「ベルリン国立美術館展」に行く
先日、国立西洋美術館で2012年9月17日まで開催されている、「ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年」に行ってきた。
ミーハーの私としては、初来日だというフェルメールの「真珠の首飾りの少女」を見たい、というだけで出かけたようなものだ。
その他にどんな絵が来ているのか全くチェックしなかったし、「学べるヨーロッパ美術の400年」というサブタイトルも帰ってきてから知ったくらいだ。
日曜の夕方に行けば多少は空いているのではないかと思ったのだけれど、チケット売り場は3人目くらい、流石に建物の外に並ぶことはなかったけれど、入館するとどの絵(そして彫刻)の前にも三重くらいの人垣が出来ている、という感じだった。
毎度思うのだけれど、自分も含め、作品ではなく作品解説の文章の前で立ち止まっている人の何と多いことか。あの説明文を紙にして配ってしまえば、かなり混雑は解消されるのではなかろうか。
ヨーロッパ美術の400年ということで、15世紀から19世紀にかけての作品が集められている。
第1章の15世紀の「宗教と日常生活」から始まる。絵画とともに彫刻も結構な点数がやってきている。「**(地名)の彫刻家」の作品が多いのは何だかなと思う。ミーハーの私としては作者不詳の作品というのは、それほど美術館でも重要視されていない作品ということなのではと思ってしまうのだ。
この時代は、「宗教画が人間を描くように描かれるようになった時代」らしい。
でも、宗教画にほとんど興味のない私は、混雑していたこともあって、ほとんどスルーしてしまった。
第2章は、15〜16世紀の「魅惑の肖像画」である。
貴族ではなく庶民(商人)が力をつけてきたことにより、彼らが絵を買い、彼らの絵が描かれるようになったというのは、「マウリッツハイス美術館展」の解説でも読んだところである。
ベルリン美術館展ではヨーロッパ全体を対象としているので、オランダの前に同じ状況が出現したスペインの話から語り起こされているけれど、いずれにせよ貿易がその契機であることは間違いない。
このコーナーの白眉はやはりデューラーが描いた「ヤーコプ・ムッフェルの肖像」だろう。「写し取った」という印象の強い肖像画で、修正がかなり加えられていたのだろう貴族や王族の肖像画とはやはり違って見えるのだ。
第3章は、16世紀の「マニエリムスの身体」というタイトルだ。
とにかくやたらと手足の長い、体のカタイ私にはとても無理なポーズを取っている人の彫刻(小さいサイズ)が並んでいた、という印象しかない。
さらに言うと「だからどうした」という印象のコーナーだったのだった。
第4章は、17世紀「絵画の黄金時代」である。
ここに、待望のフェルメール「真珠の首飾りの少女」がいる。
「真珠の首飾りの少女」と、同時代の画家であるレンブラントが描いた「ミネルヴァ」と、レンブラントの工房で描かれたという「黄金の兜の男」が同じ部屋(しかも、少し小さめ)に飾られているため、この部屋だけひどく混雑している。
しかし、この部屋に来るためだけに来たようなものなのだ、どれだけ人が多かろうと、スルーするわけにはいかない。
レンブラントの「ミネルヴァ」は、何というか、私は心惹かれない女神だった。メデューサの頭をつけた盾が奥においてあると言うのだけれど、どれだけしげしげと見てもどこにあるのかさっぱり判らない。別にメデューサの頭が識別できなくてもいいのだけれど、そっちが気になるくらい女神自身から、例えば神々しさとか凛々しさを感じることはできなかった。
理由はよく判らない。
間違いなく、光と影のコントラストの強い、レンブラントらしい絵だったからなおさらだ。
レンブラントについて考えるのはとりあえず中止して、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」である。
東京都美術館とは違って「最前列専用レーン」はないけれど、やはり「最前列の方は少しずつ進みながらご覧になってください」と係の方から声がかかる。全体の照明が明るめなこともあって、「真珠の耳飾りの少女」で感じたような1対1という感じはない。
でも、逆に、最前列の人が抜けていく方向の少し後方に立っていると、結構、前に人がおらず絵全体が見られる時間がある。かなりしばらくそのポジションをキープしてしまった。
画面左側の窓から光が射し、画面右側にいる少女(というタイトルだけれど、私には大人の女性に見える)が真珠の首飾りを両手に持って胸に当て、窓の隣にある鏡を覗き込んでいる。
しかし、窓も鏡も左側の壁にぴたりと沿って薄くしか見えないし、彼女は画面右1/3くらいに収まっているし、ど真ん中の一等地にはただ白い壁が光っている、不思議な絵である。
その白い壁が明るすぎるせいか、画面下半分の、鏡の下の壷とか、その壷が載っているテーブルや、テーブルに無造作に置かれた布地、テーブルの手前にかなり大きく、でも右下の角に沿うような形で描かれた椅子などは完全に闇に沈んでいる。
画面左側に描かれた寄せられたカーテンと、女性の上着は黄色である。
一方、机の上に無造作に丸められた布は、恐らくはブルーだ。黄色とブルーの対比はここでも使われている。
彼女に頭につけられているオレンジ(朱色?)の飾りが一点、とても効いている。
もう、ここはミーハーに徹することにして、ひたすらこの絵を見ていた。私にとってこの「ベルリン国立美術館展」は、真珠の首飾りの少女「ワン アンド オンリー」という感じである。
少なくとも、15分くらいはこの絵の前にいたような気がする。
フェルメールとは関係なくここで気になったのは、風景画の位置づけの説明だった。
この時代、人と人の争いは激しく、だからこそ、人を中心としない(あるいは描かない)風景画が一ジャンルとして定着したという見方である。そういう捉え方もあるのか、と少し意外な感じがしたのだった。
第5章「啓蒙の近代へ」で18世紀に進み、でも、第6章では時代が戻って「魅惑のイタリア・ルネサンスの素描」となって「ベルリン美術館展」は終わる。
フェルメールで満足した私は、ボッティチェリの素描は「鳥獣戯画みたい」とちょっとしげしげと見たけれど、あとはさらっと見ることになったのだった。
ミュージアムショップでは、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」と、ダヴィドゾーンの「果物、花、ワイングラスのある静物」のグッズが目白押しだった。
「果物、花、ワイングラスのある静物」は確かに華やかで、今回来ていた絵の中では大柄だったけれど、ショップでここまで主役を張っているとは思わなかったので、かなり驚いた。
ついでに、絵の前以上に(「真珠の首飾りの少女」ほどではないけれど)の混雑振りだったことにも驚いた。これだけ売れるのだから、入館料はもうちょっとお安くてもいいのでは、と余計なことも考えたのだった。
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コメント
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
投稿: 職務履歴書 | 2012.10.18 03:03