「ノーアート・ノーライフ」を見る
ナイロン100℃ 37thSESSION「ノーアート・ノーライフ」
作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演 みのすけ/三宅弘城/大倉孝二/廣川三憲
吉増裕士/喜安浩平/温水洋一/山崎一
観劇日 2011年11月25日(金曜日)午後7時開演
劇場 本多劇場 M列15番
料金 6900円
ロビーでは色々と販売されていたと思うのだけれど、どうもチェックした記憶がない。
ネタバレありの感想は以下に。
割と珍しいのではないかと思うのだけれど、今回、チラシの束の中に「ご来場のお客様へ」というケラリーノ・サンドロヴィッチからのメッセージが書かれた紙が入っていた。
色々と「書いた当時」のことなのか、今もなのか、ケラ氏が「あがいている」ことが書かれていたのだけれど、一番印象に残ったのは「誰もが気楽に楽しめる愉快な舞台です。」「これほど観客を選ばない舞台もナイロンでは珍しい。」という部分である。
本当か? と思いながら舞台を見始めた。
10年前の作品の再演だそうだけれど、私は初演は見ていない。
舞台は1970年代(だったと思う)のパリの酒場である。
パリなので、もっと洒落た名前が付いていたかも知れないのだけれど、とにかく、お酒を出すお店である。
何故かその店には日本人が集まってくる。
というよりも、日本人しか集まってこないようだ。バーテンダーも日本人アルバイトである。
そして、集まってくる日本人はみな、現状では自称「芸術家」である。
始まってしばらくするまで忘れていたのだけれど、このお芝居には男優しか出ていない。
パリに集まった芸術家崩れの日本人というのは、男の方が似合うシチュエーションなんだろうか。
小説を書いている男がいて、絵描きの男がいて、その男に「破いた絵を弁償しろ」と詰め寄られている似顔絵描きがいて、オブジェ専門の男がいて、その男が連れてきた画商がいる。忘れ物がなかったかとやってくる日本人の正体はとりあえず謎だし、バーテンダーの元職も謎だけれど、小説家のところに「歌詞はできたか」とやってきたレコード会社勤務と自称しつつヤクザのようなお兄さんとバーテンダーは「熊田組」で一緒だったらしい。
無茶苦茶である。
でも、言われてみれば、みな、割と普通の人のような気がしてくる。
何というか、少なくとも最初のうちは大きな事件が起こる訳ではない。
劇中でしゃべられていたり、スクリーンに映し出されるフランス語って正しいフランス語なのかしらと思ったり、他愛ないおしゃべりを続ける彼らにクスリと笑ったり吹き出したり、噛み合わない会話にやっぱり吹き出したりしていると、するすると話は進んで行く。
温水洋一演じるアルバイトが元ヤクザには見えないだろうと首を傾げたり、実は「熊田組」は学生時代の映画研究会の座組のことだったと判明したり、小説家の語る小説の筋は実は自分自身のことなんじゃないかと出演者一同と客席一同で察したり、そして彼が詞を付けようとしていた曲は「およげ たいやきくん」だったのだけれど彼の詞はとことん暗くてかつ字余りだったり、「芸術と愛だったら愛を取る」と語ったみのすけ演じるオブジェ作家の妻が、実は山崎一演じる画家とその前から付き合っていたり、アルバイトの男が実は単なる置き引きだったり、三宅弘城演じる似顔絵描きが破いた絵を喜安浩平演じる画商のトニーが高額で買い上げたり、それを見たアルバイト実は単なる置き引きの男が「忘れ物をした」と騒いでいた男が忘れたフェルメール風の絵を破いたり、確か一幕の終わりは、アルバイトの男が忘れ物をした男をフォークで刺して救急車が呼ばれるシーンだったのではないだろうか。
とにかく、そんな風で、売れない芸術家だったり、足を洗った詐欺師だったり、贋作画家だったり、置き引きだったりが入り乱れて「青春」を謳歌しているその雰囲気をたっぷりと味わうことができる。
ついでに、オブジェの一部だったらしいスイカの匂いもたっぷりと味わうことができる。愛を得ていた訳ではなかったと知った作家がそのスイカを落として割ってしまうからだ。
大倉孝二演じる贋作作家が刑務所から出てきた2年後が二幕の始まりである。
吉増裕士演じるレコード会社勤務の男が何故かバーテンダーに変わっている他は、相変わらずそこは芸術家崩れ(どうも2年の間に自称から崩れに変化しているように感じられる)の日本人たちが集まっているようだ。
何故か、セブンティーン誌の「芸術家度チェック」などが行われている。
変わったのは服装だけで、でもまるで家族のようにまとまっていると勘違いしたのはこの贋作作家だけで、2年の間に恋人を似顔絵描きに取られたオブジェ作家はついに薬にはまってしまったようで、周りを不快にさせるような言動ばかり取っている。
前衛作家として一躍売れっ子になった画家は、激しく鼻持ちならない男に変わってしまっている。
刑務所から戻ってきた贋作作家が一番まともに見えるところが、やっぱりハートウォーミングなお芝居ではないのだよなと思わせる。
「およげ たいやきくん」をジュークボックスで流されて飛び出して行った自称小説家が交通事故に遭った辺りから、でも、場の空気は一変して、いきなり時間が動き出す。
それまでは、特に時間の流れは感じずに、何というか時間が淀んでいる雰囲気がひたすら感じられていたのだけれど、何だか話が動き出したように思えた。
それは、自称小説家が詐欺師の商売に戻りそれを手伝っていることを得意げに彼らが語っていたからかも知れないし、それを聞いた贋作作家が「私が言うことではない」と言いつつも、ここに集まっている人間は、みんなで下を向いて、上を見ないように見ないように団結している、みたいに詰ったからのようにも思う。
元詐欺師の小説家が脳死状態に陥ったと判ったことで、一番大きな変化を見せたのは、前衛芸術家として売れっ子になっていたけれども作品に全く満足していなかった画家だろう。
彼は「もう描きたい物しか描かない」と宣言する。
自分を売り出してくれた画商とも決裂しようとする。
そこで、爽やかに立ち直りの物語にならないのがやっぱりナイロンで、彼は自分は描かない代わりに贋作作家に自分の代わりをやるように依頼する。
そうして一人また一人と去って行ったその酒場に残っている人間はいなくなる。
芸術家度チェックをしていたバーテンダーが、「せっかくみんなにやってもらったのだから」とチェックの結果ページを探すのだけれど見つからない。「結果ページがありません」で照明が落とされる。
これで終わり?! 落としどころはここ?! と思っていると、似顔絵画家が、壁の絵を描いているところが一瞬光に浮かんで消えた。
いや、ここで終わりではないだろうと舞台を睨んでいると、舞台上にスクリーンが出てきて、彼ら一人一人の「その後」が語られて行く。
そして、ここで語られてきた彼らの物語が、元レコード会社社員のバーテンダーが書いた小説であったことがクレジットで示され、幕である。
こういう畳みかけ感は「やり過ぎ」と思うことが多いのだけれど、今回は「上手いな」という風に素直に思った。
決してハートウォーミングなお芝居ではないのだけれど、普段はアクの強すぎる彼らが演じるとやけにハートウォーミングなお芝居に感じられるところが謎である。
本当はブラックな、そして何かを作っている人にとってはシビアな、でもちょっといい話だったんじゃないかと勘違いしそうになる楽しい舞台だった。
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