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「非常の人 何ぞ非常に~奇譚 平賀源内と杉田玄白~」
作・演出 マキノノゾミ
出演 佐々木蔵之介/岡本健一/小柳友/奥田達士/篠井英介
観劇日 2013年7月14日(日曜日)午後6時開演
劇場 パルコ劇場 Z列8番
上演時間 3時間(15分の休憩あり)
料金 8000円
ロビーではパンフレット(多分、1200円だった気がする)等が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
前半は源内が戯曲等々の取り立てから逃げるために居座りを決め込んでいたという陰間茶屋、後半は源内自身の家がその舞台となる。
休憩が入り、一幕が終わると幕が下りた理由はほぼこのためではなかろうか。そういう意味では、オーソドックスな作りの芝居だったのかも知れない。
しかし、使われている音楽が軽く明るいものだったのが意外だ。江戸情緒などカケラも追求していない、西部劇風(というのも変な表現だけれど)の楽曲が全編で使われている。
平賀源内は豪放磊落(に見せている、という感じもしたけれど)自称「大天才」、杉田玄白は謹厳実直で真面目な秀才。この2人の友情と、平賀源内が陰間茶屋で出会った菊千代という男娼の若者との関わりがこの芝居のテーマで、この3人を演じる役者はずっとこの3人を演じているけれど、篠井英介と奥田達士の2人は、篠井英介曰く「出るたびに役柄が違っている」という、男5人の芝居である。
しかし、セットが作り込んであるせいか、そしてもちろん役者の力量で、役者が男5人だけということは最初から最後まで気にさせない。篠井英介が女形もできる、というところがかなり大きなポイントだと思う。
オープニングは岡村健一演じる杉田玄白の独白である。
獄死した平賀源内に向けて、人を殺すなんて一番源内らしくないと嘆く。でも、泣くこともできないんだと嘆く。
そこまで暗かった舞台が一転、いわゆる陰間茶屋の赤っぽいというか赤が目立つセットに華やかに転換する。
佐々木蔵之介演じる平賀源内が篠井英介演じる女将と話しているところに、小柳友演じる菊千代だったか佐吉だったかとにかく男娼の少年が呼ばれて現れ、愛嬌や愛想を放り捨てたその少年が、呼ばれてやってきた杉田玄白が「エレキテル」に感動しないやりとりを経て、何故か源内になつく風情を見せる。一方、杉田玄白は初めて見たという腑分けと、オランダ語の「ターヘルアナトミア」に夢中だ。
もう、このお芝居のエッセンスが全て詰め込まれたシーンである。
奥田達士が出ていれば完璧というところだ。
平賀源内は「天才」の名を欲しいままにしているし、実際に多芸の人だったようだ。ついでに自分が天才であることをよく知っていて「天才」を名乗るし、菊千代が言ったように「杉田玄白をすら見下しているように」さえ見える。
翻訳開始半年で完全に行き詰まった杉田玄白と奥田達士演じる中川淳庵が気分転換に源内のところにやってきたところ、すっかり馴染みになってなついている菊千代の何気ない一言が翻訳のきっかけになったりしているところが面白い。
色々なことに手を出し足を出し口を出し、それぞれ上手くこなす以上の成果を上げてしまう源内と、コツコツまじめに一つのことに取り組む玄白と、対比させようとしているのだけれど、その対比が鮮やか過ぎる。
佐々木蔵之介は源内を豪放磊落に「見せよう」としている感じを醸し出し、一方の岡本健一は真面目で実直な杉田玄白を淡々と(と見える)演じる。役も対照的なら、その演じ方も対照的という感じがする。ふと、この2人が役柄を交換したらどうなるんだろうと思い描こうとしたけれど上手く行かなかった。
いずれにしても、源内は、玄白らの訳しているターヘルアナトミアを出版するために版元に頭を下げるのだけれど、「あいつらは出版することがどれだけ大切か判っていない」と玄白らをコキ降ろしつつ、その頭の下げ方は真剣である。
でも、やっぱり源内のアキレス腱は菊千代で、何がきっかけだったのか、菊千代は自分を抱かない(というか、男だろうと女だろうと誰も抱かない)源内に、今日こそは自分を抱けと迫り、それができないは源内が結局のところ自分以外は誰のことも愛していないからだと叫び、今日を限りにここを出て行くと詰め寄る。
そうした、菊千代ではなく本名佐吉に対して、源内は、ターヘルアナトミアを出版するために、かの版元に抱かれるよう「最後の頼みだ」と言い、菊千代もうべなって一幕が終わる。
悲劇への道を一直線という前半の終わりである。
後半の幕が開くと、いきなりセットが地味になっていたので驚いた。
一幕が赤だとすると二幕は墨黒という感じである。ここは源内の自宅らしい。結構、いい家に住んでいるイメージだ。
しかし、二幕開始時の源内は怒っている。銅山だったか銀山だったかの経営で藩と対立し、自分の意見が通らなかったらしい。そのことで珍しく玄白に「これが自分の人生のケチの付け始めじゃないか」と弱音を吐く。
しかし、エレキテルへの情熱だけは失っていない。
本当の源内の下降線が始まるのは、姿を消していた佐吉が源内を頼ってきたのを迎え入れたことと、エレキテルの発生装置の復元に成功したものの「見世物」としか扱ってもらえず、復元に協力していた職人がエレキテルの偽者を作って同じように見世物としたと訴え出たところ、結局「見世物は見世物だろう」というような裁きが下されたというところにあるのだと思う。
玄白は心配してやってくるものの、やはりエレキテルについて「私には何に役立つのか判らないのです」と告白し、そこはやはり詰め切っていなかった源内は回答に苦しむ。「とにかく凄いことじゃないか」というのは、なかなか他人に伝えるのは難しいのだ。
そここそが源内の悲劇だという最後の玄白の独白にはひどく頷いてしまった。
源内は、玄白に言われた「一大博物誌を編纂する」ことを生涯の仕事にしようと決め、そのための資金稼ぎに始めた普請の仕事のためにやってきた大工を、佐吉が殺してしまったところで急転直下、ということになる。
玄白が「佐吉を追い出せ」と言うのに対する源内の答えを聞いてしまった佐吉は、「心を入れ替えて真面目に生きる」と誓ったものの、結局博打から足を洗えていなかったらしい。その博打のいかさまで騙した相手の一人がこの大工で、いかさまのことを源内にバラすと脅された佐吉は吾を忘れて大工を殺してしまう。
ここへ来て初めて、佐吉が人間らしい反応をしたという感じがする。人を小馬鹿にもしていないし、源内に知られてしまうということを何よりも恐れている。
その様子を見て取った源内は、居合わせた普請の依頼人に「自分がこの大工を殺した」と告白し、佐吉の身替わりとなり、獄につながれて、すぐ獄死してしまう。
その獄死の直前の源内を演じていた佐々木蔵之介がやっぱり秀逸だった。暗い舞台のど真ん中前方に座り、暗めのスポットを浴び、独白する。舞台の家には佐々木蔵之介しかおらず、平賀源内しかいない。でも、パルコ劇場の舞台は確かに「埋まっている」。スカスカな感じは全くない。
そこで、源内が語りかけるのは、佐吉への感情を吐露した相手でもある玄白である。
「人を殺すなんて源内に似つかわしくない」という玄白の言葉に応えて、佐吉が語ってきたのがこの物語だった、という構造のようだ。
「どうしたらいいでしょう」と言う佐吉に「旅に出る気満々じゃん」といきなり玄白がくだけたのには驚いたけれど、佐吉は旅に出、玄白は源内の墓碑銘を読み上げる。
舞台中央に倒れ伏していた源内が、酒を飲み交わしたいと言う玄白に答えて起き上がり「じゃあ飲もう」と言ったところで幕、だったような気がする。
「充実した舞台」という言葉が似合う舞台だった。
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