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2013.02.27

「マクベス」を見る

「マクベス」
原作 ウィリアム・シェイクスピア
翻訳 河合祥一郎
構成・演出 野村萬斎
出演 秋山菜津子/小林桂太/高田恵篤/野村萬斎/福士惠二
観劇日 2013年2月26日(火曜日)午後7時開演(初日)
劇場 世田谷パブリックシアター K列25番
料金 6500円
上演時間 1時間40分

 ロビーでパンフレット等が販売されていたけれど、値段はチェックしそびれた。
 ちらしが折り紙のようになっていて、見本とちらしがたくさん置かれている。ちょっと洒落た感じでいいなと思ったけれど、もらいそびれてしまったのが残念だ。

 ネタバレありの感想は以下に。

 世田谷パブリックシアターの公式Webサイト内、「マクベス」のページはこちら。

 舞台上は暗く、丸く穴のあいた(というか、真ん中に丸く穴をあけた)黒い衝立のようなものが立っている。
 そこに、小林桂太、高田恵篤、福士惠二の3人が演じる「魔女」が現れて、毒薬(だったか?)が入っている釜を煮始める。男優が演じる魔女は初めて見た気がする。
 そして、その動きが何というか、人間ぽくない。魔女っぽいというよりも、「人にあらざるもの」というイメージだ。何となく、「千と千尋の神かくし」を思い浮かべた。

 すでに記憶が怪しくなっているのだけれど、魔女達がパッと正方形の布を舞台に広げ、丸い穴から飛び出してきた野村萬斎が、剣舞といえばいいのか、袴姿で日本刀を携え、摺り足で動いては刀を振るう。
 舞台奥に、布が回りに垂らされた舞台というか箱が現れる。
 他の登場人物の衣装や舞台セットも和を意識させ、しかし、物語自体には翻案等は行わない。
 そういうつくりだ。

 この世のものは布の上、この世ならざるものは布の外、奥に置かれた箱は様々に使われるけれどやはり境界を表しているように思える。
 野村萬斎演じるマクベスと、バンクオーが現れ、彼らに魔女が「マクベスは王となり、バンクオーは王になることはないがその子孫が王となる」という予言を告げる。
 魔女から一転して(鎧らしきものを被って真っ直ぐ立ち、舞台中央に広げられた正方形の布の上に乗れば、魔女から人間への早かわりが完成である)王の使者が現れ、3人の魔女の予言どおりにマクベスがコーダーの領主に出世したことを伝える。予言がいきなり実現してあっという間に信じ込んでしまう。判りやすい詐欺の手口のようだ。

 いわゆる正統的なマクベスがどんな展開だったか覚えている訳ではないのだけれど、3人の魔女のシーンを除くと、本当に「あらすじ」に沿った部分が代わる代わる舞台上で展開されているという感じがする。
 登場人物も、野村萬斎演じるマクベス、秋山菜津子演じるマクベス夫人、そして小林桂太、高田恵篤、福士惠二の3人が演じるのも、名前が示されるのは3人の魔女と、王ダンカン、バンクオーとその息子、マグダフくらいで、あとは伝令の兵士だったり、マクベスにバンクオー暗殺を命じられる刺客だったり、とにかく登場人物が絞られている。

 衣装も全員がほぼずっと同じで、マクベス夫妻が王になる前後でイメージを変える以外は、ほとんどが舞台の暗さに溶け込むような色で統一されている。マクベス夫人の基本が白いドレスで、王妃となった後は赤っぽい打ち掛けらしき者を羽織っており、それが唯一の舞台上の「華」という感じだ。
 舞台セットも、先ほどの丸く開いた衝立と、周りに布を下ろした箱のようなもののみで、照明も暗く沈んでいる。
 これは、確かに初演では、狭い劇場で濃密に演じたのだろうし、それが似合う造りだなと思う。

 マクベス夫人が夫に王ダンカンの暗殺を強烈にそそのかす(といっても、元々、それを手紙で夫人にほのめかしたのはマクベス自身だ)シーンや、実際に王ダンカンを暗殺した瞬間に赤い糸のような紙テープのようなものが吹き上がるシーン、マクベスが予言を恐れてバンクオーの暗殺を命じるシーン、バンクオー暗殺後に彼の亡霊に錯乱するマクベスに対し夫人が叱りつけるシーンなど、マクベス夫妻の絡みのシーンは、余計なものを削ぎ落としたというイメージとともに、「辿っている」というイメージが浮かんでしまう。
 マクベス夫人が夢遊病のようになり亡くなるまで、マクベスがどんどん孤立し「森が動くまでは負けない」「女から生まれた者には負けない」という魔女たちの予言にしがみつくようになるまで、いずれもあっさりと描かれているように思う。
 何というか、マクベス夫妻の内面はほとんど描かれていないような印象なのだ。

 逆に、3人の魔女のシーン、特に、マクベスが2回目に予言を求めに行ったときのシーンは、そのおどろおどろしさが際立っていて印象に残る。
 何というか、私の中では、魔女たちがいつの間にかこの芝居の主役となり、マクベス夫妻は魔女たちを描くために後ろに下がって行ったという印象だ。
 お芝居は終わり方が重要だし難しいと思うのだけれど、このお芝居では、死んでしまったマクベスに白い大きな布をかけて「舞台」の下に隠し、マクベスが隠れた世界は明るく清潔だ。
 その明るく清潔な世界で、魔女たちを演じていた役者さんが3人、すっくと白い布(それはつまり舞台である)の外に立つ、そのシーンで終わっている。
 引っ張りすぎず、でも「え? 終わりなの?」という感じもなく、このシンプルで暗闇に支配されておどろおどろしいイメージのお芝居に相応しい、(矛盾する言い様だけれど)すっきりと明るい終わり方だったと思う。

 3人の魔女万歳、である。

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コメント

 あんみん様、コメントありがとうございます。
 随分と濃い週末をお過ごしになられていたんですね(笑)。

 そうそう、「マクベス」はやっぱり「三人の魔女の芝居」でしたよね〜。インパクトがあり過ぎる。
 私は基本的に「役者は声よ!」と思っているのですが、この「マクベス」の三人の魔女は「声じゃなくて体よ!」という感じでした(笑)。

 話変わって。
 「デキルカギリ」の長男はやっぱり本物でしょうか。
 そうじゃなきゃカタルシスじゃないんですが、でもどうせカタルシスなら突きつけて! と思ってしまう単細胞の私なのでした。

投稿: 姫林檎 | 2013.03.07 23:00

こんばんは。
先週末『マクベス』『デキルカギリ』『ホロヴィッツとの対話』
の3本を観てきました。
姫林檎さんはホロヴィッツはこれからなんですね。

『マクベス』、う~んお二人の影が薄かったなと思いました。
藪原検校の悪いペアの方がずっと素晴らしかったなぁとも。
ブラックな萬斎さんが余りにも強烈だったので。

和の趣は良かったですよね。帯を使った秋山さんの衣装も。
ただ私の中では不完全燃焼気味です。
おっしゃるように内面が感じられず、秋山さんがもったいなかったです。
『オセロ』で期待したいです。高田さんも!

※『デキルカギリ』の長男は本物だったと私は思いました。

投稿: あんみん | 2013.03.07 22:24

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