「太陽」を見る
イキウメ「太陽」
作・演出 前川知大
出演:浜田信也/盛隆二/岩本幸子/伊勢佳世
森下創/大窪人衛/加茂杏子/安井順平
有川マコト
観劇日 2011年11月22日(火曜日)午後7時開演
劇場 青山円形劇場 Hブロック19番
料金 4000円
ロビーでは、過去公演のDVDなどが販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
作・演出の前田知大がどこかで書いていたとおり、最初からSFである。
最初からSFというのは、話が進むにつれて「実は」と判明するのではなく、配られたフライヤーというのかチラシというのか、出演者や役名も載せられた紙にそもそもSFの設定説明があり、そういう「特殊な世界」であることを観客が知っていることを前提に話が進むという趣旨なんだろうと思う。
実際、この説明を読んでいないとなかなか飲み込むのは難しい。私は、ノクスになるということはウィルスへの抗体を得るということで、ウィルスで死ぬ可能性がとりあえずなくなるのだということに気付くまで結構かかってしまった。
その「説明」というのは、バイオテロによりウィルスが蔓延し、そのウィルスに感染しながらも生き延びた人々が現れる。彼らは、頭脳明晰で身体頑健で運動能力も高く、不老(不死ではないらしい)という形質を獲得する一方で、太陽の光を浴びると火傷で死んでしまうし、出生率も非常に低いらしい。
彼らは「ノクス」と自称している。
人工的にノクスになる方法も見出され、人口の多くがノクスになる一方、ノクスではない、ノクスにはならない人間たちは、ノクスからのウィルス感染することに怯えつつ、少数派となって暮らしている。
SFである。
舞台セットはかなりシンプルだし、宇宙船やら宇宙人が出てくる訳ではなく「設定」なので、やはりこの説明を先に読んでおいが方がいい。
幕開けは、回想シーンだ。
人間(とりあえず、劇中では「キュリオ」と呼ばれていたので、蔑称としての位置づけだったけれどそう書くことにする)の男が、ノクスを太陽光にさらすことで殺してしまい、その姉たちが死体を隠そうとする一方、弟を逃がす。しかし、ノクスたちの追及を恐れ、逆にキュリオの間で犯人探しが始まり、村に放火するところまでエスカレートする。
そして、物語はその10年後から動き始める。
ノクスを殺した人間を出したことから、そのキュリオの集落は一種の経済封鎖状態に置かれていたようだ。
そして10年後、その封鎖が解かれる。
同時に、ノクスになる権利を得るための抽選に応募する権利も復活したようだ。純子はもうその年齢(30歳前後がそのリミットという設定である)を超えているけれど、彼女の息子の鉄彦や、同じ集落で暮らす草一の娘の結にはそのチャンスがある。
結はキュリオたちが集まって暮らしているという四国への憧れがありノクスを拒否する感情を持っているようだけれど、鉄彦は「こんなところに閉じ込められていたくない」「学校に行きたい」と逆にノクスへの非常に強い憧憬を持っているようだ。
ストーリーをこういう風に追えないことはないのだけれど、どちらかというと、このお芝居はストーリーではなくイメージというかある状況を描くことに主眼を置いているように思う。
鉄彦と結がこの後、純子の弟が再登場し、10年前と同じことを繰り返そうとしたその姿を見て、最初の自分たちの思いとは真逆の方向に歩き出すまでを描くのだけれど、今になって思い返すと、それは、「こうならざるを得なかった」ストーリーではなく、「こういうことも起こりうる」という状況を描いているように感じられる。
ストーリーを追えるけれど何となくそれを書きにくいのは、多分、それが理由なのではないかと思うのだ。
そして、どこがどうとは言えないのだけれど、このお芝居で描かれている「状況」には東日本大震災の影が色濃く反映されているように感じられたのは気のせいだろうか。
結がノクスになることを決めた最大の契機は、純子の弟が帰ってきて再びノクスを太陽光にさらして殺そうとしたからではなく、そのことを知った父親や鉄彦が彼に対する怒りを爆発させ(その怒りの元は、草一は純子への想いであり、鉄彦は友達になったそのノクスである門番への想いであるわけだけれど)、彼女が止めたにも関わらず殴る蹴るということを止められなかったからではないかという風に見える。
その「自分を含む種に絶望して」という理由が、何だか考えなくてはいけない部分のように思える。
このお芝居の肝はここだぞ、という風に思えた。
結はノクスになることを選択し、なった途端、頭脳明晰になったというよりは、他のノクスから受けていた印象と同様にエリート意識に溢れた、ひたすら畳み掛けるように話し続ける女の子へと変貌している。
その娘と再会した草一は、男泣きに泣く。
結には、何故父親が泣いているのか、どうしても理解できない。
切な過ぎるシーンである。もっとも、私は、どうしてこうなると判っていて娘がノクスとなることに同意したのかと草一を責めたい気分だった。泣いている場合じゃないだろうというか、泣いているお前が原因の一端を担っているんだし、本当に泣くべきは、本人は気がついていないとはいえ、結だろうと言いたい、
結がノクスになることに反対していた、草一の友人であるノクスの医師は、そうして男泣きに泣いていた彼の前に土下座し、「申し訳ない」を繰り返す。
彼と、生まれたときからノクスだというある意味少数派である門番の青年だけが、やっぱりエリート意識を持ちつつも、ノクスである自分と世界にかすかに違和感を持っているように見受けられる。
そして、私としては何故ここで言う! と責めたい気分満載だったけれど、この医師は、「お前だけにいうが、ノクスは病気だ」と告げる。出生率が上がっているというのは嘘だし、太陽を克服する研究が進んでいるというのも嘘、太陽光の下に出られないノクスはノクスだけで生き延びることはできない。自分たちは夜明けを見ることは二度とない、と言う。
だから、どうしてそれを草一が承諾する前に言わないんだと腹が立つ。
そして、その友人に対して「最初からそう言っている」と返す草一もよく判らない。自分の娘の話なんだぞ、と言いたくなる。それとも、劇中のどこかで言っていたように「その方が生きやすい」ことを優先する気持ちに変わりはないということなのか。
最後、肌をさらして「ここでおまえと見る太陽を最後に見る太陽にしたい」だったか、「ここでおまえと見る日の出を最後に見る太陽にしたい」だったか、そう言って座り込んだ幼なじみに対して、草一は「迷惑だ!」ときっぱりと言い放ち、沖縄に行って自給自足の、これまで通りの生活をして行くのだと告げて去って行く。
何だかとても「もどかしい」お芝居だった。
でも、この「もどかしさ」は「やられた」ということなんだと思う。
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コメント
あんみん様、コメントありがとうございます。
うん、やっぱり引き込まれるお芝居でしたよね。
鉄彦は当選通知を破いていたけれど、「いや、抗体だけ打っておいても」と今頃になって思った私はやっぱり不純かも知れないです。
次回公演にも期待! ですよね。
投稿: 姫林檎 | 2011.11.30 22:30
こんにちは。
重かったですけど、引き込まれました。
こんなSF的なこと、どうやって思いつくのか感心します。
★ひとつだけくどかった所と、唐突だった所⇒
①エロ本のやり取りはお腹いっぱい。
②ユウがノクスになると考えが変わったのが
唐突な感じがした。
手錠を切るところ、すごい臨場感でドキドキ。
また暗く重かったのに最後のテツヒコが
当選通知を破くところで、胸がスッとしました。
きっと世の中、少しずつ良くなっていく感がありました。
イキウメ、他には無い個性が有りますね。
投稿: あんみん | 2011.11.27 10:10