「フェルメールからのラブレター展」に行く
先日、Bunkamura ザ・ミュージアムで2012年3月14日まで開催されている、「フェルメールからのラブレター展」に行ってきた。
きっと混雑するだろうから早めに行こうと思いつつ行きそびれていたところ、期間限定で同じBunkamuraのル・シネマで「真珠の首飾りの少女」を上映すると知って、やっと重い腰を上げたのだ。
美術展のチケット又は半券を見せると、映画が1200円から1000円に割引されるというのもポイントである。
午後5時前に美術館に到着してまず当日券を購入し、そのまま6階の映画館に行ってチケットを購入する。ル・シネマは全席指定なので、午後7時上映の2時間前ならそこそこいい席が取れるのではないかと考えたのだ。実際、かなり見やすい席を確保することができた。
さて、再び地下1階のBunkamura ザ・ミュージアムに戻って、入場する。
入口に「ただいま団体鑑賞中です。予めご了承ください」というような張り紙があって、そういう予定があるならネットで表示してくれればいいのにと一瞬思ったけれど、その団体は修学旅行生だったようで、手元に鑑賞の手引きのようなものを持ち、静かに鑑賞していた。
ちょっと迷ったのだけれどイヤホンガイドを借りることにして、見始めた。
この美術展のタイトルは「フェルメールからのラブレター展」ではあるけれど、全世界に30数点しかないフェルメールの絵がそんなにたくさん来日する筈もなく、今回来ているのは、手紙をモチーフにした3点である。
その3点だけで美術展が構成できるわけもなく、出展されている絵画のほとんどは「17世紀オランダの絵画」だ。
第1章「人々のやりとりーしぐさ、視線、表情」と題して、当時のオランダの普通(よりはちょっと裕福な)人々の普通の生活の「外の」一場面を描いた絵が展示されている。
何というか、印象として「カッチリとした」絵が多い。サイズが小さめで、くっきりと描き込まれている。こういう絵はどこに飾られたんだろうとふと思う。
イヤホンガイドの解説は、17世紀のオランダでは意外と恋愛は自由でアムステルダムではデートスポットガイドのような本まであったこと、しかしこの「恋愛」はあくまでも結婚を前提としたものであったこと、こうしたいわば享楽的な場面の絵は反面教師的な教訓を示したものであったこと等々を語っていた。
第2章「家族の絆、家族の空間」では、主題からして当然のことだけれども、いわゆる家の中が舞台の絵が多くなる。それでもやっぱり、くっきりかっちりした絵が多いという印象は変わらない。
家族がテーマだから女性も多く描かれているのに、絵の印象としてたおやかとか柔らかという感じがあまりないのはどうしてなのだろう。全体に茶色っぽく、濃い色調で描かれているからだろうか。
第3章「職業上のあるいは学術的コミュニケーション」は、第3章と銘打ってはいるのだけれど、順路からすると最後に位置していた。どういう理由でか「フェルメールの絵は展覧会の最後にある」と信じ込んでいたので、その次のお部屋にある絵を見る頃には集中力を完全に切らしてしまっていたのが申し訳ない。
その中で印象に残っているのは、どこかの仙人のような風貌の老人を描いた、ヤン・リーフェンス作の「机に向かう簿記係」だった。見かけは仙人なのに「簿記係」というギャップがいいと思う。
第4章「手紙を通したコミュニケーション」の白眉はやはりフェルメールである。
でも、そこにたどり着く前に、手紙が描きこまれた絵を見て解説を読んで行くと、フェルメールの描く絵のテーマは恋愛なのかしらという気がしてきた。フェルメールの作品で手紙が描かれているものは5点か6点あるそうだし、楽器が描かれている絵も多い。そこで描かれている手紙は個人的なものが多いし(当時のオランダの識字率は非常に高かったそうだ)、同じく多くの絵に描きこまれている楽器には調和を求めることから転じて求愛の意味も込められているという。
そうした中で、トリックアートというのか、壁に鋲でテープを張り、そこに引っ掛けるような形で届いた手紙や封蝋の印を「まるでそこにあるかのように」描いた絵が面白かった。ちなみに、当時の手紙は封筒には入れず、便箋を折ってその折口を封蝋で止めていたようだ。合理的である。
そして、フェルメールである。
「手紙を書く女」「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女と召使い」の3点だ。
「手紙を書く女」は、若い女性がファーつきの黄色いコートを羽織、机に向かっていて手紙を書いていたところをふと顔を上げてこちらを見た、そういう瞬間を捉えた絵である。
女性の黄色いコート(ケープかも)を羽織った上半身に光が当たってそこだけぼぉっと浮かび上がっているように見える。そして、彼女の耳には真珠が光っている。そういえば、フェルメールの描く女性のアクセサリといえば真珠というイメージで、他の、例えばダイヤモンドをつけている女性はいないような気がする。フェルメールの好みなのか、描かれる女性の社会的地位の問題なのか、そもそも私の勘違いなのか、どれだろう。
彼女の目は、見ようによってはちょっと空ろな表情にも見えて、薄く微笑んでいる表情が逆にちょっと怖いようにも思えた。
「手紙を読む青衣の女」は、修復後世界初公開、だそうだ。
会場内にあった修復前後を並べた写真でも、青衣の女の青い服(上っ張り風)の色が鮮やかに、壁の色が白く、全体的に明るくなったことが判る。ついでに書くと、何となく縦の長さが短くなったようにも見えたのだけれど、これは私の気のせいだろう。
上に塗られたニスを剥がしたことで、鮮やかな画面が蘇り、服についている黄色いリボンの色彩も鮮やかに、そして、耳のところにある髪飾りの一部も髪飾りらしく見えるようになっていた。この髪飾りが、最初のころ、どうしても痣のように見えて困っていたのは私だけではあるまい、と思いたい。
こちらの女性は完全に手紙を読むことに没頭していて、横顔しか見せていない。先ほどの手紙を書く女よりも年配に見え、落ち着いて見える。
でも、この絵はどこまでの青衣のその青の鮮やかさが際立った絵だと思う。
三作目は「手紙を書く女と召使い」である。この絵の色調というかくっきりさは、これまで見てきた17世紀オランダ絵画に一番近いところにあるような気がする。
一心不乱に手紙を書く女主人と、その後ろで半ば呆れたように外を見て手紙が書きあがるのを待っている召使の2人が登場人物だ。
私の中では、この絵は3枚の中ではちょっと毛色の違う感じがする。光の筋がくっきりしているからなのか、全体的に濃い色調だからなのか、もっと単純に登場人物が一人か二人かという違いなのかも知れない。
そして、この絵は、左側に濃い色のカーテン(だと思う)が寄せられて斜めに空間を狭められている分、遠い感じと光と影の差が際立たせられているように思う。
この3作のうちでどれが好きかといわれたら、私は「手紙を読む青衣の女」である。その理由は、多分、怖くないから、ということだ。「手紙を書く女」の女自身や、「手紙を書く女と召使い」の召使いの表情が、どこか虚空をみているような空ろな感じもあって、何となくバランスが悪いようにも見えてきて、何だか怖いのである。
その点、「手紙を読む青衣の女」は完全に横を向いていて、視線は手紙を追っているので、「怖い」ということがなくてじっくりゆっくり眺めていられる。そこがいい。
フェルメールの絵をじっくりゆっくり眺められる、なかなか贅沢な時間だった。
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