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2012.05.12

「THE BEE」を見る

NODA・MAP番外公演「THE BEE」Japanese Version
原作 筒井康隆
共同脚本 野田秀樹&Colin Teevan 
演出 野田秀樹
出演 宮沢りえ/池田成志/近藤良平/野田秀樹
観劇日 2012年5月12日(土曜日)午後4時開演
劇場 水天宮ピット 大スタジオ
上演時間 1時間15分
料金 7500円

 水天宮ピットというのは、廃校になった小学校(だと思われる)の校舎と校庭に建てたスタジオとの総称のようだ。
 元校舎をロビー代わりに、校庭を抜けてその先の劇場(スタジオ)は、本当にドアを入ったらいきなり客席である。流石にこういう形だと、椅子の座り心地は今ひとつだった。

 ロビーではパンフレット(700円)や、野田秀樹の著作本が販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 野田地図の公式Webサイトはこちら。

 やっぱり苦手だった、というのが正直な感想である。
 初演を見たときにもやっぱり苦手だと思ったし、そう思ったことを鮮明に記憶しているのにまた見に行ってしまった・・・、何故だ…、と思う。怖いもの見たさ、だけではないような気がする。
 初演のJapanese Versionも見ている。連投は野田秀樹と近藤良平、新しく宮沢りえと池田成志が加わっている。一言で言って、身体性が少しだけ後ろに下がったという感じだ。代わりに生まれたものは落差だろうか。

 記憶の限りで、セットや音楽などは大きくイメージを変えることはしていないと思う。役者が変わることで芝居がどう変わるか、という再演だ。
 ここは変わったんじゃないかと思ったのは、最初の井戸があくまでも「妻子を人質に取られた被害者」である時間にゴムを多用していたことだった。ゴムをカップラーメンの麺に見立てて音を立てて警官役の3人が食べているのをみたときには、どんなお芝居なのか知っているのに、思わず笑ってしまった。

 初演を見たときは「どうして今この芝居なのか」と思ったし、野田秀樹演じる井戸があまりにも自分を普通だと主張し、「いい人」を自覚的に演じていることに大袈裟にいえば恐怖を感じたのだけれど、今回は何故だかそこに引っかかりを覚えなかった。
 どうしてだろう。

 自らの妻子を脱獄犯小古呂の人質に取られた井戸が、逆に小古呂の妻子を人質に取り、それぞれが相手に要求をぶつける。それぞれが相手に「そこから出てこっちに自分の妻子を連れて来い」なものだから交渉は最初から全く噛み合わず、相手を従わせようとして行う「脅迫」が互いにエスカレートして行く。
 最初、井戸は、自宅に立てこもった犯人を説得してくれるように小古呂の妻を訪ねた筈なのだけれど、それがどうして逆に小古呂の妻子を人質に取ることになったのか、そのきっかけは何だったのか。
 「被害者を演じることに向いていない」というような台詞があったと思うけれど、だとすると、井戸に被害者を演じさせようとしたマスコミの責任ということになるのか、そもそも全てを演じようとするところに根っこのある問題なのか。

 井戸は、自分の妻子を解放するよう要求して、小古呂の6歳の子供の指(鉛筆で擬制されている)を毎日1本ずつ切り落とし、池田成志演じる百百山警部に小古呂の元に届けさせる。子供が死んでしまうと、次には宮沢りえ演じる小古呂の妻の手の指を切り始める。
 そうすると、逆に、小古呂からも井戸の妻子のものだろう指が返事のように百百山によって届けられてくる。
 それなのに、井戸は毎朝顔を洗って髭を剃り、スーツの上着を着るし、小古呂の妻は食事を作り、井戸のスーツにアイロンを当て、子供と井戸と3人で食卓を囲む。そこには「日常」があるはずがないのに、行われていることは日常のあれこれである。

 この「THE BEE」というお芝居を説明するのに「復讐の連鎖」という言葉を見かけたことがあるように思う。
 確かに井戸と小古呂の応酬は日々エスカレートしていくし、その「指を切り落とす」等の暴力的なシーンは、見た目は鉛筆を折ったり包丁をのこぎりのように使って鉛筆を切っているだけといえばそうなのだけれど、私には正視できない。私は結局、このお芝居をいつでも目が潰れるように、目を隠すことができるように、見ていたように思う。
 唯一私が「正視した」と言い切れるのは、井戸が鏡台の鏡を見つめて狂気に入り込んでいくときの表情だけだったかも知れない。このときは逆に視線を外せなかったのだ。

 話を戻して、でも、その「復讐の連鎖」よりも怖いのは「惰性」のような感じを受けた。
 平穏無事な日常がどんどん壊れていくのに感覚の方は麻痺していき、あり得べからざる非日常がまるで日常のようになってくる。井戸と小古呂の妻が毎夜寝る様子は惰性のようにも妻が誘っているようにすら見えてくる。
 その、惰性の感じが恐ろしい。
 最後には、脳天気な昭和歌謡の音楽が急に止まっただけでびくっと反応してしまったくらいだった。

 今回は「何故今上演するのか」という気持ちよりも、「あぁ、これがそうなのか」という感じの方が強かった。どれが「これ」で何が「そう」なのかは説明できないのだけれど、何とか尻尾を掴めたような気がする。
 終演後、席から立ち上がったときと、明るい外に出たとき、何だかくらっと来た。
 そこが、日常と非日常の境目だったように思う。

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