったな、とか、前半は特に、ついついそんなことを考えながら見てしまった。

 小栗旬の捨之介になったことで何が一番変わったかといえば、沙霧との年齢差が狭まったことで、沙霧をあしらっているというか余裕をもってからかっていた捨之介に、少しばかり余裕がなくなっていた、逆にいうと恋愛モードが強くなっていたところではないだろうか。
 最初のうち、どことなく違和感を感じていたのは、多分、2人の間に年齢差があったときの捨之介の余裕と、今回の捨之介の余裕との間には本来は差がある筈で、でも、どうしても古田新太の捨之介が伯母-ラップしてくるところにあったのだと思う。

 「ワカドクロ」というだけのことがあって、舞台の真ん中でトライアングルを張る捨之介、天魔王、蘭兵衛の3人がいずれもヒリヒリした感じを出している。
 特に、天魔王の狂気と、蘭兵衛の頑なさは相当にパワーアップしていて、この2人でこの舞台の先の読めなさというか、不安感を十分すぎるほど煽っていたと思う。
 そしてまた、この2人が絡んだときの殺陣の美しいことと来たらない。森山未來の殺陣も、早乙女太一の殺陣も、いずれもスピード感溢れ、そして「舞」になっている。性質の違う舞が絡んで一つの殺陣を作り上げたその美しさときたら、私としては「髑髏城の七人史上最高」の称号を贈りたい。

 小栗旬の殺陣ももちろん格好良くキメているのだけれど、やはりどうしてもこの2人の醸し出す美しさには叶わない。その分、芝居というか、「捨之介であること」の迫力で押して来ていて、これはやはり、「髑髏城の七人」の舞台を成立させるためにはなくてはならない迫力である。
 最後、徳川家康から仲間達が500両をもぎ取ったとき、黙って腰を低く落とし、頭を下げている捨之介はとにかく格好良かった。
 個人的には、もっともっと古田新太の捨之介を捨てて、小栗旬の捨之介をもっと前面に押し出して来ればいいのにと思う。古田新太の舞台での格好良さは筆舌に尽くしがたいのだけれど、それはそれとして小栗旬にビジュアルの優位さは間違いなくあるのだから、強みはもっと活かさなくちゃ、と思う。古田新太の捨之介が格好いいのは、古田新太が演じる捨之介の格好良さをどこまでも追及しているからだと思うのだ。

 とか何とか言いつつ、実は、この舞台で私が一番気に入っていたのは、勝地涼演じる兵庫だったりする。一言で言うと、「うわ、ハマってる!」という感じだったのだ。
 荒武者隊の面々と軽快に見事に動きを合わせて見得を切ったり登場したり名乗ったりしているその軽みがいいなぁと思った。
 贋鉄斎を高田聖子が演じたので捨之介と組んで斬りまくる100人斬りをどうするのかと思っていたら、兵庫が代わりに刀を研ぎまくる役を果たしていて、この2人の100人斬りのシーンは、天魔王と蘭兵衛が戦うシーンに負けず劣らず格好良かった。刀を投げて交換しても全く危なげがない。
 一方で、磯野慎吾演じる兄の磯平と釜を両手に持って戦うちょっとお茶目なシーンもこなしてしまうのだから、勝地涼も八面六臂の活躍である。

 磯平といえば、この兄の磯平と、兵庫の手下である裏切り三五という、「髑髏城の七人」のメンツでもある2人は、やはり磯野慎吾と河野まさとが演じていて、この2人の味は他の役者さんにはなかなか出せない、ワンアンドオンリーの個性なんだわと思うと何だか嬉しい。
 高田聖子演じる贋鉄斎を「亡くなった贋鉄斎の妻」という設定にし、天魔王がいかにも因縁ありげな台詞を言っていたので、裏設定というのか、過去の因縁から始まる確執みたいなものが語られ、大団円のカタルシスに一役買うのかと思ったのだけれど、そこがスルーされてしまったのが残念だった。あと10分長くなっていいので、ぜひ、贋鉄斎に更なる活躍の場を付くって欲しかった。

 小池栄子の極楽太夫はやはり綺麗だ。「気っぷの良い」という言葉がまさにハマる。張りのある声もいい。せっかくなのだから、太夫が兵庫に惹かれて行く、経過は難しくともきっかけを見せてくれればもっと印象に残ったんじゃないかと思う。
 仲里依紗演じる沙霧は、もうちょっとインパクトが欲しかったと思うのだけれど、余裕のなくなった若い設定の男たちとのバランス的にはぴったりだったようにも思う。
 一つだけ文句を言うなら、髑髏城で戦うシーンのこの2人の衣装は、もうちょっとはっきりキッパリと違うムードの方が良かったような気がする。色と全体のシルエットを変えた方が華やかになったのに、と思った。7人中3人が女性ということになったので、違いを出すのが結構難しかったのかも知れない。

 天魔王と捨之介の一人二役がなくなったことで、どうやって沙霧がこの2人を見分けたというシーンを作るのかと思っていたら、捨之介に天魔王の鎧を着せて顔を隠すことで成立させていた。
 これは天魔王ではなくて捨之介だとどうやって沙霧に気付かせるのだろうと思っていたら、ひたすら「女の勘」ということになっていて、やっぱりこの2人の間の恋愛モード割合を高くしてあるんだな、と思ったのだった。
 設定としては前の「年齢差があって余裕ででも最後には恋愛モード」の方が好きなのだけれど、これはこれで「ワカドクロ」らしいと思う。

 上演時間3時間20分が本当に短く感じられて、基本ストーリーはばっちり覚えているのに、それでも先が気になってハラハラどきどきしながらがーっと集中して楽しんで来た。
 やはり「髑髏城の七人」は「髑髏城の七人」だ。
 エンターテイメント万歳! というところである。本当にスカッとした。

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