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二兎社公演37「こんばんは、父さん」
作・演出 永井愛
出演 佐々木蔵之介/溝端淳平/平幹二朗
観劇日 2012年11月2日(金曜日)午後7時開演
劇場 世田谷パブリックシアター 2階A列36番
料金 5500円
上演時間 1時間45分
ロビーではパンフレット(値段はチェックしそびれた)の他、永井愛の著作本が販売され、ご本人がその場でサインを入れてくださっているようだった。
ネタバレありの感想は以下に。
舞台は、もう廃墟となりかかっている町工場跡である。
割れた窓ガラスの隙間から手を突っ込んで鍵を開け、そこに、やけに若い格好をした年配の男が入り込んで来る。Gパンにオレンジ色のヤッケ(という言い方がすでに古いのかも)、最初はベージュのキャップを被っていたので、それだけだと若者に見えたけれど、キャップを取ってみればそれは平幹二朗演じる佐藤という年配の男である。
階段を上ろうとして何かの拍子に出てきたロープは、「どうぞ首をつってください」といわんばかりにその先に円がこしらえてあり、そのロープの下にはまたちょうどいい具合に踏み台にできそうな椅子が置いてある。
その踏み台に上がって首をロープに突っ込んだところで、溝端淳平演じるスーツ姿の若い男が入ってくる。一体何をしに来たのだか、首をつろうとしている男の写真を撮ろうとし、男の方もポーズを取ったりしている。
話を聞いているうちに、年配の佐藤という男がヤミ金融から借金をしており、若い山田という男はその取り立てのために追い回しているらしいということが判る。
山田は迫力がないなりに凄んでみせて返済を迫るけれど、佐藤の方は年の功なのか性格なのか、全く取り合おうとしない。平幹二朗がいかにもちゃらんぽらんそうな男を演じるって字面だと違和感ありまくりだけれど、舞台を見ていると似合っているから不思議である。
のらりくらいと借金を返そうとしない佐藤に業を煮やし、何とか阻止しようとする佐藤の手をかいくぐって山田は佐藤の息子の携帯電話に電話をかける。何故か、電話をかけた途端に着信音が廃工場に鳴り響き、次いで、怒声が響き渡る。
佐々木蔵之介演じる佐藤の息子鉄馬は、エリートサラリーマンであった筈なのだけれど、何故かこの廃工場に住み着いているらしい。エリートであったはずの息子のどう見ても転落した姿を見て佐藤はショックを受け、佐藤からは無理でもエリートの息子から借金返済を迫ろうとしていた山田も目論見が外れてショックを受け、鉄馬もそんな誰にも見られたくない姿をよりによって父親に見られてショックを受けていたんだろうと思う。
登場人物全員がいきなり夢破れて現実を突きつけられた瞬間である。
線の細さもあってどう見ても無理して闇金融の取り立てをやっている若者に、一時は大きくした町工場をバブルとともに失って闇金融からお金を借りるまでになった父親、父親の背中をみつつ物作りの仕事をしたいと言っていたけれどエリートサラリーマンの道を活かされ詐欺にあって仕事も家庭も失った息子、と、見ようによってはどん詰まりにいるけれど、そういう風に見えないこともない3人である。
父親と息子は10年ぶりの再開で、その彼らは真っ向から聴けない相手の事情を若者を通して知ろうとし、教えてしまったことを怒る。
父親と息子は行き場所がなくなって、2人とも、とっくに人手に渡った、父親が経営していた町工場に帰ってきて潜り込んでいる。
この親子は結構悲惨な状況にいると思うのだけれど、2人とも、悲壮感がない。
彼らよりも、取り立ての若者の方がしょっちゅう鳴る支店長からの電話に出るたびに態度を変え、時に切れたり脅したり下手に出てみたりといったくるくると変わる取り立て手法を演じているのを見ていると、彼が一番病んでいるんじゃないかという風に見えてくる。
町工場を経営していた男だって、優秀な技術者を解雇して「コンピュータ」に任せるようになり、第2工場を作ってそちらに入り浸って妻から遠ざかり、無理矢理「お上品な」住宅街に引っ越して妻にそこに染まるように強制し、息子にも物作りではなくサラリーマンの道を強要し、いわば「成り上がり病」に罹っていた男だ。なのに、何故か調子よく健全に見える。
息子の方も、父親に逆らえずに物作りの道に進まずにエリートサラリーマンの道を選び、自分の育ちや父親についてウソをついてまで「勝ち組」を演じ続けた挙げ句に、詐欺同然の相場に手を出して一家離散、仕事も失って、首つり用のロープはこいつが用意したんじゃないかという風情である。それでも、こうなっても父親に振り回されている様子は、普通に息子なのだ。
舞台はずっと廃工場で、父と子のこれまでの大袈裟に言ってしまうと歴史が、例えばシャッターの向こうで演じられ、強くスポットが当たった下で演じられる。
そうして、「何故この2人はこの姿で10年ぶりにここで再開しているのか」を語っている舞台のように見える。
同時に、この父子にとって妻・母親の存在は大きくて、「こんばんは、父さん」というタイトルの割に「父さん」という呼びかけの姿は印象が薄く、「母さん」と呼びかけている姿ばかりが印象に残る。
父親は「レールを引いてやったのに」と嘆き、息子は「父さんは母さんを苦しめた」「工場を成功させたのは父さんじゃなくて母さんだ」と責める。
何だか暗いことばかり起こっているのだけれど、痛い感じがするのはむしろ取り立ての若者で、この父子は何というか達観しているといえばいいのか、「悲壮」とか「悲惨」という感じがしない。
父親が「好きなようにさせてやればよかった」と嘆いている姿や、母親のことをなじられて「全て終わったことだ」と自分の責任や反省なんてものは遠くに放り投げて考えようともしない(あるいはそのフリをしている)姿は全く好感がもてないのだけれど、「5万しか借りていないんだから5万返せばいいんだ」と開き直り「最近の貸金業者は21時から翌8時までは取り立てができないんだ」とトクトクと語っている姿には、「敵わない」という感じがするのだ。
芝居を見ながら、何だかそんな感じで、父親に憤ったり息子に憤ったり、若者はどうも心配になったり、でも何となく笑ったり、父子の方も心配になったり、この舞台の影の主役はやっぱり「母さん」だよなと思ったり、何だか色々な感想をくるくると持ちながら見ていたように思う。
逆にいうと、「こういうお芝居だ」と決め打ちできる感じがない。
最後、取り立ての若者が「店長になれば何でも経費で落とせる」「そのために周りがどんどん辞めて行く中で残って来たんだ」「高校中退の自分にどんな就職先があるんだ」と物狂いのようになって指輪を探し始める。指輪というのは、父親が「荷物のどこかに入っている、利子代わりに持って行け」と言ったものだけれど、実は指輪なんてものは持っていない。21時を待つための時間稼ぎのための嘘っぱちである。
あまりの若者の様子に父親はそのことを告げ、さらに物狂いのようになった若者に、息子は自分の息子に渡そうと思っていたという高級腕時計を差し出す。それまで「会社を辞めてしまえ」と言っていた父子だけれど、最後に息子は、「ここにいた自分立ちのことをよく覚えておけ」とだけ言う。
時計を持って出て行った若者はこの後どうするのか、「死ぬなよ」と息子に言った父親はこの後どうするのか、言われた息子はこの後どうするのか。
それは、芝居では示されない。
出て行った若者、取り残されたようにも見える父子。そのまま暗転して幕である。
「開かれたエンディングが似合うな」「この芝居はこうやって結論を示さずに終わるべき芝居だな」という印象が残った。
よく判らない。でも、いい芝居を見た。
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コメント
逆巻く風さま、コメントありがとうございます。
久々に観劇したお芝居が重なりましたね!
そして、ぽつぽつと重なりそうで、楽しみです。
「ロックオペラ・モーツァルト」は、主役2人のどちらがどちらを演じるバージョンを見るかもポイントだと思います!
投稿: 姫林檎 | 2012.11.15 22:47
地元で観ました。なかなか良かったんじゃないでしょうか。
あと、「こどもの一生」「ロックオペラ・モーツァルト」が重なりますね (^^)
投稿: 逆巻く風 | 2012.11.14 08:14