「体育の時間」を見る
ラックシステム「体育の時間」
作・演出・出演 わかぎゑふ
出演者 野田晋市/千田訓子/うえだひろし/谷川未佳
祖父江伸如/西岡香奈子/三上市朗/北沢洋(花組芝居)
中道裕子(らくーがき)/小椋あずき/森崎正弘(MousePiece-ree)
坂口修一/早川丈二(MousePiece-ree)
山藤貴子(PM/飛ぶ教室)/荒木健太朗(劇団Studio Life)
観劇日 2012年2月4日(土曜日)午後3時開演
劇場 ザ・スズナリ H列4番
料金 4500円
上演時間 2時間10分
ロビーではパンフレット(1000円)や、小椋あずきお手製のコースターなどが販売されていた。終演後に二人の役者さんがパンフレットにサインするという恒例のイベントも行われていて、この回は森崎正弘と祖父江伸如だった。
のだけれど、帰りの電車の中で見てみたら、何故か野田晋市のサインも入っていた。終演後の物販の紹介をいつもやっているコング桑田が日生劇場に出演中で、今回は野田晋市が物販紹介の指名を受けたらしいのだけれど、「売り上げが伸びていません」と悲壮な表情で訴えていたので(ついでに、谷川未佳にもジト目で睨まれていたので)、売り上げアップを目指したのかしら、だったら宣伝しなくっちゃ、と思ったりしたのだった。
ネタバレありの感想は以下に。
人見絹枝がアムステルダムオリンピックに出場しようというその前、世間から「人前で太ももをさらすなど日本女性にはあってはならない」というような批判を受けながら、そして出場を説得しに行った寺尾姉妹から同じような理由で出場を辞退されながら、遠征に行き、そして倒れる。
そういうシーンから始まる。
暗い照明の舞台、その奥に1mくらい高くなったキャットウォークのようなものが設けられてそこに立ち、低い声で「いくらでも罵れ!私はそれを甘んじて受ける しかし私の後から生まれてくる若い選手や日本女子競技会には指一つ触れさせない」と言い放つ彼女の姿はインパクトがある。この台詞、私が覚えていたわけではなくて、人見絹枝がそのような文章を残しているのだそうだ。
家に帰って来てから調べたら、寺尾姉妹も実在の人物で、少し驚いた。
場面は一転し、いきなりうえだひろし演じるお下げ髪にセーラー服姿の早乙女撫子が出てくると別の意味でかなりインパクトがある。
女の子なんだー、と思う。
物語は、この早乙女撫子が大阪にある体育学校(長い名前がついていたと思うのだけれど、とりあえず「女子体育学校」ということで)に入学し、短距離走で頭角を現し、でも「女子が体育をする」ということにまだ理解のない時代で体育学校そのものの運営も非常に厳しい。その中でも彼女はある意味呑気にでも楽しく真剣に陸上競技と取り組み、体育学校の校長も大阪商人の考え方にある意味感化され、人見絹枝の説得には応じなかった寺尾姉妹が体育学校の存続に力を貸す。前畑秀子からも「天才」と言われ、南部忠平との50m走で真剣にさせた早乙女撫子だったが、次のオリンピックは怪我のため出場できず、その次の東京オリンピックは開催されず、現役を引退する。
そういうストーリーである。
この女子体育学校の生徒を、うえだひろし、祖父江伸如、三上市朗、北沢洋、荒木健太朗の男性陣に演じさせたところが凄いと思う。
荒木健太朗はともかくとして、他の4人はそもそも全然女の子っぽくないではないか。
うえだひろしと祖父江伸如は、それでもしゃべり方等々、女の子っぽくしていて、祖父江伸如は柔道選手という設定を作ってあったけれど、三上市朗と北沢洋など若い女の子を演じるのに髭面である。
しかし、それが却って清々しいといえば清々しいし、変に「らしく」作るよりもいっそ楽しめる。
女子体育学校だからなのか、教師陣も女性という設定だったのだけれど、野田晋市演じる校長なんて格好からしてキッパリと男らしかったし、竹刀を持ってバチンバチン床を叩いていたので最初は男性という設定なのかと思ったくらいだった。
いや、逆に、当時スポーツをする女性は男らしくするしかなかったということなのかも知れない。
前畑秀子が銀メダルを取った後「次のオリンピックでは金メダルを取るしかない」状況に置かれ自らを「天才」を称さざるを得なかった孤独(これは史実なんだろうか)、それまで一緒に体育学校で学んでいた生徒が中国籍であるという理由で大会にも出場できず学校から去ることになったこと、寺尾姉妹が体育学校の存続のために一肌脱ぎ南部忠平を担ぎ出して生徒と競争させ新聞に取り上げさせようとしたこと、恐らくは史実と虚構を織り交ぜつつ、でも全体として当時の「女性がスポーツをすること」を取り巻く状況や渦中にいた人の思いを描き出して行く。
そこで、主人公の早乙女撫子が、そういった「状況」に流されず、というよりは、気にせず知ろうとせず、ただ走ることが好きというキャラクターであることがやはり効いていると思う。
最初は、少し構造が複雑だぞ、よく判らないかも、と思ったのだけれど、やはりラックシステムのお芝居なのだった。
判らないといえば、これは完全に私の側の話なのだけれど、わかぎゑふ演じる船場の女将と校長とのやりとりは、絶対に何か重要なことが話されているし、現状に続く何かを示しているのだけれど、実はピンと来ていない。それは、女将が言うように、私がお金を稼ぐということを知らないからなんじゃないかという気がする。お給料を貰うということとお金を稼ぐということは、多分、違うことなのである。
スポーツを見ることにお金を払う、スポーツを見せることにお金が取れる、そういう時代が来る。
確かに、今はそういう時代になっている。
でも、もう一つ奥に何か判らなければならないことがあった筈なのに、私の手が届いていない感覚がある。
ラストシーンは、早乙女撫子が母校の校長となり、女子の体育教育に邁進している姿である。
出演者全員が体操服姿になり、女子体育学校の校歌を歌いつつ体操をして終わる。その力一杯元気なところが(時々、手を抜く人がいたりするところも含めて)楽しい。カーテンコールでもう一度「体操」してくれて、それも嬉しかった。
やっぱり、ラックシステムのお芝居は好きである。
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