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2012.05.02

「私が欲しいカラダ」を見る

東京マハロ第9回公演「私が欲しいカラダ」
作・演出・出演 矢島弘一
出演 朝倉伸二/有川マコト/関戸博一(Studio Life) /土屋史子
    津乃村真子/武藤晃子/八代進一(花組芝居) /やまだまいこ(演劇集団Z団)
観劇日 2012年5月1日(火曜日)午後7時30分開演
劇場 下北沢駅前劇場 A列16番
上演時間 2時間
料金 4500円

 ロビーでは出演者全員のサインが入ったパンフレット(1000円)が販売されていた。
 見終わった後、買おうかしらと思っていたのだけれど、役者さんが物販もやっていて、駅前劇場の狭いロビーは大混雑、物販を担当している役者さんの知り合いらしい人々で物販前のテーブルはさらに大混雑していて諦めた。

 東京マハロの公式Webサイトはこちら。

 開演前から真っ白な感じのセットが見えている。
 白いパイプベッド、白いテーブルと椅子、白い二人がけのソファ、白いロッカー、絨毯は白というよりもアイボリーという感じで、結構広い。
 何よりもパイプベッドの存在が、ちょっと広すぎる感じがありつつもそこが病室であることを告げている。
 でも、オープニングは土屋史子演じる亜美子が赤々と燃える窓外の火に慄くシーンである。病院とは相容れない感じの、不穏な幕開けだ。

 お話としてはかなり「ベタ」と言っていいと思う。
 王道を王道としてどこまで追求ができるか突っ走ってみました、という感じだ。そして、私はこの開き直ったベタさ加減は結構いいと思った。ここまでベタで徹底できれば、それは「主張」というのか、「姿勢」になっていると思う。
 白血病の女の子、隣の病室にはやはり白血病の若い男の子がいて、抗がん剤治療から移植に向けて舵を切っている。彼女も抗がん剤治療を試みているけれど芳しい結果が出ていない。

 彼女の両親は2年前に事故で亡くなり、唯一の肉親である兄は病院にやって来ない。というよりも、彼女はそもそも報せていないようだ。津乃村真子演じる近所のお姉さんリカコが水を向けても気がつかない振りをしている。
 骨髄移植は兄弟間で型が一致する可能性が非常に高く、医師たちも兄の存在に望みをかけているけれど、本人が「兄に頼りたくない」と言い張る。そこには何か事情やしがらみがあるようだ。
 有川マコト演じるその兄が病院にやってきて、検査の結果、白血球の型も適合すると判明する。しかし、彼女は、兄が両親と口論の末に家に火をつけたのだと思い込んでいて(あるいは、思い込もうとしていて)、両親を殺した兄の助けは受けたくない、その血を自分の体に入れたくないと叫び、兄の方は自分はやっていない、自分がやっていないということを身内には信じて欲しかったと激昂する。

 隣の病室にいた関戸博一演じる「えびちゃん」が一度はドナーが見つかって骨髄移植の準備に入ったのに中止になってしまったり、亜美自身の健康状態がどんどん悪くなって行ったり、えびちゃんに適合するドナーがいて生きるチャンスが目の前に転がっているのにそれに手を出さないなんて贅沢だと言われ、武藤晃子演じる児玉婦長からは元気よく「自分だったらなりふり構わず生きようとする」と言われる。
 いや、それにしても武藤晃子も変幻自在な女優である。一体、実年齢はいくつなんだろうと思う。
 骨髄移植自体に拒否反応を示していた亜美も、骨髄移植を前向きに考えると言い、兄からの骨髄移植を受け入れようかという変化を見せた矢先に、朝倉伸二演じる移植コーディネーターの内村が飛び込んでくる。骨髄バンクで適合するドナーが見つかったというのだ。

 この辺りで、概ねオチは見える。
 オチを判った上で見て欲しいということなのか、割と早いうちに亜美がドナーの正体にうすうす感づいていることが示されるのだ。
 こうなると、私の興味は俄然「この芝居をどうやって終わらせるのか」という一点に向かうことになる。

 オチに向かう前にひとつ、劇中で「北の国から」のパロディが演じられたのが可笑しかった。一応、亜美が子どもの頃の思い出や両親と一緒に見たドラマを夢に見るという前振りというか言い訳がついていたけれど、どちらかというと、ずっと重苦しい話をしてきたその息抜きという感じだろう。
 ベランダに4人が並んで、武藤晃子が小柄な体を大きく使って指揮をし、「ルールー」というあの音楽がアカペラで歌われる。このシーン、別になくても良かったのではという気もするし、純と蛍の兄妹と劇中の兄妹とのともにギクシャクした感じが合っているという風にも思える。
 亜美の担当医を演じている八代進一が純と蛍の父親役を物まね風に演じているのもちょっと可笑しい。そして、この配役の意味は? とちょっと考える。

 亜美が骨髄移植に向かったところで暗転し、手術後、ドナーとしての手紙を兄が妹の担当医に託すところで、明確に「骨髄バンクで適合するドナーがいた」というのがコーディネーターから医師から看護師まで周知の嘘だったということが明かされる。
 そういうことが可能なのかしら、家族が同意していればいいのかしら、と思ったのだけれど、実際のところはどうなんだろう。この場合は、亜美本人が「兄からの骨髄提供を受ける」という方向で決心していたようだから、最終的には問題ないのだろうとは思わせられるけれど、やはり気になる。

 ベタな展開は最後まで続く。
 亜美がいた病室で、ベッドには誰かが寝ており、医師・婦長(そういえば、ずっと婦長と言っていたような気がするけれど、今言うなら「士長」だろう)・コーディネーターの3人が暗い表情でやり切れなさを発散している。
 亜美の移植は上手く行かなかったのか・・・。
 そう思わせておいて、元気な亜美を飛び込んで来させる。いや、ベタもここまでやったらやっぱり見事である。徹し切るというのはやはりなかなかできまい。
 ちなみに、3人の表情が暗かったのは、亜美が骨髄移植の経験を元に書いた小説のデキがあんまり・・・、だったからというオチがついた。

 えびちゃんは骨髄移植が決まり、亜美も健康を取り戻しつつある。
 最後の懸案事項として残ったのは、亜美と兄との関係である。亜美がドナーへの手紙をコーディネーターに手渡し、その手紙は兄の手元に渡る。
 ちなみに、ドナーからの手紙も患者からの手紙も封はされていない。

 ラストは、兄が亜美の手紙を読むシーンである。
 手紙の中で、亜美は、ドナーが兄であったことをうすうす知っていたし、自分がしていることを兄も知っていたのでしょう、と語る。
 感謝しているけれども許してはいないとも語る。
 火事のときに兄を信じられなくて自分も苦しかったと語る。
 いつ、どういう心の動きで亜美が兄を許すようになったのか、そこをもっと突き詰めて欲しかったなと思う反面、これでよかったのではないかとも思う。

 ベタの王道。
 泣けはしなかったけれど、でも、誰も死なない、悪人はいない、そういう芝居を楽しんだ。

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