「井上ひさし展 -21世紀の君たちに-」に行く
先日、神奈川近代文学館で2013年4月20日から6月9日まで開催されている、「井上ひさし展 -21世紀の君たちに-」に行って来た。
井上ひさしの没後3年ということで、開催された「井上ひさし展」である。名称から直球勝負だ。「21世紀の君たちに」という副題がついていて、展示の各所に少年(というイメージだった)に向けた松山巖からのメッセージが展示されている。
松山巖が何者なのか判らないとか、平日午後だったせいもあると思うけれど、見に来ていた人の大半が60代以上に見えたとか、気になるところはあるけれど、コンセプトは明確だ。
いつでも用意するのか、このコンセプト実現のためなのか、クイズというか質問が並んで展示を見ながら埋めていけるようなペーパーが用意されていた。
会場に入ってすぐのところにスクリーンが設置され、井上ひさし本人の葬儀(だったと思う)の際に会場で流されたという映像が流されていた。
本人の写真、インタビュー、上演された戯曲の舞台映像、直筆のメッセージ等々で構成されている6分間の映像だ。
「ロマンス」というトルストイを取上げた舞台で、大竹しのぶが声を張り上げて歌い、最後に笑いを取るシーンを持ってくるところがなかなか良いチョイスである。
展示は3室に分かれていて、最初は井上ひさしが作家になるまでの道筋を追っている。
父も文筆をする人だったようで、その作品や、母や兄弟との写真、施設に預けられた後に母とやりとりしたはがき、大学入学後フランス座でのアルバイトの話などが、語られる。
このスペースの展示は、主に直筆の手紙や原稿、当時の写真などである。
上手くはないのかも知れないけれど、丁寧に書かれた読みやすい字だ。
このコーナーでは、とにかく母親との濃い関係が伝わってくる。早くに亡くした父親の影響も語られているけれど、やはりこのコーナーの主役は母である。
次の展示室のテーマは「ユートピア」だ。
井上ひさしにはユートピアを追い求める主人公達の姿を描いた作品が多い。このコーナーで、中でも大きく取上げられていたのは、ひょっこりひょうたん島と吉里吉里人である。
吉里吉里人は、1日半の出来事が上中下3冊の厚めの文庫に詰め込まれている大作だ。東北のある村が独立を宣言し、それが崩壊するまでの出来事を、東京からやってきた一人の男の目を通して語っている、らしい。未読なので「らしい」としか書けなくて申し訳ない。
その吉里吉里人で流れる1日半という時間の詳細なプロット(時系列表)あり、吉里吉里国の地図あり、その地図には地形はもとより、施設や国境やあらゆる設定が書き込まれている。
緻密だ。
恐ろしく緻密だ。
その設定の数々が手書きで、かつ丁寧な文字で書き出されているのを見ると、「緻密だ」以外の感想が浮かんでこない。
作品世界に矛盾がないよう、嘘がないよう、描こうと思っていたことを落とさずに済むよう、細心の注意が払われている。
恐ろしい。そして、当たり前すぎることではあるのだけれど、私にはできない、と思う。
私は展示されていた原稿用紙等々の全文を読む根気すらなかったのだけれど、見に来ている方々はじっくりと読み込んでいる方が多い。
そういった方を追い越すたびに、「私には根気が足りない・・・。」と凹む気分になる。
ましてや、これらの設定を頭の中で考え、紙に落とすまでの間に、どれだけの集中力が必要だったろう。しかも「設定を頭の中で考える」ために物凄い量の資料を用意し、読み込み、作成しているのだ。
なので、ひょっこりひょうたん島関連の展示は嬉しい。
実物の2/3大の人形劇の人形がいたり、ひょっこりひょうたん島自体の模型があったりする。二人の共作だったからなのか、それは関係ないのか、心なしか書き込みも少なめに見える。
ほとんどオアシスのような一角だ。
ひょっこりひょうたん島の映像テープはほとんど残っていないと前にどこかで読んだような気がするのだけれど、この展示では、ある回の録音テープを流している場所があって、懐かしそうに耳を傾けている年配の女性がいらした。
このコーナーの一角に、井上ひさしが作成した資料ファイルの一部が展示されていた。普通のファイル(本棚に並べられた状態だったので、クリアファイルだったかドッチファイルのようなものだったかは不明である)の背表紙に、テーマがひとつ書かれ、そのテーマに関する新聞記事の切り抜きに本人が感想メモを書き込んでいたり、様々な資料が集められているようだった。
そのファイルが、本当にたくさん並べられている。
同じようなテーマのファイルが2冊あったりするのは、忘れていたのか、ご本人なりの分類があるのか、量が多すぎて1冊に収まらなかったのか。
一定の方向を見つつも、しかし幅広く、日ごろからアンテナを張り巡らせていたことがよく判る。
出口のところに、井上ひさしの書斎の蔵書を映像で見せるコーナーがあった。
蔵書の多くは遅筆堂文庫に寄贈された(その数22万冊だそうだ)というから、残されたものは「今使っているもの」「これから使うもの」だろう。
ほとんど、つくも神になりそうな感じで並んでいる。
第三室のテーマは、「演劇」だったと思う。
私からは一番近しいテーマだ。
井上ひさしはこまつ座の「座付き作家」を名乗っていたのだけれど、その「こまつ」という名前は、井上ひさしの出身地から取ったのだということは第一室で見ている。
てんぷくトリオと打ち合わせをしている写真などもあった。てんぷくトリオのコントの多くを井上ひさしが書いていたのだそうだ。
井上ひさしはあて書き(先に役を演じる役者を決めて書く)で書くことが多かったらしい。中に、例として「ムサシ」を書くに当たって、役者の顔写真を貼った駒のようなものを作り、その駒を舞台に見立てた紙の上で動かしながら書いていたとして、その台と駒とが併せて展示されていた。
先日「木の上の軍隊」を見てきたけれど、井上ひさしが取り掛かっていて(あるいは構想があって)完成していない戯曲はもう一つ「母と暮らせば」があるそうで、きっといつか誰かの手で完成され、上演されるだろうという。タイトルからしても、「父と暮らせば」と対になる作品だろう。楽しみである。
「組曲虐殺」初演を見たのは随分と前のことように思うけれど、しかし、「組曲虐殺」が井上ひさし最後の戯曲作品なのだそうだ。
しかし、井上ひさしが亡くなった後も、こまつ座では、毎年3〜4本の芝居の公演が行われている。嬉しいことである。
難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く、というのが井上ひさしの創作のモットーだったのは(多分割りと)有名な話だ。
そこへ持ってきて、この展示で印象に残ったのは、最初の葬儀の場面で流されていたという映像の中で、井上ひさし本人が「生きていれば悲しいことや苦しいことしかない。悲しみや苦しみを感じるのは人間の内側から予め持っているものである。しかし笑いだけは人間の内側にはない。外側で作り出さなければならない。赤ちゃんが笑っているなどというが、それは大人が見て笑っていると言っているだけである。だからこそ、悲しみや苦しみを一瞬でも忘れられるような笑いを作り出したい。人間しか言葉を用いないのであれば、その笑いを言葉で作り出すというのがもっとも人間らしい」というようなことを語っていたことだ。
悲しいことや苦しいことしかないから、ユートピアを夢見る。
笑いを生もうと努力する。
この「井上ひさし展」が井上ひさしの全てであるとは思わないけれど、でも、充実した展示で、90分、満喫したのだった。
行って良かったと思う。
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