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「炎の人」
作 三好十郎
演出 栗山民也
出演 市村正親/益岡徹/富田靖子/原康義
さとうこうじ/渚あき/斉藤直樹/荒木健太朗(Studio Life)
野口俊丞/保可南/中嶋しゅう/大鷹明良/今井朋彦/銀粉蝶
観劇日 2011年11月12日(土曜日)午後0時30分開演
劇場 天王洲銀河劇場 1階F列1番
料金 9000円
上演時間 3時間30分(20分の休憩あり)
ロビーでは、パンフレット(1500円、だったと思う)や、ゴッホの関連グッズなどが販売されていた。
また、銀河劇場は上演されている演目にちなんだ飲み物が販売されることが多い(全部の公演かどうかは知らない)が、今回もいくつかのカクテルが販売されていたようで、休憩時間にはかなりの行列になっていた。
ネタバレありの感想は以下に。
2009年に上演された作品の再演、と思っていたのだけれど、そもそもこの作品は1951年から劇団民藝により滝沢修主演で長く上演されていたらしい。
2009年に市村正親主演で上演され、そのときの評判がかなりよくて、僅か2年で再演ということになったようだ。シィヌとラシェル2役を演じる女優が荻野目慶子から富田靖子に変わったのが大きな変化だろうか。
残念ながら2009年の上演は見ていないので、演出が変わったのかどうかは判らない。
幕が開いて、いきなり炭鉱のストライキの話から始まったのには驚いた。
いや、これってヴィンセント・ヴァン・ゴッホの物語だったよね? 何か間違ったか? と思ったくらいだ。
市村正親も舞台上に現れないし、本当に落ち着かない時間を過ごしてしまった。
そこへ、市村正親演じるゴッホが宣教師として帰ってきてやっと安心したのだけれど、ゴッホが宣教しだったことを知らなかったので、この時点でもまだ「どうして炭鉱のストライキの話が続くんだろう?」と思っていた。我ながら間抜けな話である。
でも、この最初のシーンでゴッホが「神はいない」とほとんど血を吐くようにして言うことが、というよりも神はいないと言わざるを得ない状況がこの後のゴッホの生涯に大きな影響を与える、そういうスタンスで描かれたゴッホの物語なのだということが強烈に伝わって来た。
宣教師の任を解かれてしまったゴッホの次のシーンは、どこかの港町である。
ここでのゴッホは宣教師ではなく画家(のタマゴ)で、富田靖子演じるシィヌという女性をモデルに絵を描いている。舞台上に1/3くらい引かれたカーテンに隠れていたけれど、登場したときの彼女は上半身に何も身につけていない。でもそれが何と言うか扇情的な感じはしない。
彼女は子供が4人(だったと思う)いて、今も妊娠している。ゴッホは彼女を愛していると言い、正式に結婚しようと言い、従姉妹がやってきて彼女を侮辱すると心底怒るけれど、でもやっぱり、彼女を愛しているようには見えない。
シィヌが言っていたように「哀れみ」なんだという印象が強いのは、登場シーンの影響だろう。
それと同時に、このときから既に「自分は描かなければならない」と強く思っているし、感情の起伏は既に激しい。
それがゴッホなんだろうか。
次は一気にパリ時代に飛ぶ。
そこは画材屋兼画廊のようで、ベルト・モリゾーが絵からそのまま抜け出たような姿でいるし、豪放磊落(に見せようとしている)ゴーギャンもいる。
ゴッホの弟のテオは今もゴッホに援助し、一緒に暮らしているようだけれど、ゴッホの絵に対する異常なまでの執着心にかなり参っているらしい。
ゴーギャンはしきりと「他からの影響を素直に受け入れ過ぎている。そんな必要もないのに」と言い続ける。ぶっ飛んだ感じのゴーギャンで、ゴッホと同じく絵は売れていないようだけれど、でも、ゴーギャンとゴッホの関係は対等なようで対等ではない。
多分、それがこの後の時代への伏線である。
確か、ここまでで休憩に入った、と思う。
舞台は額縁のような四角が前面に置かれ、舞台を切り取っている。その奥に回り舞台があって、シーンの展開はスムーズである。
市村正親といえば、私の中では松たか子と並んで「一人勝ち」の役者さんなのだけれど、この「炎の人」での市村正親は全く一人勝ちに見えない。無茶苦茶にエキセントリックだし、一人でしゃべり出すと止まらないし、あまりにも熱を入れてしゃべるので何を言っているのかよく判らない、浮いてしまえばこれほど浮く役もないと思うのだけれど、何故かそういう風には見えない。
群像劇にも見えないのだけれど、でも、その感じが私には心地よかった。
休憩後は、しばらくゴッホからテオに宛てた手紙でその後のゴッホが綴られる。
額縁のようだった舞台セットはそのまま額縁として使われ、ゴッホの絵が次々と映像で映し出される。
ゴッホの描く絵が明るくなったのと反比例するように、ゴッホの病は進んでいるように見える。
アルルでゴーギャンと共同生活を始めたばかりのゴッホの手紙は幸せそうだけれど、共同生活が続くにつれて、ゴッホのマイナス思考がどんどん深まって行くように感じられる。
スクリーンが上がると、そこはゴッホの絵の世界である。
ゴッホがゴッホの絵の中で写生をしている。その絵と生活が二重写しになる感じが不穏である。それを不穏と感じるのは、私が知識として「この後、ゴッホとゴーギャンの共同生活は破綻する」と知っているせいかも知れないのだけれど、やっぱり不穏である。
それは、ゴッホの内面の声がスピーカーを通して聞こえてくるようになったせいもあると思う。
その不穏さは、ゴッホがゴーギャンと暮らす家に戻り、そこでゴッホが気に入っている踊り子のラシェルとゴーギャンが戯れているのを見てしまったところから加速度を増す。
シィヌとこのラシェルを一人の女優が演じるのは、多分その「薄幸さ」にどうしようもなく惹かれる、あるいは惹かれていると思い込んでしまうゴッホをより際立たせるためなんだろう。
そして、ラシェルが「お金がないなら、あなたの耳を持ってきて!」と言って去って行った後の、異様なまでの緊張感と来たらどうだろう。
ゴッホとゴーギャンは、というよりも、ゴッホが一方的にゴーギャンに絵に関する様々な思いを吐露し、友情を語り、議論をふっかける。最初は冷静に対応していたゴーギャンも、段々、怒りが前面に出てくるようになる。
ゴッホがナイフを手に持つと、その緊張感は一段強烈になる。
ゴッホが「猿まねだ」と言われたと思い込み、自分の「ひまわり」の絵にナイフで切りつける。
ゴーギャンがとうとう「出て行くことにする。どうせタヒチに行こうとしていたんだ」と言って部屋から出て行ってしまうと、私はもうこの緊張感に耐えきれずにほとんど目をつぶるようにしてその後のゴッホの様子を見てしまった。
「ゴッホが自分の耳を切る」ことへの緊張感をこんなに引っ張らないで欲しい。
あまりにも緊張感が高まったせいで、その瞬間のゴッホを見逃してしまったではないか。
ラストシーンのゴッホは、一言も語らない。
耳に包帯を巻き、耳に包帯を巻いた自画像(一瞬見えた背景が真っ赤だったのが印象的である)のキャンバスに向かって座り、ただ無言で絵を描き続ける。
そこにシスターと弟のテオが寄り添う。
そして、「現代の日本人」がゴッホを語り始める。
この語りに何故かひどく違和感を感じてしまった。そこで語られるゴッホにも違和感を感じたし、ここで突然に「日本人の視線」を強く意識させる台詞が語られることにも違和感を感じる。
それなら、どう終われば良かったのかと言われると困るのだけれど、どうしてもこの「語り」でこのゴッホの物語が閉じられることに違和感を感じてしまったのだった。
でも、その違和感も含めて多分この「炎の人」なんだと思う。
初演のときもこの形だったんだろう、恐らく初演のときの世相がこの舞台の始まりのシーンと最後のシーンに色濃く出ているのだろう、という感じがする。
いずれにせよ、強烈な舞台だった。
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コメント
逆巻く風さま、コメントありがとうございます。
逆巻く風さんは、この公演の観劇予定はないのでしょうか。もしご覧になったら、ぜひ、2年前との印象の違いなどお教えくださいませ。やっぱり、自分が見なかった公演との違いって気になります。
私はもうとにかく「ゴッホが宣教師だった」ということに驚いていました。
このお芝居がゴッホを描く根底に「神」とか「宗教」とかを据え、その部分が特に強調していたからかも知れません。
「炎の人を見たから」というわけではないのですが、今日のお昼ごはんにスープストック東京に行って、「ゴッホのオニオンスープ」を頼んでしまいました(笑)。
どうぞ楽しい観劇旅行を!
投稿: 姫林檎 | 2011.11.14 22:34
とうとう観ましたね (ニヤリ)
僕もこのコメントを読みながら前観た場面を思い出していました。
最初場面が暗かったこともあり、非常に眠かったのを覚えています、ああ、そういう筋だったんですね・・・
市村さんは巧かったけれど、群像劇としても良かったように思えました。今回もなかなか評判が良いようです。姫林檎さんも何かを感じられたんではないでしょうか。
これも含めゴッホという人は謎めいています。亡くなるまで名声を得られなかったこともそれに拍車をかけているように思います。
さてさて今週末はまたまた観劇に出かける予定です。やはりミュージカル中心ですが (笑)
投稿: 逆巻く風 | 2011.11.13 08:19