「深呼吸する惑星」を見る
第三舞台30周年&“復活"公演「深呼吸する惑星」
作・演出 鴻上尚史
出演 筧利夫/大高洋夫/小須田康人/長野里美
山下裕子/筒井真理子/高橋一生/ほか
観劇日 2012年1月9日(月曜日)午後5時開演(サンシャイン劇場千秋楽)
劇場 サンシャイン劇場 17列17番
料金 6500円
上演時間 2時間30分
ロビーでは、パンフレット(1000円)や、Tシャツ、私家版第三舞台の復刻本等々が販売されていた。これまでの芝居のDVDや鴻上尚史の著書(サイン入り)はもちろんだけれど、2日前に来たときよりもだいぶ種類が減っているような感じがした。
この上演時間には、役者紹介の時間等も含まれている。
ネタバレありの感想は以下に。
サンシャイン劇場千秋楽である。この公演後、あとは福岡公演を残すのみだ。
私は、大阪公演を1回見ていて、サンシャイン劇場での公演を見るのは2回目ということになる。「こんなにたくさん!」と実は思ったし、友人に譲ったチケットもあるのだけれど、心の底から、複数回見られてよかったと思う。
千秋楽は、封印解除&解散公演の中でも、お祭りである。
横浜公演の千秋楽には勝村政信が乱入したらしいのだけれど、9日17時開演の公演には伊藤正宏が、長野里美演じるサクラギの幻覚として登場した。
元々、サクラギの上司である「イトウ将軍」として映像で池田成志とともに出演していたのだけれど、ご本人の登場に会場は大拍手である。もっとも、「朝日のような夕日をつれて」の冒頭の場面をやろうと「朝日のような夕日をつれて僕は・・・」くらいまでやったところで、長野里美に「もういいから!」と舞台袖に押し込まれていた。
そして、その後、長野里美がそのまま舞台中央に戻って「さあ、話を戻しましょう!」と強引に筋に乗せようとしているのがまた笑いを誘った。
そういえば、サクラギが大学時代の幻覚を見るこのシーンでは、大高洋夫演じるナカイド大尉が「ビニュウ」を連呼してサクラギを幻覚から覚めさせ、幻覚から覚めたサクラギから「ビニュウってどっち?!」と突っ込まれ、一呼吸置いて明かりが消えていたのだけれど、今回は、狙いなのか流れなのか、ナカイド大尉が「もうどっちでもいい!」と叫び、叫び終わったところで明かりが消えていた。
思わず、心の中で「お見事!」と言ってしまう。照明の(あるいは事前の打ち合わせの)為せるワザだと思う。
照明といえば、今回(9日17時の回)は「暗転が多い」という印象がない。
というよりも、随分と場面転換の際に真っ暗になる時間が短くなって、こちらでまだ前のシーンの役者がはけ切っていないのに、こちらでスポットを当てられた役者さんが次のシーンを始めている、という感じになったように思う。
私の気のせいだろうか。
でも、とにかく、随分と場面転換で話が切断される感じがなくなったなという印象を持ったし、私の中では、これも「第三舞台らしさ」の一つなので、何だか嬉しかった。
第三舞台らしいといえば、ラストシーンから照明が消えるまで、照明が消えてからカーテンコールに役者さんが登場するまでの時間の短さも、非常に「らしい」感じがした。
「天使は瞳を閉じて」のミュージカルバージョンのDVDの副音声で言われていたことだと思うのだけれど、「余韻を残さない」ということだ。
封印解除はともかく解散公演でもあるこの「深呼吸する惑星」のラストシーンは「劇団員ではない」高橋一生演じるタチバナが一人立ち尽くし空を見上げるシーンだし、見上げた後は見回す時間もないくらいにパタっと暗くなり、拍手の音と共に(割とここで引っ張る公演が多いと思うのだけれど)役者さん達が次々と現れる。
潔いではないか。
解散公演の最後、舞台には劇団員が誰も立ってはいない。
余韻は残さない。
キッパリと前に進む。
7日の公演を見たのに直後から忘れていた筧利夫演じるトガシが記憶を失った理由は、21歳で亡くなったタチバナと42歳になった自分が並んで鏡に写っている姿を見たことだった。
42歳になった自分が「何者でもない」こと、21歳のときの自分から何も積み上げていないこと、それを悟らされたことで、トガシは記憶を失う。
トガシにとって、「何者かになること」はそんなにまでも重要だったんだな、私は自分が何者にもなっていないことについて記憶を失うほどの衝撃を受けるだろうか、そういう衝撃を受けない自分というのはどうなんだろう、少しだけ考え込んでしまった。
千秋楽のお約束で、カーテンコールの際に主宰鴻上尚史による役者紹介があった。
それから「医学の力」にちなんで、ということで「ウコンの力」も客席に投げ渡されていたのだけれど、私は残念ながら手にすることができなかった。
話は戻って、役者紹介をしていた鴻上尚史本人の弁によると「紀伊国屋ではアルテア人になって紹介したのですが、筧からダメ出しをされたのでハーフアースになって戻ってきました」とのことだった。薄紫というかブルーでもじゃもじゃの鬘を被っていたのはそういう意味だったのか、と言われて初めて判った。
その役者紹介では鴻上尚史に「20年ぶり」と紹介されて伊藤正宏が再登場し、「ビデオ出演だけにしておけばよかったと後悔しています」などとおっしゃりつつ、大拍手を浴びていた。
役者紹介では、鴻上尚史のコメントに続いて、本人達がマイクでコメントして行く。「この10年で変わったことは、本人の自己申告によれば・・・」というコメントがいくつかあって、そういうことをこの公演でもやったんだ、と感慨深い。
「キチガイやバケモノは女優にとっては褒め言葉だ」と言い切った筒井真理子も、アルテア発作を起こした山下裕子も、「人間は変わらないものだと思いました」とにっこりした長野里美も、「故郷に戻らなくて良かったと思います」と落ち着いてコメントした大高洋夫も、それぞれが「らしい」コメントを語って行く。
「登場して3分以外はずっと青く塗った顔で納得行きません。マヌエル首相が地球型に整形して活躍する深呼吸する惑星2でお会いしましょう!」と笑いを取って大拍手を浴びた小須田康人と、「福岡千秋楽は、嵐のコンサートと、堂本光一のSHOCK!と重なっている。根拠はないが、我々が勝つ!」と断言してやっぱり大拍手を浴びていた筧利夫の挨拶には、何だか「よし!」という気持ちになった。
お祭りである。
この辺り、記憶が定かではないのだけれど、多分、このカーテンコールの前後だったと思う。
劇中でかかっていた「ずっと好きだった」のメロディで、原発が54基というような歌詞が流れていて、「ずっと好きだった」ってそういう歌だったっけ? とWIKIを見てみたら、斉藤和義本人による替え歌「ずっとうそだった」という歌があるらしい。
やられた!
そして、3回目にしてやっと気づいた自分の鈍さに頭を抱え、でも3回見て気づけたことがとても嬉しく感じられたのだった。
きっと、他にも、そしてこのお芝居全体にキッチリと仕込みというか、平仄がピッタリと合っているというか、作り込みがされているのだと思う。
そことそこをきちんと繋げてあったのね、とか、そことそこは二重写しにしていたのね、とか、少しずつ繋がって行くような気がする。複雑だけど気持ち良く構築された世界観がそこにはあるように感じられる。
ある日、ポッカリとそのことが判るんじゃないかと思う。
見られて、舞台のこっち側から参加できて、良かった。
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