「ジュリアス・シーザー」を見る
子供のためのシェイクスピア「ジュリアス・シーザー」
作 W.シェイクスピア
脚本・演出 山崎清介
出演 伊沢磨紀/戸谷昌弘/若松力/河内大和/北川響
山本悠生/長本批呂士/チョウ ヨンホ/山崎清介
観劇日 2013年7月13日(土曜日)午後2時開演
劇場 あうるすぽっと B列6番
上演時間 2時間
料金 5000円
ロビーではパンフレット(1000円)や、シェイクスピア人形のストラップ(800円)などが販売されていた。
うっかりギリギリに行ってしまい、イエローヘルメッツが見られなかったのが残念だ。
「ブルータスよ、おまえもか」のジュリアス・シーザーである。
この台詞も確かに語られたけれど、実際のところ、ジュリアス・シーザー自身は割とこの芝居の早いうちに暗殺されてしまう。この物語の主人公は、タイトルになったジュリアス・シーザーではなく、ジュリアス・シーザー暗殺に巻き込まれたブルータスの方だ。
しかし、そういえばどうして「ブルータスよ、おまえもか」なのか、この芝居を見てもよく判らなかった。この台詞には「他の奴らならともかく、おまえまで俺を殺すのか」という思いが込められていると思うのだけれど、それだけシーザーにとってブルータスは特別な存在なんだろうか。
この芝居では、どちらかというと、ブルータスは一般的に高潔な人間で、そういう人間が暗殺などということに手を出すのか、という趣旨のようにも聞こえた。
クラッピングも健在、登場が黒コートに黒い帽子姿で「誰が誰だか判らない」感じなこともいつも通りだ。
いつも通りというなら、あまり舞台セット等はおかず、机と椅子、舞台奥に出入り口があり黒い布で覆われた壁で隠されているというセットもいつも通りだ。
いつも通りでなかったのは、休憩が入らなかったことではなかろうか。これまで私が見た「子どものためのシェイクスピアシリーズ」公演は、全て休憩が入っていたと思うのだけれど、今回は休憩なしだった。意外だ。
実際のところ、あまり子どもの姿を客席で見かけることはないということも影響しているんだろうか。
ジュリアス・シーザーという人について、正直に言って全く何の前知識もなかった。
この人と、この人の次のローマ皇帝であるアウグストゥスが我が儘で、7月を「July」8月を「August」と無理矢理月の名称を自分たちの名前に変え、そのために、Octoverは「8」という意味なのに10月になってしまった、という逸話を知っていたくらいだ。
「ブルータスよ、おまえもか」という台詞ですら、台詞としては知っていたけれど、どういうシチュエーションで発せられたのかは今回のこのお芝居を観て初めて知ったくらいである。
アントニウスについても、クレオパトラにいいように弄ばれた割とだめな男、というイメージだったので、このお芝居の中で、シーザーに可愛がられ、その死を奇貨としてシーザーの後継者であるオクタヴィアヌス(これが後のアウグストゥスである)を抱き込み、民衆を煽って政権を奪取した、というやけに策士な男になっているのに驚いたくらいだ。
もっとも、このお芝居の中では最後まで勝ち組だったアントニウスだけれど、このすぐ後に失脚することになるのだから、歴史も人の人生も、一部だけを見ても判りはしないということだなぁと思ったのだった。
キャシアスという人は、このアントニウスの二面性というか策士という部分をよく見抜いていて(恐らくそれは、根っこのところで2人が似ていたからだろうという感じがしたけれど)、ブルータスがアントニウスを助命し、自らの演説の後でシーザーを悼む演説をすることを許したことに歯噛みする。
しかし、このブルータスの「高潔な」人間性を元々利用しようとしたのは自分なのだから、ここは引くしかない。キャシアス最大の失敗ということになるのだろう。
このキャシアスは、アントニウス達との戦いの最中目をやられ、従者に「戦況を伝えろ」と命じ、自らの陣が敵に蹂躙されたと聞いて自害する。ここで気になったのは、この従者が本当に見たままを伝えたのかということだ。この従者は結局、キャシアスの死によって自由を手に入れる。自分を奴隷の身とし、目の見えなくなったキャシアスを騙して、自由を手に入れようとした、のかも知れない。そこの解釈は多分示されていなくて、でも、かなり気になったシーンの一つだった。
伊沢磨紀が、シーザーの妻キャルパーニア、キャシアスの一味であるトレボーニアス、ブルータスの従者であるルーシャスの3役を演じていたのを筆頭に、このお芝居は一人が何役もの役をこなしていて、その入れ替わりがいつもよりも激しい感じがした。これこそ、子どものためのシェイクスピアである。
そういえば、伊沢磨紀が紅一点という座組は久しぶりな感じがする。あと女性の役はブルータスの妻ポーシャがあっただけだからだろうか。シェイクスピアという人の書くお芝居は、主役級は置いておくと、圧倒的に男性の役が多いのだから仕方がない。
その中で、一方、山崎清介のシーザーと、河内大和のキャシアス、チョウヨンホのブルータスはずっと一人一役で(黒衣はもちろんあちこちでやっていたと思うけれど)、その3人の印象はやはり強い。
最後は、机の上に黒いコート姿で集まった出演者が、前方から順番に崩れ落ちて行って終わる。
それは、劇中で占い師が預言したように、シーザーの死後、ローマが激しい戦乱に巻き込まれ、「人が死ぬ」ということが当たり前になる。民衆が次々と死んで行く。そういう「この後」を象徴しているようにも見える。
アウグストゥスの時代まで行けば「パクスロマーナ」になる訳だけれど、この先にそういう平和な時代が来るとしても、今、死んでしまった人間には何の関係もない。
逆に言うと、「独裁者になりそうだ」「ローマの民衆が奴隷とされてしまう」というこの先の不確定な未来を案じて暗殺という手段に走ったキャシアスやブルータスを皮肉っているようにも見えた。
ところで、久しぶりにパンフレットを購入したら、「子どものためのシェイクスピアカンパニー」でこれまで上演したシェイクスピア作品の一覧が出ていた。
意外なことに、喜劇の上演が少ない。「間違いの喜劇」も「じゃじゃ馬ならし」も「から騒ぎ」も演じられていないのは、ある意味テーマが「恋愛」だからなんだろうか。
「ジュリアス・シーザー」のいわば続編である「アントニーとクレオパトラ」もだし、新しいラインアップをぜひ見たいと思ったのだった。
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