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「こどもの一生」
作 中島らも
潤色 桝野幸宏
演出 G2
出演 谷原章介/中越典子/笹本玲奈/山内圭哉
戸次重幸/玉置玲央/鈴木砂羽/吉田鋼太郎
観劇日 2012年11月8日(木曜日)午後7時開演(アフタートークショーあり)
劇場 パルコ劇場 I列24番
料金 7800円
上演時間 2時間
ロビーではパンフレット(1500円、だったと思う)とポスター(500円)が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
流石に1990年にシアタートップスで初演されたものは見ていない筈なので、もし私が見ているとすると1998年にパルコ劇場で上演されたバージョンだと思う。
それで、見たかどうか、どうしても確信できない。この記憶力の衰えが本当に情けない。
古田新太が演じていたホラーコメディものといえば、私にとっては「日の出通り商店街」の印象が余りにも強くて、そちらと混同しているような気もするし、そうではない気もする。
そんな中途半端なあるのかないのか判らない記憶と、「この芝居は怖い」という刷り込みとともに、見始めることになった。
舞台は、南海の孤島で、その携帯電話も通じない島に画期的な治療を行っているという精神科のクリニックがある、という設定だ。
その島にヘリコプターで向かう吉田鋼太郎演じる社長と谷原章介演じる社長秘書、この2人のシーンから始まった。
舞台上にはデコボコした壁があるだけで、具象的なセットはとりあえず存在しない。色もない。この時点ではシンプルかつどうにでも化けられそうな舞台セットである。
到着した2人を、鈴木砂羽演じる看護師が出迎える。
出迎えた彼女がいきなり始めるのが心理テストで、非常に精神科クリニックらしくない。らしくないといえば、どこかビニルっぽいナース服もかなりらしくない感じである。
その看護師と、後から登場した戸次重幸演じる医師、そしてヘリコプターでやってきた2人の割とどうでもいい感じの会話から、どうやらこの社長は巨額脱税事件のど真ん中にいて、マスコミから逃げるためにこのクリニックを利用したということのようだ。
しかし、この辺りで思っていたのだけれど、谷原章介と戸次重幸、やたらといい声の主が2人もいると、この登場人物数のお芝居だとちょっと際立ち過ぎるように思う。少ない登場人物を少ない役者さんで演じる舞台なのだから、キャラは被らない方がいい。もっとも、この2人が演じた「役」はかなり違うキャラではあった。
そして、1週間滞在するこの期間の患者の顔合わせが始まる。ジャングルクルーズばりの案内をやってみせた中越典子演じる「ゆみちゃん」は顔がずっと横に曲がったまま治らないし、笹本玲奈演じる「じゅんちゃん」は家電量販店勤務のため家電のことを考えると体のどこかに原因不明の激しい痛みが現れる。玉置玲央演じる脚本家は、いわゆる「実録物」を書きまくっているうちに自分の中の邪悪な部分がどんどん育っているような恐怖を感じているという。
社長と社長秘書、この2人の関係も当然のことながら歪んでいて、患者ではない筈なのに、もっとも患者っぽく見えるというのはお決まりのパターンだろう。
次の日から「こども返り」の治療が始まる。
何やら怪しげな暗示にかかりやすくなるという薬を飲まされ、10歳のこどもであるという暗示をかけられ(その割に、暗示後の衣装はどこか幼稚園っぽいのだけれど)、世俗の人間関係力関係は全てリセットして新たな人間関係を築きましょう(あるいは、築くのは止めましょう)という治療のようだ。
この辺り、どこまで暗示が効いているのか効いていないのか、微妙な感じである。
この辺りまで来ても、舞台の背景はそのままで、食卓としてのテーブルや、パソコンデスクなどは、出演者自身の手によって滑らされて来る。
舞台転換も「ダンス」というよりは「動き」で、でも音楽に完全に合わせて動いて行くというやり方は、いかにもG2演出らしいと思う。そして、役者さんは「覚える」という点でも「合わせる」という点でも、舞台上に出ずっぱりになってしまうという点でも相当に大変だとは思うのだけれど、しかし、これがかなり格好良い。
そして、意味ありげな対応をする医師・看護師コンビと毎食供されているらしいキノコに些かの不審を感じるものの、このお芝居、この辺りまでは全く怖くないのだ。恐怖感はなし、スプラッタもなし。
正直に言うと、かなり拍子抜けしながら、こども返りしたんだかしていないんだかしたふりをしているんだか、そんな感じの彼らが巻き起こす騒動に笑っていた。
横暴極まりない社長に3人が怒り心頭、社長秘書もどうにか取り込んで、「社長にだけ判らない会話で盛り上がる」という、脚本家の面目躍如な方法を駆使していじめて(あるいは仕返しして)行く下りも、気持ちのいいものではないのだろうけれど、恐怖は全くない。こちらも意地悪く楽しんでしまう。
そうして、4人が作り出した架空のキャラ「山田のおじさん」が、近づくのを禁じられていた灯台の灯台守をしているんですが発電機が壊れちゃって、と現れた辺りから、舞台上の彼らの恐怖心は一気に臨界値を越える。
適当に想像して即興で作り上げたキャラクターがいきなり自分達で作った設定そのままに実体化したかのように現れればそれはホラーに決まっている。それでも、この恐怖はあくまでも登場人物たちの恐怖であって、客席で見ているこちら側の恐怖ではないのだ。
どちらかというと、山内圭哉演じる山田のおじさんの「気持ち悪さ」を感じ、古田新太っぽい、という勝手かつ不要な感想が頭に浮かんでいたくらいだ。
見ているこちら側が「やっぱりホラーだったよ・・・。」と思い出すのは、パソコンに書き留めておいた「山田のおじさん」の設定が社長によって書き換えられていることに気付き、その気づきに合わせたように山田のおじさんがいきなりチェーンソーを持ち出して殺人鬼に豹変し、スプラッタの世界に突入してからだ。
ホラーである。
スプラッタである。
私の一番苦手とするところなので、つい目を瞑ったり、手で押さえたりしてしまったので、実はもの凄く重要なシーンを見逃しているのかも知れないとすら思う。
最初に社長が意識不明の状態となり、次に看護師、医師と脚本家と次々と殺されて行く。
社長秘書と女性2人が「行ってはならない」と禁じられていた島中央の洞窟に逃げ込むと、そこには毎食のように供されていたキノコが壁一面に生えている。
食事を社長に奪い取られていたためにたまたまキノコの摂取量が少なかった社長秘書が、突然、ここで「自分たちが見ている山田のおじさんは幻覚だ」「自分たちは子供なんかじゃない」と思い出し、恐怖の余り恐怖の想像から逃れられない女性2人を叱咤激励しつつ、最後には「山田のおじさん」を倒す。
そして、明るい朝だ。
そう思ったのも束の間、今度は登場人物達が再度、恐怖の淵に立つ。
医師から、「社長を殺した(殺そうとした)のは、君たちだ」と告げられるのだ。
「幻覚を見ていた」という回答に自信を持っていた彼らは(というよりも社長秘書は)、そこでも自分の正気に自信が持てない。医師が「特殊な診療中の事故だから情状酌量の余地はある」と言うのに大して反駁もせず、迎えのヘリに向かう。
しかし、密かに指示を受けていた看護師は「勿体ないけど親株もあるし、いいか」と呟いて、洞窟のキノコに火をかける。
果たして、ここまで見て来た芝居のどこまでが「幻覚」でどこからが「現実」なのか、実は全部が幻覚だったのか、幻覚を見ていた人間など誰一人としていないのか。
私の中では結論は出なかった、ということになるのだけれど、注意深い人にはきちんと結論が出ているのかも知れない。
それにしても、最初から最後まで,目が離せない(瞑りはしたけれど)舞台だった。
この日はアフタートークショーがあり、谷原章介、戸次重幸、中越典子、玉置玲央の4人が登場した。
演じている彼らとしては「本当にこのお芝居が怖いのかどうか、自分達では判らない」のだそうだ。何となく意外だった。観客の前で演じていても、リアクションが少なくなって行くのは判るけれどそれが恐怖のためなのか、「けっ」という感情のためなのか、判らないとまで言っていた。
そういうものなのかしら、と思う。
最初のうちは、舞台に出演した感想とか、共演者についてと言われてひたすら誉めまくっていたりとか、余りにもよそ行きの感じだったのだけれど、昨日が誕生日だったという戸次重幸が、その誕生日公演の、しかもシリアスなシーンで台詞を噛んだ話や、今日、吉田鋼太郎演じる社長が息も絶え絶えに呟く台詞を聞き取るというシーンで「噛まなくて良かったね」と言われたという話などが次々と飛び出すようになった後は、なかなか楽しかった。
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