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2013.07.27

「小野寺の弟・小野寺の姉」 を見る

「小野寺の弟・小野寺の姉」
原作・脚本・演出 西田征史
出演 片桐はいり/向井理/木南晴夏/野村周平
    森谷ふみ/平田敦子/片桐仁/山内圭哉
    ユースケ・サンタマリア
観劇日 2013年7月27日(土曜日)午後1時開演
劇場 天王洲銀河劇場 2階C列13番
上演時間 1時間55分
料金 9000円

 ロビーではグッズがさまざま販売されていた。パンフレット(2000円)や、クリアファイルや、Tシャツ等があったようだ。お手洗いの個室のドアにまでグッズのチラシが貼られていたのには驚いた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 「小野寺の弟・小野寺の姉」 の公式Webサイトはこちら。

 銀河劇場の舞台に元々あったのか、後から仕込んだのか、小野寺姉弟が住む家を回り舞台に乗せ、家の中と裏手の公園からの眺めとを交互に見せながら進んで行く。
 姉を片桐はいり、弟を向井理という配役のギャップがまずこの舞台のポイントなんだろう。
 逆に狙いすぎて分かりやすすぎるところがマイナスポイントかも知れない。

 早くに両親を亡くしてずっと2人で暮らして来た片桐はいり演じる小野寺姉と向井理演じる小野寺弟は、「弟がきちんとありがとうを言わない」というところで喧嘩し、その喧嘩はこれまでになく長期にわたっておさまる気配がない。
 それでも、「ありがとう」が言えない弟は、一計を案じて、姉が好きなラジオ番組に自分のありがとうを投稿する。
 その投稿が読み上げられるというその日、家には何故か映画の撮影隊がやってくる。

 この辺りまでは、舞台が暗くなり、モノローグというか事情説明をスポットを浴びた小野寺弟が語るというテレビ的な感じで進んで来る。
 判りやすいといえば判りやすいのだけれど、一点、その昔に「スポットライトは顔を中心に当てる」と習った私としては、このスポットが胸辺りを中心に当てられていて、頭のすぐ上が暗くなっているというのがどうにも気になってしまう。昔に教わったことというのは、感じとして、なかなか修正が効かないのだ。

 映画の撮影は、小野寺姉がユースケ・サンタマリア演じる高校時代の同級生に協力して家を貸すことにしたらしい。
 22時からのラジオ番組を姉に聞いてもらいたい小野寺弟は、この映画撮影が不安で仕方がない。早く進めて欲しい、できれば中止して欲しいと思うけれど、自主製作映画らしいこの映画撮影は全く順調に進まない割に中止になる気配がない。
 この辺りはドタバタが続いて行く。
 しかし、何かと映画撮影に口を出し邪魔をする弟が、姉としては腹立たしくて仕方がないらしい。
 そしてまた、どうやら姉は、この家を出て行こうとしているようなのだ。

 映画監督の男は1ヶ月前に別れた彼女を映画のヒロインに据えているし、明日には転勤先の熊本に行かなくてはいけないらしい。
 小野寺姉と小野寺弟も件の状況である。
 ここに、山内圭哉演じる「子役からずっとやっているけれど全くパッとしていない役者」とか、片桐仁演じる「ご近所のアヤしくアブない発明好きの男」とかが絡んでくるのだから、ドタバタは激しくなる一方で収まる気配はない。
 というか、小野寺弟を主役にスカウトし、早く撮影を終わらせたい弟がそれに応じ、でも「これ以上はない棒読み」で演じきろうとするから、話はややこしくなるばかりである。
 そういう弟を見て、姉は「あの子は感情を外に出せないから、役者なんてできる訳がない」と嘆く。

 姉はそういう弟が心配で、自分が先回りしてケアしてしまうから弟は感情を出さなくなったのではないかと家を出ることにしたのだし、弟が感情を外に出せないのは、子どもの頃に両親が買って帰ってくれた「パンダぱん」が嬉しくて「ありがとう」と言ったら、両親は翌日にそのパンダぱんを再び買いに行って事故で亡くなったからだと今日初めて会った青年には語れてしまう。
 お互いがお互いには言わない。
 そういう、いかにもベタなお涙頂戴シーンにやられてしまって、ちょっとというかかなり悔しかったのだけれど、でも、それでスッキリするというのも確かにあるよななどと思ってしまった。

 ドタバタで笑わせて、どうしても姉に聞かせたかったラジオへの投稿はもの凄くどうでもいい内容の「ありがとう」で、結局は一人でそれを聞いた小野寺弟が「これを聞かせても仕方がなかったか」と呟いたりと散々い引っ張っておいて落としたり、「泣かせるぞ」と決心すると小野寺姉弟にそれぞれ語らせ、ついでに映画監督と元彼女が語り始めると「結局、痴話喧嘩なんじゃん」という感じで大団円が見えてくる。
 映画を何とか撮りきって、別れた彼女に「熊本に付いてきて欲しい」と言えた映画監督は、最後、何とか小野寺弟の「感情」を引き出そうと、さまざまな意地悪な設定を駆使し、関係者全員を巻き込んで奮闘する。

 姉が作ってプレゼントしたという「タタアタリ ガタト」と名付けられた猫に見えるたぬきを捨ててしまったと言われたときに、弟は、怒りの表情こそ見せなかったものの、必死に探す表情を見せる。
 「タタアタリ ガタト」から「た」を抜けば「ありがと」になると言われた姉は、泣き笑いの表情である。
 いや、それは「ありがとう」と言ったことにはならないから!
 そもそも、「ありがとう」と言えないことが問題なのではなく、感情を出せない見せないことが問題だという話になっていたから!
 そうツッコミを入れたかったけれど、すでに大団円に向かって勢いよく流れているものに敵う訳がないのだ。

 小野寺姉と小野寺弟の二人暮らしは、小野寺弟がやっぱり「ありがとう」とは言えずに「どうも」と言うだけだったけれど、続く。
 そこで、幕である。

 もう少しテンポ良く「詰め込んだ」感じにした方がより「笑って泣いてちょっといい話」という意図を活かせたんじゃないかという感じがしたけれど、劇場を後にするときの私は、やっぱり「泣くってスッキリするよなー」と思っていたのだった。

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