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2012.08.26

「ふくすけ」を見る

「ふくすけ」
作・演出・出演 松尾スズキ
出演 古田新太/阿部サダヲ/多部未華子/皆川猿時
    小松和重/江本純子/宍戸美和公/村杉蝉之介
    平岩紙/少路勇介/オクイシュージ/大竹しのぶ/他
観劇日 2012年8月24日(金曜日)午後7時開演
劇場 シアターコクーン 2階D列12番
料金 9500円
上演時間 2時間50分(15分の休憩あり)

 ロビーでは、パンフレットやポスター(値段はチェックしそびれてしまった)等が販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 シアターコクーンの公式Webサイト内、「ふくすけ」のページはこちら。

 初演はもちろん、再演の「ふくすけ」も見ていないので、私は全く初めてである。
 何というか、もの凄く偽悪的なといえばいいのか、劣等感を刺激されるといえばいいのか、そういったお芝居を想像していたので、意外なくらい淡泊な舞台に見えたのが不思議だった。
 それは、シアターコクーンという劇場の大きさもそうだし、私の関が2階席で、オペラグラスはときどき使ったけれどそれにしても舞台が遠かったという理由もあると思う。
 変な感想だけれど、案ずるより産むが易しという感じだった。何しろ、見る前は「途中で席を立つかもしれない」と思っていたくらいなのだ。

 物語は一本筋を通してあるというよりは、新宿歌舞伎町を思わせる(いや、そう目一杯断言していたような気もする)街や、北九州の街などで起こる事件を、回り舞台を使って場面を次々に変えながら、フラッシュバックのように見せて行く。
 大竹しのぶ演じる14年前に出て行ってしまった妻マスと、古田新太演じる彼女をを探して東京に出てきた北九州でメッキ工場を経営する男ヒデイチ、多部未華子演じる彼と「延長」し続けるホテトル嬢フタバ(って、今も使われている言葉なんだろうか)と、皆川猿時演じるフタバの元彼のルポライターであるタモツ、まずこの4人でひとくくりである。
 古田新太は冴えない中年男、という感じで、それがハマっているところが可笑しい。捨之介のときの色気はどこに行ってしまったのだろうという風情である。
 多部未華子は、立ち姿がすらっとしているのと(手足が長いのに違いない)、声が透るのがポイントだと思う。

 歌舞伎町では、小松和重、江本純子、宍戸美和公演じるコズミ三姉妹がめきめきと風俗産業で頭角を現し、ついでに不動産業などにも手を出し、どんどんのし上がって行っているらしい。彼女らの趣味が、不発弾を集めて飾ることだというのだから恐ろしい限りである。
 末妹は何故かやたらと霊感が発達していて、その彼女の霊感を頼りに大きくなってきたのだけれど、さらにそこに、やたらと匂いに敏感な女が現れ、彼女らの商売に次々に新たなアイデアを提供し、そのアイデアが次々に大当たりしてますますコズミ三姉妹の繁栄は確実かつデカクなって行く。

 そして、オクイシュージ演じる怪しく崩れた男コオロギと、平岩紙演ずる目の見えない妻サカエという2人が、細かく笑いを取りつつ、何故か不穏な風情である。女の勘は侮れない。

 松尾スズキ演じる製薬会社社長ミスミは、薬害を作り出し、その薬を飲んだ結果、奇形の子供を産んでしまった女たちには「死産だ」と告げ、生まれた赤ん坊を集めて地下室で育てていたという男だ。
 その赤ん坊たちのうちの一人が、阿部サダヲ演じるフクスケ、ということになる。

 舞台が始まったばかりの頃は、時系列もバラバラ、人間関係もあるのかないのか判らないまま、回り舞台が回り、暗転するたびに場面が切り替わる。そのめまぐるしさに付いていくのがやっとという感じだ。
 タモツが実はミスミ社長の腰巾着のようにくっついていて、実は薬害をすっぱ抜いたのだということや、歌舞伎町の裏に詳しいからとフタバがヒデイチにタモツを紹介したところで、物語が破局に向かうことは決まったようにも思う。

 コオロギが警備員として勤める病院にフクスケがやってきて、フクスケは幼気な被害者を装っていたけれどそのウソを見抜いたのはコオロギ一人で、その実は、実に冷静沈着、どうすれば人の同情を買うことができるのか、どうやって人の感情を操ればいいのか知り尽くした知性派である。加えて、非常に醒めた目を持っている。アジテーションも上手い。
 コオロギがサカエとともに新興宗教を始めて上手く行ったのも、サカエに神が降りて来たということもあるだろうけれど、フクスケがその企てに一枚噛んだということも大きいだろう。
 そして、コズミ三姉妹のところにやってきた得体の知れない女は実はマスで、何故か都知事選挙に立候補したり、何だかしっちゃかめっちゃかなのだけれど、何となく一本にまとまりつつある風情を醸し出したところで休憩に入る。

 休憩後は、しっちゃかめっちゃかに見せて前半に張り巡らせた伏線をこれでもかとばかりに回収して行く。
 コズミ達が歌舞伎町に初めて来た日に見捨てた赤ん坊が実はサカエで、だからサカエに降りてくる神はコズミ三姉妹を敵視していたこととか、マスがヒデイチとの結婚生活で12年の間毎年家を離れていた理由だとか、自分のことをすっぱ抜かれたミスミがすっぱ抜いたライターではなくその元彼女であったフタバを殺してしまったり、一方でライターはマスとヒデイチのことを調べまくって、12年前に死産したと告げられていたヒデイチとマスの子供が実はフクスケだったことが判明する。
 「判明する」というよりは、フクスケは元々そのことを知っていたようだ。
 サカエから神が落ち、サカエ抜きでフクスケ奪還のためにコズミ姉妹を襲った信者達はコズミ三姉妹を殲滅するけれど自分たちも返り討ちに遭う。奪還される筈のフクスケは、実は監禁中に通信教育で覚えた空手で脱出し、都知事選の開票を待っていたマスを、というところで幕である。

 思っていたよりも「逃げ出したい」という感じにならなかったのは、劇場の大きさなのかなという風に思う。舞台もそうだし、何より、観客席が広く自分自身の席が舞台から遠いとやはり「ほとり」という感じになってしまう。
 ダイレクトに伝わって来ずに、間に衝撃を吸収するようなゼリー状の物が挟まっている感じなのだ。
 そして、パワーも拡散され、薄まるように思う。
 これがもっと小さな劇場でもっと舞台に近い席から見ていたら、かなりいたたまれなかったような気がする。
 それと、やはり初演の頃よりも今の方が現実のいたたまれなさが大きくて、どこか感じ取る力が麻痺してしまっているように思う。「事実は小説よりも奇なり」を地で行ってしまっているようなところはあるのではないだろうか。
 何か、上手く言えないのだけれど、辛いなと思う。

 より強い刺激を日常で受け、より強い刺激を舞台に求める。
 より刺激を求める人が増え、でも一度にたくさんの人に対すると密度が薄まるのは当然のことだ。
 多分、「ふくすけ」はそういう芝居ではないのだけれど、何だかそんなことを考えてしまったのだった。

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