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2013.03.09

「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」に行く

昨日(2013年3月8日)、空き時間があったので、東京国立博物館で2013年4月7日まで開催されている、東京国立博物館140周年 特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」に行ってきた。

 東京国立博物館の特別展は大体平成館で開催されているので、本館に入ったのは初めてかも知れない。
 平日の午後早い時間だというのに結構な人出で、コインロッカーもかなり埋まっていたので驚いた。もっとも、入口近くのコインロッカーは一杯だったけれど、少し奥に入ればたくさんのコインロッカーがあったので、全く焦る必要はない。
 会場に足を踏み入れて驚いたのは、展覧会場の狭さと、その狭い展覧会場に人が溢れていたことだ。円空仏がこんなに人気があるとは知らなかった。
 考えてみれば、特別展で入館料が900円なのだから、その規模は予測がついたというものだ。

 どうしようか迷ったのだけれど、音声ガイドで説明している仏像の数が多いようだったので、やっぱり音声ガイドを借りることにした。
 音声ガイドで使われているBGMのせいか、全体的に暗くして「森」のイメージを出しているせいか、その会場には人は多いけれど人の居ない森の雰囲気がある。井浦新のナレーションもなかなか落ち着いていて、もうちょっとナチュラルでもいいとは思うけれど、なかなかいい雰囲気である。

 私は「円空」という名前は聞いたことがあるし、素朴な一本の木から彫り出す用にして仏像を彫ったということは知っていたけれど、知っていることはほぼそれだけ、という感じである。
 僧であったことや修験者であったこと、北は北海道まで行っているけれど近畿以西にはその足跡が確認されていないこと等々は全く知らなかった。
 展覧会のタイトルにもなっている「千光寺」は高山にある真言宗のお寺で、円空はしばらくこのお寺に逗留していたことがあるらしい。

 円空仏は、伐採した木を断ち割り丸彫りしており、鑿の跡が残っていて表面には何も塗られていないのが特徴だという。生涯に12万体の仏像を彫ることを己に課していたそうだから、塗りなんて「そんなことはやっていられない」のだろうし、そんなにたくさんの木を使うわけにも行かなかったんだろう。
 確かに、真正面から見たときの立体感とは裏腹に、円空仏というのは非常に奥行きがない。後ろ側は断ち割ったままの感じで、その仏像についての名前だったり覚え書きのようなものが墨で書かれていることが多いようだ。
 その横から見て薄い感じはかなり意外だった。
 何というか、こけしのようなイメージだったからだ。実際のところ、お顔は鑿を1回すっと入れただけの、こけしのような表情のものが多かったように思う。

 両面宿儺座像という、日本書紀的には「飛騨の怪物」だけれど飛騨の人々にとっては神に等しい存在だったろう人物の像など、通常は「両面宿儺」の名のとおり前と後ろに一つずつ顔があるらしいのだけれど、2つの顔が横に並べて彫られている。それも2つが等価に並べられているのではなく、真っ直ぐの位置に大きな顔が、その横に小さめの顔が彫られている。
 解説は「信仰の対象として見られることを意識したのでしょう」と言っていたけれど、そもそも円空という人は正面しか考えていなかったんじゃないだろうか。

 千光寺に生えていた木がまだ生きているときに彫ったという金剛力士立像は、こちらは断ち割ったりせずにそのまま彫っているのだけれど、やはり後ろ側は木の自然な形のままで、ほとんど手を加えていないように見える。
 どう考えても普通にこの仏様の後ろを歩く人だって見る人だっていただろうと思うのだけれど、でも手は入れない。それは「工夫」というよりは「ポリシー」であるように感じられる。

 全方位から見てオッケー、後ろから見られることも意識しましたという仏像は、今回の展示された中では、歓喜天立像だけだったのではないだろうか。いや、もしかすると狛犬もそうだったかも知れないけれど、そういえば裏側から見ることを忘れていた。
 その歓喜天立像は千光寺の秘仏で、7年に1度しか公開されないのだそうだ。しかも、公開されるときでも厨子に入っているから、一方向からしか拝むことはできない。
 その仏像をぐるりと回って見られるのだから、贅沢なことこの上ない。千光寺さん的にはどうなのかよく判らないけれど、やっぱり嬉しい。

 その歓喜天立像は、頭は象、体は人で、2人の仏様(でいいのだろう、多分)が抱き合っているように見える。
 言っては何だけれど、2人の仏像のラブシーンを見ている感じだ。
 大きさが10cmを超えるくらいだし、細部を彫り込んでいる訳ではないのでパッと見たときの印象はそうでもないのだけれど、やはりちょっと色っぽい仏像である。だから秘仏なのか。

 小さいといえば、円空は一宿一飯の恩義に応え、あるいは出会った人や滞在した人に頼まれて仏像を彫ることも多かったそうだ。
 そうした、個人に差し上げたのだろう仏像はとても小さい。5cmあるかないかという感じである。
 そして、展示されていた仏像はいずれも黒く(恐らくはどこのお宅でもお線香を上げられてその煤が付いていたのだろうと思う)、そして意外と繊細に彫られている。いかにもやっつけという仕事では全くない。
 会場の外、地下1階のミュージアムショップに続く一角に8分間のビデオを流しているコーナーがあって、その中には、ご先祖様から伝えられてきたという、円空にいただいたという小さな仏像を大切にしているおばあさんが出演されていて、信心から果てしなく遠いところにいる私が見ても、何だかとてもいい感じだったのだった。

 私が好きだったのは、如意輪観音菩薩座像である。
 表情が柔らかいことと、ほっぺたに右手を当てている感じが虫歯を堪えているようで可愛らしいこと、全体的に丁寧に仕上げられている感じであることが理由だ。

 小さな展覧会だったけれど、でも、とてもいい時間だった。

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