「雪やこんこん」を見る
こまつ座第96回公演「雪やこんこん」
作 井上ひさし
演出 鵜山仁
出演 高畑淳子/金内喜久夫/今拓哉/村田雄浩
山田まりや/宇宙/高柳絢子/新井康弘
キムラ緑子
観劇日 2012年3月4日(日曜日)午後1時30分開演
劇場 紀伊國屋サザンシアター 2列5番
上演時間 2時間40分(15分の休憩あり)
料金 7350円
2012年は「井上ひさし生誕77フェスティバル2012」として8本の公演を予定しているのだそうだ。
その2演目目である。
ロビーでは、井上ひさしの戯曲や著作、パンフレット(1000円)等が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
舞台上には、雪深いどこかの(物語の中で語られたような気もするのだけれど、覚えていない)宿に併設された舞台小屋の楽屋らしい。
そこに、光の加減で奥が透けて見えるスクリーンが降ろされ、役者の名前が書かれた札が貼ってある。本来は、中村梅子一座の面々の名前を並べるのだろうけれど、今回は、出演者全員の役名が貼られている。その中に「中村小梅」という一枚があるところが、実は全てのネタバレだ。大胆なことをするものである。
そのスクリーンの下からもうもうとドライアイスが客席に流れ出したところから舞台の幕が開く。
外は大変な吹雪で、引き戸を少し開けて中に入ろうとしただけで雪と冷風が舞い込む様子らしい。
そこに、旅の芝居一座の「とうどり」と呼ばれていたけれどどういう字を書くのか、座長を支える柱で舞台の要、先乗りして芝居小屋その他を万端整えておく仕事を任された男と、昔は舞台に立っていたけれど今はこの芝居小屋の番頭を務めている男とが何やらいい調子でしかし浮き世の憂さを語っている。
旅の一座も芝居小屋も、双方ともに経営という面では相当に苦しいのらしい。
旅の一座は次々と役者が辞めていき、残ったのは6人という体たらくだ。
はっきり言ってかなり落ちぶれた一座のように見受けられるけれど、しかし、この一座の座長である高畑淳子演じる座長の中村梅子の才能と気っ風ととが折り紙付きであることは間違いないらしい。金内喜久夫演じる「とうどり」の勝次は心の底から座長を誉めるし、給金をもらえなくても残った、村田雄浩演じる金吾、今拓哉演じる秋月、山田まりや演じるひろみ、の3人の役者も、囃子方を務めるらしい宇宙演じる光夫くんも、座長には惚れているらしい。が、どうも4人とも、この一座を抜けることを一度と言わず考えたこともあれば、計画したこともあるようだ。
後はもう、中村梅子座長と、この宿の女将で元は役者だったというキムラ緑子演じる和子、新井康弘演じるこちらも昔は舞台に立っていたという庫之介と勝次、この二組が次々と繰り出す決めぜりふの数々が次々と繰り出されるのをただただ追いかけるだけである。
3人の座員の喧嘩沙汰や、光夫くんがさりげなく入れる音響効果、そこに女将の和子のスパイも果たそうという高柳絢子演じる女中のお千代も加わって、それは一騒動起こらない訳がないのだ。
それにしても、やはりこのお芝居を引っ張って飽きさせず笑わせ客席を掴んで話さなかったのは、高畑淳子とキムラ緑子の2人だろうと思う。
はっきり言って、昭和初めの頃の舞台の決めぜりふだから、少なくとも私の耳にはすんなりとは入って来ない。それは名調子なのだけれど、でもそれは日常耳にしていない名調子で言葉使いだから、そうそう簡単にはついて行けないのだ。
それを、魅力に変え、滑舌良く名調子を名調子として聞かせ、芝居がかった(というか、芝居なのだけれど)台詞や動きの数々に説得力を持たせたのは、この2人ならではなんじゃないだろうか。
勝次と庫之介が何やら企んでいるようなのも気になっていたのだけれど、女将の身の上話を皆で聞くうちに、実はこの女将が梅子座長が若かりし頃に産んだ実の娘だということが判る。
そんなのありかと思うけれど、昭和元年初日の生まれだから和子、父親は役者、梅子が和子を抱っこしていたときに焼けた炭が落ちて2人の右腕と左腕にはそれぞれ火傷の跡があるというところまで判っては、それは周りがいくら何を言ったところで、感動の母子の対面である。
そうして2人が抱き合って泣き叫び、よし祝いに温泉に酒のお膳を浮かべてお祝いだと一座の人間が宿の方に去ったことを確認して二人は大笑い。
改めて初対面の挨拶などするところで大笑いである。
そのうち勝次と庫之介も引き返してきて、実はこの感動の母子の対面は梅子座長のはかりごとで、正月公演まで3人の役者がドロンしないようにという深謀遠慮に基づいたお芝居なのらしい。
ここまでで一幕である。
休憩後の二幕では、井上ひさしの芝居である。波乱がない訳はない。
それはある程度予測していたのだけれど、3人の役者がいきなり仲良くまた旅踊りの稽古をし、お千代さんがやってきた途端に喧嘩を始めた辺りでおかしいとは思ったのだけれど、いきなり女将とお千代を除く全員で「いかにして女将の和子をこの宿から離れさせ、舞台の世界に戻すか」を相談し始めたときには驚いた。
どうして、一座の「騙されていた筈の」3人がその相談にあっさりと乗っているのだ。
私がボンヤリで気がつかなかっただけなのかも知れないけれど、ここはもうちょっと判りやすく、あざとく、「実は3人の役者を引き留めようというお芝居ですという、梅子座長と和子との企みは、和子を舞台に立たせようという梅子一座全員の企みでした」という再度の大逆転を示して欲しかったなーと思う。
やっぱり、こういうことはあざとく畳みかけてこそだと思うのだけれど、やっぱり私がボンヤリで気がつかなかっただけなんだろうか。どうもそこに自信がない。
女将の和子は3年前まで役者をしていたけれど、伯父の座長に脱げと言われて煩悶し、面倒を見てくれるという男と出会って役者を辞めたという経歴を持つ。そこで面倒をみてくれた男に義理立てして宿兼芝居小屋の女将をやっているけれど、どうもこの男というのが嫌な奴だったようで、女将にこの芝居小屋でストリップまがいの演目をかけろと煩く言い、ときには暴力を振るうこともあるらしい。
それでも義理立てして宿と芝居小屋を守っている女将をどうにかして引きはがそうと、梅子一座の面々は最後の大芝居を打つ。梅子座長が大けがをしたことにして、その代役に和子を立てようというのだ。
その芝居の二転三転空転し、和子は自分が舞台に立つのではなく、ひろみに舞台上で脱げと言い出す。
おいおい、今までの煩悶は何だったんだと思うけれど、いざ思い決めるとこの女将もかなりの気っ風のよさで、ひろみをあっという間に丸め込み、振付まで始める始末である。
それを見た梅子座長が怒り狂って、怪我をしている芝居を忘れて啖呵を切ったところで、和子が「試させて頂きました」と白状する。
どこまでひっくり返せば済むのかという二転三転ぶりである。
この筋立てに、高畑淳子が梅子座長を演じるそのハマリっぷり、キムラ緑子が芸達者ぶりを遺憾なく発揮してそれに付いていき、周りを固める一座の人々と宿の人々。
いや、その伏線は回収できなかったんじゃないかとか、そこは強引すぎるんじゃないかとか、時々ちらと頭に浮かばなかった訳ではないのだけれど、やはりこの2人の迫力と「楽しんでいる」という強烈なパワーには敵う訳がないのである。
最後、一座全員が一列に並んで客席に向かって鏡なしで化粧を始め、一旦幕が下りた後で再度全員が舞台に並び口上が始まる。
そこまでが全て「芸」で「舞台」で、そして大笑いできる。
本当に楽しい舞台だった。
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