「音のいない世界で」を見る
新国立劇場演劇「音のいない世界で」
出演・劇作・脚本・演出 長塚圭史
出演・振付 近藤良平
出演 首藤康之/松たか子
観劇日 2013年1月5日(土曜日)午後1時開演
劇場 新国立劇場小劇場 D6列11番
料金 5250円
上演時間 1時間25分
ロビーではパンフレット(800円)の他、出演者の著作や、マザーグースなどの絵本が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
劇場の外から、お城のような書き割りを張って「おとぎの国」のような感じに作ってあった。
新国立劇場に合っていたかといえば微妙なところだし、結果としてクロークと劇場ロビーが分断されてしまっていたけれど、これはこれでなかなか楽しい趣向である。
土曜の昼公演だし客席には子供の姿もちらほらあって、少し厚めのクッションを渡していた。子供も見られるようにと言うことで、土曜公演は13時開演と17時開演になっているのだと納得した。
舞台には回り舞台がセットされていて、その真ん中にガラス張りの家の壁面が吊されている感じだ。吊されているので、その壁は動かない。ドアのように家の左右二箇所が開いていて、そこから回り舞台でセットが送り出されてくる。
文章にすると判りにくいけれど、そういったシンプルな舞台セットである。
家の真ん中辺りに窓があって、奥が覗けるようになっている。
長塚圭史と近藤良平が黒のスーツに白黒のボーダーのシャツ姿で現れ「あけましておめでとうございます」なんていうとぼけた挨拶をし、そして「あるところに・・・」と物語が始まる。
もしかして彼らはずっとナレーションで、その他は一切の音や声なしのパントマイムで行くのかしらと思ったし、実際、最初はそういう雰囲気も漂わせていたのだけれど、そのうち台詞も出てきたし音も出てきた。
「音のいない世界で」というのはそういう意味ではなかったらしい。
松たか子演じる「せい」と、首藤康之演じる「あなた」の夫婦は貧しいながらも楽しく暮らしていました、というところから始まる。
彼ら2人は、2人を象った人形と、旅行鞄に入った蓄音機とともに楽しく暮らしている。
しかし、そこに、長塚圭史と近藤良平演じる兄弟が現れ、夫が出かけ、妻が眠り込んでしまった家に入り込んで、その蓄音機と「せい」の人形を盗み出してしまう。
代わりに彼らが置いて行ったびっくり箱のような旅行鞄に大笑いしていた「せい」だったけれど(彼女の第一声がこの莫迦笑いだったのが何とも異様だった)、そのうち「何かを失った気がする」とその何かを探す旅に出る。
一方、「せい」を喜ばそうと新しいレコードを買いに出かけた夫も帰ってきて、何故か自分に妻がいたことを忘れてしまっているのだけれど、やっぱり「何かが足りない」とその「何か」を探す旅に出る。
この舞台の骨格は、蓄音機を盗み出した兄弟と、彼らを探す妻と、妻を探す夫の物語だ。
そして、その過程で、目の見えない(舞台上では「めくら」と表現していたけれど)夫婦とのやりとり、羊と羊飼いとのやりとり、もう退屈なことしかないから埋めて欲しいという小鳥の要求に従ってお墓を掘る男とのやりとりが続く。その間に、季節も移ろう。
おとぎ話といえばおとぎ話、おとぎ話はまやかしで実は何かの寓意かしらと思えばいくらでも深読みできそうな感じもする。
でも、何となく、これは深読みせずに淡々とこの後この兄弟が何をしたくて、この夫婦がどうするのか、それを見ていればいいんじゃないかという気がした。
舞台上の4人が4人であるだけに深読みしたくなるというところはどうしてもある。
長塚圭史の佇まいは意外なくらいシンとしていたし、近藤良平にしても首藤康之にしても何気ない動きがどうしても決まってしまって目を奪われる。そこに対抗する松たか子の武器は、今回は特に「声」なんじゃないかという風に思った。
舞台で声の持つ力というのは相当に大きいと常々思うところなのだけれど、今回は特にそう思う。
何かに負けそうな人々を次々と励まし、少しだけ上向きにしていく「せい」は、道々、音符を拾っては彼らに渡して行く。最初は意味が判らなかったけれど、そのうち、どうやら「せい」が追っているものが落としていった落とし物らしい、この音符を辿っていけば「せい」の捜し物に行き着けるらしいということに気がついて行く。
そのことに気がついたとき、「せい」はまず夫を取り戻すことができるのだけれど、肝心の夫は「せい」のことが判っていない。でも、自分を判っていない夫にせいは気付かない。何だかもどかしい限りだ。
でも、その夫も「せい」の人形を返して貰うのとどうにに「せい」も取り戻し、二人は蓄音機を奪った弟に導かれて今まさに埋められようとしている蓄音機に辿り着く。
ここでも「せい」の魔法は発揮され、彼ら兄弟の気持ちをほんの少しだけ上向きにして蓄音機を返して貰い、音楽をゆっくり小さくかけたところで幕である。
最後、回り舞台を見ていたら、この回り舞台は蓄音機なんじゃないかという気がしてきた。
そして、一方で「季節は巡る」ということを表しているんじゃないかという気もした。
多分、私には判っていないのだけれど、でもちょっと不思議な舞台だった。
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コメント
あんみん様
新年あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします
やっぱり「音のいない」というところ、判りにくかったですよね??? あんみんさんも同じように感じられたとお聞きしてほっとしました(笑)。
2列目とは随分舞台に近いところでご覧になったのですね。
私は視力はそこそこいいので、後ろから2列目でしたが、小鳥たちが折りたたまれていくのは何とか判りましたが、おうちの向こう側の様子まではよく判りませんでした。なるほど、前方の席だと、そういう楽しみもありますね。
今年もまた、たくさん、楽しいお芝居を観ましょう!
投稿: 姫林檎 | 2013.01.06 16:34
明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
偶然ですね、私も昨日1/5が観劇初めの猿之助でした。
『音のいない世界で』、音が消えてしまったというところが
具体的にわかるところが無かった気がして
その辺がいまひとつだった気がしますが、
松さんの魅力が満載でそんなもの消えました(笑)。
セイよりも身体を張った兵隊さん、羊飼いじいさんがチャーミングでしたね。
びっくり箱で大笑いを繰り返すのは、子供向けの演出かなと思いました。
声に張りと透明感があって素敵だし、最後の歌声も観客へのプレゼントですよね~。
長塚さんも少年のようで素敵でしたし。『にいちゃん!』
首藤さんにはほんの少し踊って欲しかったですけど。
私は2列目端で観たので、鳥たちが向こう側へ折り畳まれて消えてゆくところ、
裏側のスタッフの介添えとか、奥へ向かうキャストとかも良く見えました。
裏でちょうどドアの位置に乗り、そのまま回って表に出るところもうまく作ってるな~と感心。
手作り感があり、とっても大切に造られたお芝居だなと思いました。
来年もVOL.2を期待したいです。
投稿: あんみん | 2013.01.06 11:55