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「藪原検校」
作 井上ひさし
演出 栗山民也
出演 野村萬斎/秋山菜津子/浅野和之/小日向文世
熊谷真実/山内圭哉/たかお鷹/大鷹明良
津田真澄/山﨑薫
ギター演奏 千葉伸彦
観劇日 2012年6月29日(金曜日) 午後6時30分開演
劇場 世田谷パブリックシアター 1階L列26番
料金 8500円
上演時間 2時間45分(15分間の休憩あり)
ロビーでパンフレット等が販売されていたと思うのだけれど、実はあんまり覚えていない。
ネタバレありの感想は以下に。
野村萬斎が「悪」の権化のような藪原検校を演じるというのは意外といえば意外だし、今まで演じていなかったことが意外といえば意外のような気がする。
「藪原検校」は、野村萬斎演じる「杉の市」という目の見えない男が生まれる前から、そして刑死させられるまでの一生を描いたお芝居である。浅野和之演じる按摩がその一生を語り、劇中劇として見せるという趣向なのだけれど、少なくとも今回はあまりこの「劇中劇」という面は強調されていなかったように思う。
この狂言回しとも語り部ともいうべき浅野和之の出番と台詞は多く、ほぼ出ずっぱりである。ギター演奏の千葉伸彦と並んで舞台端の前方に陣取り、劇中劇が演じられている間もそこを動くことはない。もちろん照明の力もあるけれど、その気配の消し方、立て方が、自然すぎて怖いくらいである。
この浅野和之の自在さが、この「藪原検校」というお芝居を成立させている一つであることは間違いない。
その語りに乗せて、杉の市の出生から語られて行く。
杉の市の父親はいわば「小悪党」というところで、熊谷真実演じる正直者の妻を迎えて更正したかと思ったところ、出産費用欲しさに道行く座頭を殺してお金を奪ってしまう。生まれた杉の市は、正直者だけれど美しくはない母の容貌を受け継ぎ、父の小悪党から「小」を除いて受け継ぎ、そして目が見えない。自分の所業のせいだと思った父親は自殺し、母は息子を琴の市という師匠に預け、杉の市が暮らしに困らないようにと考える。
たかお鷹演じる琴の市の下で杉の市は、秋山奈津子演じる師匠の妻お市と通じ、そのことを師匠も承知しているけれど、杉の市の「語り」が滅法上手かったことから見て見ぬ振りをされている。
ここで一席、杉の市が語るのだけれど、語っているのは野村萬斎な訳で、何というか苦もなくすらすらと魅力爆発で語る様子が本物の杉の市もこうだったんだろうなと思わせ、圧巻だった。間違いなく、前半のクライマックスの一つである。
明治前後まで続いていたそうなのだけれど、目の見えない人々は村々を回って浄瑠璃を語り、その代金として一宿一飯をもらうという生活をしていたのだそうだ。師匠と一緒にそうした生活をしていた杉の市は、ある日、「検校が語っている場所から一里四方で語ってはいけないという掟を知らないのか」と怒鳴り込んで来た検校に、師匠である琴の市から売られそうになり、逆にお市に師匠を殺させて出奔しようとする。
別れを告げに行った母親を誤って殺したところで、悪の道を進むことに後悔はないと言うのだけれど、いやいや、これまでもあなたはずっと悪事を働いてきていますね、と思う。
その悪に目覚める瞬間といえばいいのか、悪を自覚する瞬間といえばいいのか、そのタイミングに何となく釈然としないという感想をつい最近抱いたなと思って考えたら、それは「天日坊」だった。
「天日坊」とは別の意味で、この杉の市も何故だかあまり悪人に見えない。
それは、野村萬斎がその歩き方等々でどちらかというと滑稽味を出すようにしていたからのようにも思えるし、そもそも、検校となった男の横紙破りでその日の稼ぎを奪われ、師匠に売られそうになり、誤って母を殺してしまった杉の市が何かに対抗するように抵抗するように「生き延びるためには金だ」と思い切ることがそれほど悪いことにも見えないからだとも思える。何しろ、検校になるためには719両ものお金を用意しないといけないというのだ。その検校に納得のいかない横紙破りをされれば、それは「金は力だ」になっても不思議はない。
要するに、悪人かも知れないけれど必死で、「酷薄さ」はこの杉の市にはないのだ。
江戸へ出てきた杉の市は、小日向文世演じる塙保己一という男と出会う。やはり座頭(より一つ出世していたと思うのだけれど、その名前が思い浮かばない)である彼は、学問・品位で晴眼の者と対等の立場を得ようと決心しているらしい。
2人を並べると、いかにも保己一は、白黒でいえば黒、清濁でいえば清のように作られているけれど、そもそも保己一自身が、自分と杉の市は似ていると言っている。現状に満足できず、そこからどうにかして脱しようともがいているところは同じだ、その手段として選んだのが、杉の市はお金で(しかも、そのお金を得るためには人殺しも辞さない)、保己一は学問だったというだけのことである。
「だけのこと」と言いたくなるくらい、やはり、この2人にそれほど差があるようには見えないのだ。
ここまで、バレそうになりつつも何とか上手く転がってきた杉の市を最後の最後に転ばせたのは、お市である。
杉の市は、夫である琴の市を殺し、でも返り討ちにあってお市も死んでしまったと思っていたのだけれど、実は息を吹き返して江戸に出てきていたのだ。
どちらも気にしていないのでとりあえず私が気にしておきたいのだけれど、この2人の間に生まれた筈の赤ん坊はどうしてしまったのだろう。子供についてどちらも一言も触れない辺りが、少しだけぞっとする。どちらも自分のことしか考えていないのだ。
結局、この再会が杉の市の足もとを完全に救うことになる。
藪原検校の下で貸した金の取り立てでめきめき頭角を現していた杉の市は(ところで、本筋とは関係ないけれど、弟子に借金返済取り立てをやらせていた初代藪原検校がどうして人格者として尊敬を集めていたのか、そこのところが今ひとつ腑に落ちない)、ついには師匠を殺し、自分が二代目藪原検校となることを決意する。
その決意のしどころはおかしいから、と誰にもツッコミを入れてもらえなかったのが杉の市の不幸の元だ。
その藪原検校となる儀式に向かう途中でお市と再会し、彼女に自分と添い遂げなければ杉の市の悪事を全てばらすと脅され、彼女を殺してしまう。これまで散々人殺しをしてきた杉の市だったけれど、このときだけは、周りに多くの目撃者がいたのだ。
そうして藪原検校は捕まるけれど、金の力なのか、処刑はされずにいる。
そこへ、松平定知の治世が始まったのが運の尽きである。倹約を江戸庶民に知らしめようと考えた定知は、その手段を保己一に相談する。
保己一は、逡巡する風情を見せつつも、でも結局はキッパリと、悪の権化のような藪原検校を人々の目の前で残虐に処刑することで人々の目を覚ますことができるだろうと語る。
この進言をすれば自分は友人を一人失うことになると言いつつ、その「残虐な処刑」の中味まで細かく指定するのだから、まさに鉄面皮である。
でも、恐らくこのときの保己一は、自分が藪原検校に対して例えば嫉妬しているなどということも思いも浮かばず、そして定知の知遇に応えようという気持ちもあったとは思うけれど、自分達目の見えない者たちにとって藪原検校は邪魔である、自分達のというよりも自分がこれまで営々と築き上げてきたものを壊そうとした藪原検校への恨みなのか憎しみがその発言の源だとは決して気付かず、思わなかったんだろうという気がする。
だからこその「悪」である。
そして、藪原検校は保己一の進言通りの残虐な方法で処刑される。
「藪原検校」というお芝居、藪原検校自身や彼が為した悪について、それほど嫌悪感を持たない。
ただ、「何かが語られた」という確信を残す。
それをこれだけの芸達者な役者さん達を集めて語るのだから、もう怖いものなしである。
堪能した。
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