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2012.10.29

「メトロポリタン美術館展 大地、海、空—4000年の美への旅」に行く

今日(2012年10月29日)、母がどこからか入手した内覧会のチケットで、東京都美術館で2013年1月4日まで開催されている、「メトロポリタン美術館展 大地、海、空—4000年の美への旅」に行ってきた。
 通常、メトロポリタン美術館展は月曜休室だけれど、普通にイヤホンガイドも借りられるようだったし、ミュージアムショップも開いていた。内覧会というのはそういう風に運営されているようだ。

 メトロポリタン美術館にはもちろん行ったことがないし、何というか、どういう美術館なのかというイメージも実はほとんど持っていない。
 だから、今回のメトロポリタン美術館展のイメージは、ひたすら、初来日だというゴッホの「糸杉」に尽きるところがあって、他にどんな作品が来ているのか全く知らないままに出かけてしまった。

 今回のメトロポリタン美術館展のテーマは、「自然」だそうだ。
 もっと言うと、「西洋の美術において、風景(大地、海、空)や動植物が、どのように捉えられてきたか」ということなのらしい。

 「第1章・理想化された自然」の「1-1 アルカディアー古典的な風景」では、何だか随分と似たような絵が並んでいるなという風に感じてしまった。17世紀から19世紀にかけて、ばらばらな年代に製作されているのにそういう風に感じたのは、どうやら、いずれも風景画で、かつ空の色味が似ている絵が多いためらしいということが判った。
 「1-2 擬人化された自然」に、レンブラントの「フローラ」という絵が含まれていた。花の女神(春の女神だったかも)の姿を描いた絵らしい。レンブラントというと、暗い背景から浮かび上がる人物像というイメージなのだけれど、この絵は不思議に明るい。

 「第2章・自然のなかの人々」の「2-1 聖人、英雄、自然のなかの人々」のトップにあったのは、「葉冠をつけた若者の頭部」という石灰岩の彫刻で、思わず「これを自然のなかの人々にくくるのは無理があるのでは・・・」と呟いてしまった。月桂冠のような冠を被っている(と思われる)のだけれど、これはどちらかというと「英雄」に当たるということなんだろうか。
 このコーナーは絵だけではなく、彫刻やガラス、お皿などもあってバラエティ豊かだ。
 そんな中に、ゴーギャンの「水浴するタヒチの女たち」という何を描いてもゴーギャンはゴーギャン(もっとも、この絵はゴーギャンらしい題材だと思うけれど)という絵と、ルノアールの「浜辺の人物」という盛装に近いような優雅な夫人が日傘を差して海辺でリラックスしている様子を描いた絵が並んでいると、やけに目立つ。随分とコントラストの激しい2人の絵を並べたものである。

 「2-1 狩人、農民、羊飼い」で印象に残ったのは、まずは、ミレーの「麦穂の山:秋」という、麦の穂をどーんと積んだ塚のようなものが大きく真ん中に3つでんと描かれた絵だ。隣にかけられた「草取りをする人々」という絵を描いたジュール・ブルトンと2人がよく比較されたということだったけれど、多分、ブルトンは「人」を描いているけれど、ミレーは「人」を描こうとはしていない(というのは私の勝手な印象である)というところが一番大きな違いなんじゃないかという気がした。
 そして、ゴッホがミレーの絵をお手本に(と言っていいのか判らないけれど、模写のようなものだと思う)描いた「歩きはじめ、ミレーに拠る」という絵が、薄いグリーンを基調に淡白なというか、私は「絵本の挿絵みたい」と思ったのだけれど、間違いなくゴッホの筆使いなのに何だかゴッホらしからぬ感じの可愛らしい絵だったことも印象深い。

 「第3章 胴部宇たち」の「3-1 ライオン、馬、その他の動物」では、「ライオンの頭の兜」が印象に残っている。金色で、でも思ったほどたてがみが立派ではなくて、兜としてはどう考えても実用的じゃないので儀式用かしらという感じの兜だったのだ。儀式用なら、どうせならもっと派手なたてがみにすればいいのにと間抜けなことを考えてしまう。
 マヌケといえば、「テーブルを組み立てる猿のガラス板」に描かれている猿は、やっていることは役に立たないというか無駄というか、そういうことなのだけれど、何だかひとまねこざるのジョージを思い出させて可愛らしかった。

 「3-2 鳥」では、エジプトの「ネクタネボ2世を守護するハヤブサの姿のホルス神を表す小像」が、やけに滑らかな黒い肌を見せていた。守護されているネクタネボ2世の小さい像がホルス神の足もとに彫ってあって、左足を出している。さて左足を出しているのは死んでいることの象徴だったか生きていることの象徴だったか思い出せなかったのだけれど、確認してみたところ、どうやら「生きている」という意味らしい。確かにファラオとしても生きている間に守護して貰いたいところだろう。

 「第4章 草花と庭」にあった、例えば「一角獣のテーブルカーペット」などは、何だかやけに既視感のある織物である。全体にグリーンの色調で、細かくて、反対色を効かせて刺繍してあって、モチーフには多く自然のものが選ばれかつ図案化されている。
 母などは「婦人雑誌でよく見るわね」と言うから情緒のないことおびただしい。

 「第5章 カメラが捉えた自然」では、その名のとおり、写真が展示されていた。もちろん、モノクロである。
 何より「あくびをするヒヒ」がユーモラスで笑ってしまった。絵はがきも用意されていて、買うかどうか一番迷ったものの一つである。

 「第6章 大地と空」の「6-1 森へ」に、待望のゴッホ「糸杉」があった。
 何というか、迫力のある糸杉である。恐ろしいくらいに厚塗りしてあり、厚塗りされた糸杉の枝や葉はとぐろを巻いていると言えばいいのか、呪いの樹のようにうねっていると言えばいいのか、「優美」とか「まっすぐ」といった、本物の糸杉の樹からはあまり思い浮かばない印象が浮かぶ。
 その糸杉が、これ以上ないくらい明るい空の下に、でも画面の半分近くを使って2本立っている。
 何というか、「青でも黄色でもないゴッホ」だった。

 「6-2 岩と山」、「6-3 空」と続く。ここにあったジョージア・オキーフの「骨盤 Ⅱ」という絵がかなりのインパクトだった。動物の骨盤の骨から空を見上げている構図なのだ。画面には(大ざっぱに言って)骨の白と空の青しかない。画家が女性だったことにも驚いたし、彼女が砂漠で動物の骨を拾うことを趣味にしていたということにはもっと驚いた。ちょっとおどろおどろしすぎる趣味ではなかろうか。しかし、画面は限りなく明るく、シンプルだ。

 「第7章 水の世界」でラストである。「7-1 水の生物」「7-2 海と水流」で最後だ。
 この辺りになると、イヤホンガイドも借りなかったのに2時間近く時間がたっていて、ちょっと疲れ気味だった。水生生物の大皿、という作品は、つまり大きなお皿で、その表面にトカゲやら魚やら、かなりの数の水の生き物が立体的に造られていて、かなりのインパクトだった。このお皿で食事はできないし、家に飾るのもイヤだなぁと私は思ったけれど、何の目的で造られたんだろうか。

 そんな感じで2時間を過ごし、ミュージアムショップにも立ち寄って帰路についたのだった。
 買わなかったけれど、やっぱりあくびをするヒヒの絵はがきが気になっている。

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