「マウリッツハイス美術館展」に行く
先日、改装なった東京都美術館で2012年9月17日まで開催されている、「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」に行ってきた。
6月半ばから始まっていたのに、「混雑していそうだ」となかなか腰が上がらなかったのだけれど、9月半ばの終了に向けて焦る気持ちが湧いてきたことと、混雑していることから毎日の閉館時間を18時30分にしたという話を聞いて、やっぱり行こうと思い直したのだ。
そうしたら、翌日になって気がついたことには、最後の1週間は連日20時まで開館するらしい。相当な混雑を予想しているのだろう。
マウリッツハイス美術館はオランダのハーグにある小さな美術館である。
卒業旅行でオランダに行ったときにこの美術館にもぜひ行きたかったのだけれど、ちょうど特別展と特別展との狭間の時期で入れ替えのため休館していたのだ。休館後に開催されるのがレンブラント展だったことも、私の悔しさをさらに増幅させたものだった。今回はそのリベンジの意味もある。
あんなに小さい美術館からこんなに絵画を持ってきて大丈夫なのかと思ったら、現在、マウリッツハイス美術館は地下室を作ったり展示室を拡張したりの工事中なのだそうだ。だからこそ実現した美術館展なのだと納得した。
16時30分頃に行ったので、流石にチケット売場や入口に行列はなかった。
荷物をコインロッカーに預け、チケットを購入し、イヤホンガイドを借りて(これもリニューアルされて、現在説明している画像が表示されるようになっていた。なかなか便利である。)、入場した。
入場すると、流石に絵や説明の前には二重か三重くらいの人だかりになっていた。「混雑しているので」は伊達ではなかったらしい。
そういえば、イヤホンガイドが説明している絵の一覧はもらったのだけれど、出展作品リストは見逃したのか、貰いそびれてしまった。
17世紀フランドル絵画の傑作が来ているということで、風景画から始まり、宗教画、肖像画、静物画、風俗画とコーナーを分け、展示されている。
それまで、風景画は単なる「添え物」だったのが、それだけで主題として取り上げられるようになり、しかしやはり物語を知り、解釈を必要とする宗教画・歴史画が「絵」の最高峰と考えられていたという。
また、この頃のオランダは富裕層というのか、貿易のおかげで庶民が非常に潤っていた時代で、他の場所、他の時代では考えにくいことに、一般市民の家に絵が普通に飾られていたのだそうだ。
だから、手ごろなサイズの絵が多いのかしらと思う。
やはり、宮殿に飾られる絵と、富裕層とはいえ市民の家に飾られる絵とで、適切なサイズが異なるのは当然のことだろう。
今回、フェルメールの絵はかの「真珠の耳飾りの少女」しか来ていないと思い込んでいたのだけれど、フェルメールもスタートは宗教画だったということで、「ダイアナとニンフたち」も静かに来日していた。
何というか、普通の宗教画である。
特徴がないというべきなのか、例えば「真珠の耳飾りの少女」などの室内を描いた絵で感じられる光は特にその存在感を際立たせてはいない。ちょっと意外な感じである。
そういう意味で、宗教画のコーナーでフェルメールよりも「光」を感じさせたのはレンブラントだ。
シメオンがイエス・キリストに出会った場面が描かれている「キリストの神殿奉献」という絵では、暗い神殿内部で、彼らがいる一角だけが天井から射す光で明るくなっている。周りにいる人々や神殿内部の様子は全く闇に沈んでいる。
レンブラントの工房にいたという弟子が描いた同じ場面の絵と並べて展示されていたのだけれど、そちらとも全く違う、分厚い光がそこにあった。
ところで、この特別展は3フロアにまたがって展示されている。
大体、1フロアに2テーマの絵が展示され、エスカレーターで移動するのだけれど、このエスカレーターが片道なのだ。
結構、先まで行っては戻ってきてまた見るというようなうろつき方をする私にはちょっと不便な展示室である。「不可逆なのか」と思っていたら、最後に出口を出たところで(完全に出る前に)もう一度展示室内に戻ることが許されていた。
逆に言うと、フロアを動いてしまってから前に見た絵をもう一度見たいと思ったら、出口まで行って再度入り直すしかないということになる。
待望の「真珠の耳飾りの少女」は、この展覧会のちょうど中央付近にあった。
「最前列で見たい方はこちらへ」とディズニーランドばりの蛇行する待ち行列ができている。私が行ったときはちょうど30分待ちと言われた。一方、「肩越しでも構わない」という人は、そのまま真っ直ぐ進めばいい。
ここは、30分待ちと言われようと並ぶしかあるまい。
蛇行して進む間にも、ちらちらと人の頭越しに「真珠の耳飾りの少女」と目が遭う。
これは、なかなか適わない片思いをしている風情で、やはり暗めに抑えられた照明の先に明るく光る彼女がいる、というのはなかなかの演出だと思う。
一応、それなりの視力を保っているので(最近はかなり落ちてきているけれど)、少し進むと耳飾の真珠のきらめきも判別できるようになる。
どの位置から見ても絵の彼女と目が合っているような錯覚を起こす。
何だか、近づいて行っている筈なのに、どんどん彼女が逃げているような気分にもなってくる。
それでも、少しずつ進んでいればいつかは最前列に出られるのである。
「少しずつ歩きながらご覧ください」というスタッフの方の注意に従いつつ、でも、やっぱり、この絵の真正面に立った瞬間、立ち止まって凝視してしまった。
前後が少しだけ間が空いていたこともあって、「絵と私だけ」という時間が確実にあったと思う。そこにあるのは絵と私だけで、後ろに並んでいる人も、他の絵も、全て背景のように遠のき、私の周りにはこの絵しかない、という感覚に包まれた。
満足である。
スタッフの方からも促され、絵の前を離れた。
この後も、マウリッツハイス美術館展はまだ半分近く残っている。
レンブラントの自画像もあったし、ファン・ダイクの肖像画もあった。
カレル・ファブリティウスという画家の描いた「ごしきひわ」という小鳥を描いた絵がとても印象に残っている。背景なしで、小鳥が一羽いるだけの、シンプルといえばシンプルな何でもない絵なのだけれど、イヤホンガイドが絶賛していたこともあって(単純な私はすぐ影響されてしまう。)何だか心温まる気がする絵だった。
トータルで1時間ちょっと、気になる絵の前では引いたり前に行ったり、真珠の耳飾の少女のために30分くらい待ったり(測っていなかったので実際の待ち時間は不明)、また少し戻ってみたりして、結構楽しい時間を過ごした。
美術展を出てエスカレーターで出口に向かうところに、真珠の耳飾りの少女が着ていただろう服を研究・想像しつつ作り上げ、プレス発表の際に武井咲が身に着けたというドレスとターバンが展示されていた。
ここは写真撮影できるらしかったのだけれど、カメラを持っていなかったので諦める。携帯で写真撮影をしている人が大勢いた。
この「真珠の耳飾りの少女」は特定のモデルはいないけれど上流階級の少女がイメージされるということで、映画よりも「いいお洋服」になっているのがちょっと楽しい。
ミュージアムショップがかなり盛況だった。
絵葉書やクリアファイルが次々と売れていたし、買い物籠が必要なんじゃないかと思うほどお土産を抱えている人もちらほらいる。
「ミッフィーがフェルメールを見る」という絵本が凄く気になったし、「真珠の耳飾の少女」に装ったミッフィー人形もかなり気になったのだけれど、実物大から顔の一部を切り取った「真珠の耳飾の少女」の絵葉書だけ買って、会場を後にした。
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