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2012.05.27

「無伴奏ソナタ」を見る

演劇集団キャラメルボックス アーリータイムス Vol.1「無伴奏ソナタ」
原作 オースン・スコット・カード
翻訳 金子司
脚本・演出 成井豊
出演 多田直人/大森美紀子/岡田さつき/岡内美喜子
    左東広之/小多田直樹/原田樹里
    畑中智行/石橋徹郎(文学座)
観劇日 2012年5月26日(土曜日)午後7時開演
劇場 東京グローブ座 1階OF列15番
上演時間 2時間
料金 6000円

 東京グローブ座の造りのせいなのか、開場前にできた入場待ちの列は一向になくならず、開演10分前になっても結構な人数が並んでいた。お天気が良かったし気候もいいからいいようなものの、これは何とか改善できないものなんだろうか。

 キャラメルボックスにしては物販が地味な感じだった。少し、意外である。

 開演前の注意事項はこれまで加藤プロデューサーの前説から劇団員による前説、映像、歌ありなどなど変遷してきているけれど、今回は比較的新しい役者2人による割とオーソドックスな方法になっていた。
 あそこまで「携帯電話を切ってください」をやられると、持っていないから反応しない私には、周りの視線がかなり痛い。これまた、何とかならないものだろうか。

 ネタバレありの感想は以下に。

 演劇集団キャラメルボックスの公式Webサイトはこちら。

 始まりのシーンは、役者さんが全員モノクロの衣装で登場する。
 舞台に幕はなく、八百屋になっていて、五線譜のようにも見える線が青く三方を囲っている。そして、役者さんが持つハンドベル(のように見えた)を順番に鳴らし、そうすると、水面の波紋のようにそのベルを鳴らした役者さんを中心に照明が広がって行く。
 ダンスではないけれど、ダンスのような動きである。
 前日に見たイキウメの舞台で、「もうちょっと作り手の世代が上になるとここはダンスが入るんだよな」と思ったことを思い出した。
 抑制の効いた照明と動きは格好いい。これで足音を抑えられたらもっと格好よくなるんじゃないかと思った。

 「無伴奏ソナタ」という短編小説(30ページくらいらしい)を原作とするこの舞台は、キャラメルボックス結成直後くらいにこの原作小説をモチーフにして「北風のうしろの国」というタイトルで上演したことがあるのだそうだ。
 残念ながら、その舞台を私は見ていない。だから、どんな舞台だったのか知らない。

 キャラメルボックスでは、同時進行でサンシャイン劇場で「容疑者Xの献身」を上演していて、その体力と精神力と俳優陣の層の厚さは流石だなと思う。
 小笠原利弥が出演予定だったけれど、割と直前に畑中智行に替わったらしい。理由はよく判らないけれど、舞台を見ている上では全く違和感はなかった。

 暗転ではなくダンスを入れることの他に、キャラメルボックスらしい特徴として、語りが入るというのがあると思う。
 本当は「語り」という名前ではないと思うのだけれど、舞台上で上演されている「お芝居」とは別の世界で、モノローグをいえばいいのか、登場人物が登場人物として、でも舞台上の誰かにではなく客席に向かって語りかける。語られる内容は状況説明だったり、その登場人物が語らなかった心情だったりする。
 この「語り」がこんなに多かったっけ? というのが気になった。
 今回は、登場人物が入れ替わり立ち替わりその「語り」の役を務める。基本的に、その場面で多田直人演じるクリスチャンセンともっとも関わった人間が語っているようだ。
 正直な感想をいうと、もう少しこの「語り」の比重が下がってもいいんじゃないかという気がした。せっかく舞台なんだから、その心情は語りではなく芝居の中の演技で見たかったなと思うことが結構あった。

 それはそれとして、やはりキャラメルボックスの芝居には安心感がある。
 悪人は出てこない、そんなに酷いことにはならない、最後には必ず大団円になる、大団円にならないにしても少しだけ良い方向に向くことはできる、という安心感だ。

 この舞台の世界では、全ての人の職業は2歳のときの適性テストで決められるらしい。
 そして、創造性に優れていると認められた人は(音楽方面に限られるのかどうかはちょっとよく判らなかった)、「メーカー」として両親からも引き離されて既存の音楽の届かない場所で育てられ、ひたすら音楽を作り続ける生活を送ることになる。
 クリスチャンセンはそのメーカーの一人で、天才を歌われている。
 こういう設定だから、音楽に非常に力を入れるキャラメルボックスだけれど、一際、音楽がフューチャーされるのも当然だろう。音楽に詳しくない私には「新しさ」はよく判らなかったけれど、とにかく音楽に力が入っていることだけは伝わってきた。

 既存の音楽に触れてはいけないという法律を破ったクリスチャンセンは、その作曲する音楽にバッハの平均律等々を「避けようとする」影響が出ていることを見抜かれ、メーカーであることを辞めさせられる。
 このクリスチャンセンが初めて触れた音楽がバッハの無伴奏ソナタで、それがそのままこの舞台のタイトルにもなっている。
 ここが最初の引っかかりのポイントで、結局、この原作小説やこの舞台は、既存の音楽を知ることは模倣に繋がり創造性を失わせるというこの「世界」のルールを是としているんだろうか。

 クリスチャンセンは音楽を作ることも演奏することも禁じられ、ドライバーとしての人生を歩き始める。しかし、夕食を食べに寄った店でピアノを弾くようになる。
 有名なジャズの曲を独自のアレンジで弾いていたらしいのだけれど、これまた、ジャズに全く詳しくない私にはその弾き方が「新しい」のかどうか全く判らないのだ。芝居の中で流れている、この芝居のために作られた曲と、リクエストに応えて弾いていた「有名なジャズの曲」も私からすると同じように聞こえる。
 音楽の素養があればはっとできるだろうに、我ながら残念な客である。

 音楽を禁じられていたクリスチャンセンは、バッハを聴いたことを見抜いたウォッチャーに再び見つかり、指を全て切り落とされて次の職を与えられる。
 このウォッチャーに会ったときのクリスチャンセンの静けさがかなり怖い。そうなることは判っていたけれど、でも、音楽に触れざるを得なかったという狂気がそこだけ感じられた。

 そしてクリスチャンセンは道路工事の現場に行かされるが、ここでも同じことを繰り返す。
 楽器の演奏はできないけれど、彼はここで歌を作り、現場の仲間と共に歌う。できるだけ音楽から遠ざかろうとしているのに、周りの誰かに音楽に引き寄せられる。それは本人が望んでいることがバレバレだからなのだけれど、それにしてもなぁ、という気がする。
 そして、クリスチャンセンは再びウォッチャーに見つかり、喉を潰される。

 こうして何度も法律を破る人間はそうはいないらしい。
 「体の一部を失うと、そこで音楽への情熱も消える」とウォッチャーがさりげなく言う台詞が結構怖い。
 そして、こうして何度も法律を破った人間への罰がウォッチャーになることなんだと告げられる。クリスチャンセンについていたウォッチャーも同じく法律を何度も破った人間で、だから左手を失い、視力を失っているのだという。
 申し訳ないことに、ここでそう言われるまで、ウォッチャーの視力がないということに気がついていなかった私である。

 ここが判らない。
 そして、さらに、クリスチャンセンが非常に優秀なウォッチャーになったということも判らない。
 どうしてそうなるんだろう。
 そして、優秀なウォッチャーになったクリスチャンセンの心情も私には全く判らないのが情けない。

 38年の刑期を終えてウォッチャーではなくなったクリスチャンセンは、雨宿りをしていたカフェで、自分が工事現場で作った「シュガーの歌」が歌われているのを聴く。
 今までそういうシーンに出くわすことはなかったのかとちょっとツッコミたかったけれど、年老いた彼のその驚き方と「どうして歌うんだ」と筆談で問い詰める様子の必死さにとりあえずそこは置いておこうという気になる。
 メイカーであった自分がメイカーでなくなった後に作った曲が、世界の人々に受けいられている。
 その事実がクリスチャンセンを救う。こういう言い方は安易だとは思うけれど、でも、そういう感じがする。

 自分が判らなかった部分がやっぱり気になるので、原作小説を読んでみようと思う。
 

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コメント

 mitsuさま、初めまして&コメントありがとうございます。

 「無伴奏ソナタ」を見て同じように感じた方がいらしたことが判って、本当に嬉しいです。
 私だけが判らないのか、と思うのって結構不安だったりするので(笑)。
 やっぱり、最後、クリスチャンセンがウォッチャーに連れて行かれた辺りから後の展開が早かったですよね。大部分が狂言回し役の台詞で語られていましたし。

 原作本、まだ借りたり買ったりしていません。劇場で買っておけばよかった!

投稿: 姫林檎 | 2012.05.30 22:30

姫林檎さん、はじめまして。
5月29日に私もキャラメルボックスの「無伴奏ソナタ」を見て、ブログに書かれた感想とまったく同じ感想を持ちましたので、書き込みさせていただきました。
あそこで、クリスチャンセンがウォッチャーになることに同意したことに、ひどく違和感を覚えたこと。その後、クリスチャンセンが優秀なウォッチャーになった=自分がされたことを、他のメーカーにしたことが、まず信じられませんでした。やっぱり答えは原作にあると思うので、私も原作をぜひ読もうと思っています。

投稿: mitsu | 2012.05.30 02:17

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