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「リチャード三世」
作 W.シェイクスピア
翻訳 小田島雄志
演出 鵜山仁
出演 岡本健一/中嶋朋子/浦井健治/勝部演之
立川三貴/倉野章子/木下浩之/今井朋彦
吉村直/青木和宣/那須佐代子/小長谷勝彦
森万紀/清原達之/城全能成/関戸将志
篠原正志/川辺邦弘/松角洋平/津村雅之
前田一世/浦野真介/梶原航
観劇日 2012年10月20日(土曜日)午後1時開演
劇場 新国立劇場中劇場 18列69番
料金 8400円
上演時間 3時間40分(20分の休憩あり)
ロビーに、リチャード三世の遺骨発見の記事や、薔薇戦争当時の歴史年表、人物相関図、舞台模型などが展示されていて有り難かった。
「リチャード三世」は、シェイクスピア劇の中で比較的回数を見ているので、パンフレットの解説なしでもついて行けるかしらと思ったので、パンフレット(800円)は、迷ったけれど、購入しなかった。
これほど有名な芝居にネタバレもあったものじゃないと思うけれど、とりあえずネタバレありの感想は以下に。
新国立劇場中劇場のただでさえ奥行きのある舞台を、さらに手前に張り出させ、その中央に回り舞台を置いた贅沢な空間の使い方をしている。その代わりというべきなのか、舞台は近く感じられるのだけれど、舞台上の役者さんたちは遠く感じるのが不思議だった。
回り舞台の部分以外はれんが色の砂で覆われ、奥に向かって起伏を設けつつ角度をつけ、背景にはときに真っ赤な月が浮かび、ときに一面の雲に覆われた空となる。手前と奥を区切るようにあるいは、一番奥にビニルのカーテンがときに降ろされている。
回り舞台が特に活かされているという印象はなかったけれど(最後のリチャード三世とリッチモンド伯ヘンリーとの戦い前夜の場面くらいだろうか)、とにかく贅沢で荒涼とした空間である。
例えば、ヘイスティングス卿とかケーツビーとかノーフォーク公とか、周辺の人物が果たしてどちらの味方なのか、あくどい人物なのかリチャード三世にやられてしまう気の毒な人なのか、最初のうちは「どうだったかな」と思いつつ見ていたのだけれど、そのうち気にならなくなった。
この人がどういう人だったのか思い出せなくても、これだけキャラを立ててしっかり演じてもらえると一人一人の区別はできるので、観劇の妨げになることはない。考えてみたら、耳慣れない名前の似たような衣装を着けた登場人物の見分けが簡単に付くように演じるというのは、役者さん同士の力も高いところで拮抗していなければ不可能だし、やはりそういう意味でも贅沢な舞台である。
幕開けは、いきなりグロスター公リチャードがアンを口説くシーンである。
自分が殺したヘンリー六世の皇太子であるエドワードの妻であるアンが義父の葬列に付き従っているところにいきなり求婚するのだから、リチャード三世もとんでもない奴だ。しかし、どう見ても性格は悪そうだし、見てくれがいい訳でもないし、吐く言葉もそれほど魅力的とは思えないのに、僅かな間にあっさりとアンが口説き落とされてしまうのがよく判らない。
リチャード三世という芝居というか人物に今ひとつしっくり来ないものを感じるのはここである。こちらが元々「凶悪な人物」と思って見ているせいかも知れないのだけれど、確かにリチャード三世はとんでもない奴だけれど、周りの人々だって余りにも簡単に騙されてやしませんか、と思うのだ。
正直にいうと、そこまでの悪の魅力は岡本健一演じるこのリチャードからは感じられない。どちらかというと、子供っぽい抑制の効いていない人物として演じられているように感じる。
「リチャード三世」はやはり主人公が強烈な人物なので、そこに悪の魅力たっぷりだとリチャード三世一人勝ちの舞台になりがちだと思う。そこを群像劇というか、その時代を描いたお芝居になっているのはやはり凄いと思うのだ。
シェイクスピア劇はふと気がつくと本当に女性の登場人物が少ないのだけれど、「リチャード三世」の女性たちはそれぞれ激しく個性的である。先ほどのあっさり心変わりしたアンが普通の人に見えてくるくらい他の登場人物が個性的で、リチャード三世たちの母親も強い女だし、エドワード四世の妻エリザベスもリチャード三世に張り合おうとする気概を持った女である。
ただし、このエリザベスも、息子2人を殺された後、リチャード三世にかき口説かれた結果、リチャード三世の妻になるよう自分の娘のエリザベスを説得することを引き受ける。リチャード三世の最初の妻であるアンが殺されてしまったことを知っているだろうエリザベスが、どうして自分の娘に同じ人生を与えようというのか、本当に理解出来ない。
エリザベスを説得しようというリチャード三世の言葉も態度も、全く説得力はなかったと思うのだ。
そうなると、やはり圧巻は中嶋朋子演じるヘンリー六世の妃であったマーガレットである。
以前に「ヘンリー六世」を見たときにも強烈な男勝りの女だと思ったけれど、時がたち「王妃」ではなくなったマーガレットは、何というかもう半分以上あちらの世界に行ってしまっていて、目は落ちくぼみ白髪はもつれ、魔女のようである。その言葉の一つ一つが全て呪詛なのだ。
要所要所で舞台奥に姿を現し、敵であるリチャード三世やそこに集う人物たちが次々と自分の呪詛のとおりに死んで行くのを見つめている。この舞台を支配しているのは、リチャード三世の悪意や欲望ではなく、彼女の呪詛であるように感じられる。
首尾一貫したただ一人の女は、呪詛の言葉を撒き散らしていてもいっそ清々しいくらいだ。
しかし、徹頭徹尾彼と彼女に舞台を支配されていては、見ている方としても辛すぎる。
リチャードが、兄のクラレンス公ジョージを殺すために放った刺客たちが逡巡する様は、ちょうど「墓堀人」が担っているようなちょっとした笑いと息抜きを与えてくれる。
また、そうして死んだクラレンス公ジョージを演じていた前田一世がジョージの息子と娘を人形を使って演じたり、エドワード四世を演じていた今井朋彦がやはり自分の王子たちを人形を使って演じる場面も、交わされている会話は相変わらず殺伐としているのだけれどでもちょっとほっとする場面である。
息抜きがありつつも、基本的に強烈な人々の悪意や欲望やご都合主義にまみれた舞台を最後に浄化すべく登場するのが、浦井健治演じるリッチモンド伯ヘンリーである。
何でこの人がイングランドの命運を握るキーマンになっているのか、その辺りに疎い私にはいくら系図を眺めても理解出来ないのだけれど、とにかく彼の真っ当な感じはリチャード三世の対極に置かれているのだということは判る。
それは、直接対決の前夜、リチャード三世に殺された者どもの亡霊が現れ、リチャード三世には死を告げ、リッチモンド伯ヘンリーには安らかな眠りを与えることでも示される。
それが史実というものかも知れないけれど、しかし、リッチモンド伯ヘンリーの登場で何もかもが浄化されたという訳には行かなかったように思う。とにかく品のいい性格のいい好青年の感じだったのだけれど、もうちょっと力強く凛々しく造形してしまっても良かったんじゃないかという気がする。
そのため、殺された後、無言で光の中に去って行ったリチャード三世の残像は意外と大きい。
薔薇戦争終結のために両家を融和させることを宣言するヘンリーは、実際にエドワード四世の娘エリザベスと結婚してチューダー朝を開くのだけれど、何故だかはっきりと「エリザベスと結婚する」と宣言しないこともどこか引っかかる。
何だかんだ言いつつも、非常に正統的で重厚なシェイクスピアを見た、という満足感を味わった。
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