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「欲望という名の電車」
作 テネシー・ウィリアムズ
訳 鳴海四郎
演出 鵜山仁
音楽・演奏 小曽根真
出演 高畑淳子/神野三鈴/宅間孝行/小林正寛
金内喜久夫/塾一久/川辺邦弘/山本道子
宇宙/津田真澄
観劇日 2011年12月23日(金曜日)午後1時30分開演
劇場 世田谷パブリックシアター N列3番
料金 6500円
上演時間 3時間10分(15分の休憩あり)
ロビーではパンフレット(800円だったと思う)が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
2011年の年末に公演があることはチラシなどで知っていたのだけれど、チケットの売り出しを見逃してしまい、ギリギリになってチケットを取って観に行った。
それくらい見たかったのは、多分、今年の初めくらいに、主演の高畑淳子がテレビで「ブランチを演らせてもらえることになった。それまでは節制する」と宣言しているのを見たからである。
エキセントリックで気位が高いブランチと高畑淳子という組み合わせには何だか心惹かれるものがあると思う。
そして、この「欲望という名の電車」は明るい。
何年か前に篠井英介がブランチを演じた「欲望という名の電車」を見たことがあって、そのときの印象からすると、このお芝居は非常に暗い、やりきれない、ヒリヒリピリピリしているお芝居だというイメージだったのだけれど、不思議と今回はそういう危うい感じは受けない。
ハンカチで顔を隠してスタンリーと対面しようとするブランチに、うっかり客席のこちらで笑いをもらしたくなる。
普通に考えると、ブランチのやっていることはどこからどこまでも滑稽なんだと思い当たった。
そこを深刻に作り上げるのではなく、ブランチという女性がいつまでも若さに拘ってミッチに自分はステラの妹だと言ってみたり、「上品」「下品」という言葉を頻発させたり、没落して失ってしまった生家の格式や暮らしに異常に拘ったり、そうしたことは滑稽なんだという下地があるように思う。
そうすると、宅間孝行演じるスタンリーは、戯曲やブランチが言うほど粗野な人物には見えなくなってくる。それは突然に物を投げたり大声を上げたり、妻であるステラを殴ったり、間違っても好ましい人物ではないのだけれど、それを下品とか粗野とかで片付けてしまうのは違うのではないかという気がしてくるのだ。
妻と決して広くない部屋で暮らしているところへ、妻の姉が何の前触れもなく訪れてきて、期間未定で滞在していたら、それはその相手に好意的になれという方が難しいだろう。
そして、妻のステラも、これまではひたすら夫に従順で可憐で優しく素直なか弱い花のような女性だと思っていたのだけれど、どうも様相が違っている。神野三鈴演じるステラは、上流階級で暮らしていたけれど、スタンリーの生命力というのかパワーに憧れて、惚れていて、多少の手荒い扱いも問題だとは思っていない、いつの間にか、こちらも生命力とバイタリティを身につけた、たくましく強かな女性に見えてくる。
そのステラを、姉妹で暮らしていた頃と変わらない、か弱く守るべき存在だと思い込んで修正できないブランチが、やはり滑稽に見えてくるのだ。
そして、この「欲望という名の電車」では、小林正寛演じるミッチの存在感が大きい。他のポーカー仲間よりも礼儀正しくて繊細、文学的素養もあるらしい彼をブランチが気に入るのはあっという間だ。
そして、つきあい始めるのもあっという間である。
それを、ブランチがミッチを落とした、とまさにそういう風に描いているところが新鮮な気がした。
もっとも、「違うな」「新しいな」と思っていたけれど、そもそも私が「欲望という名の電車」を見たのはこれが2回目なのだから、どういう感じがスタンダードなのかよく判っていないのである。
「欲望という名の電車」は、毎年のようにどこかで上演され、積み重ねられ、様々な女優がブランチを演じていると思うのだけれど、その積み重ねと、自分なりのブランチをという女優の思いが、このお芝居の骨格を作って来たのではないかという感じがする。
休憩までは、ブランチがステラの家にやってきて、ミッチと付き合い始め、少しずつ神経質な言動も治まって、その代わりまるで自分の家であるかのように過ごし始める。ブランチは、若い頃の結婚とそれがどうして終わったかということをミッチに告げたほどだ。
スタンリーは故郷でのブランチの噂を耳にして、少しずつ疑い始め、調べ始めているようだけれど、まだ破綻はしていない。
そうした崩壊の兆しは見えているものの、まだそれは影を潜めている。そういう感じだ。
そういえば、今回は、ブランチが周りの全てを破壊するというよりも、ブランチが周りを巻き込んで崩壊して行く,という風に見える。何故だろう。
休憩後は、それこそジェットコースターのようにブランチが奈落の底に落ちて行く。
ステラがブランチのバースデーパーティーを用意し、その場にミッチも招待しているのだけれど、そのステラにスタンリーは、彼が調べ上げたブランチのここ数年の暮らしを伝え、その話をミッチにも伝えたのだとステラに告げる。
ステラのショックは激しい。
ステラが産気づいてスタンレーとともに病院に行った後、ミッチが一人でブランチのところにやってくる。
この場面にさしかかる前までは、恩田陸の「チョコレート・コスモス」のことが頭にあったのだけれど、ミッチとブランチとのやりとりが始まると、その崩壊の予感があまりにも強すぎて、そんなことはすっかりと忘れ果ててしまった。
ブランチは始めて明かりの下でミッチに顔をさらし、本性をさらす。そのブランチを、ミッチは母親と一緒の家に入れるには汚れすぎていると突き放す。
ミッチが出て行ってしまった後、結婚の夢が破れたブランチはウエディングドレス姿になって、ダラスの大富豪からお招きがあったのだと浮かれている。この時点で、ブランチは壊れてしまっているように見える。
この後、スタンリーが帰ってきて、壊れたブランチをさらに追い詰めるようなやりとりがあった後で、「最初からこうなることになっていた」と言ってブランチに襲いかかる。
前に見たときもそうだったのだけれど、今回もやっぱり、この台詞の持つ意味と、このことが原因でブランチが完全に壊れたのだという解釈と、両方ともピンと来なかった自分がかなり情けない。
私にはブランチはもっと前から壊れてしまっているように見えるし、スタンリーがブランチにとってそれほど大きな意味を持つ存在だったのかよく判らない。
ステラたちは、壊れてしまったブランチを施設に入れることにしたらしい。そこははっきり語られず、でも、ステラの後悔する様子でそのことは伝わってくる。
ブランチのこの後の人生はどうなるのか、ステラとスタンリーは元のように暮らして行けるのか、ミッチは自分がブランチを壊したのだと思い込んだのではないだろうか。
この「欲望という名の電車」もやはり、誰もが不幸になって終わるお芝居だったのか、そして、このお芝居もやっぱり明るい、不幸は明るく語られてこそ際立つのか、疑問がグルグルと回った。
高畑淳子のブランチ、好きである。
そして、もしまたどこかで「欲望という名の電車」が上演されたらまた見てみたいと思ったのだった。
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