「地下室の手記」を見る
カタルシツ「地下室の手記」
原作 ドストエフスキー(光文社古典新訳文庫「地下室の手記」、安岡治子訳)
脚本・演出 前川知大
出演 安井順平/小野ゆり子
観劇日 2013年8月3日(土曜日)午後2時開演
劇場 赤坂RED/THEATER C列3番
上演時間 1時間50分
料金 3800円
ロビーでは物販も色々あったようだけれどチェックしそびれた。
ネタバレありの感想は以下に。
劇団イキウメの「オルタナティブ」が「カタルシツ」なのだそうだ。
英語に疎い私は思わず英語辞書を引いてしまったのだけれど、alternativeとは、二者択一とか代替といった意味らしい。それがどうして「別館」になるのか、実は芝居を見終わった今になっても判っていなかったりする。
ちらしには、「イキウメからはみ出したものをときどき、ここでやります」と書いてあったから、多分そういうことなんだろう。
その第1回は、ドストエフスキーの「地下室の手記」という小説を現代に置き換えたこぢんまりとした芝居だった。アンケートには、カタルシツへの要望を挙げてくれとあり、その例として「踊っちゃう」等と書いてあったから、要するに「イキウメらしくないことをする」ということなのかも知れない。
ドストエフスキーの「地下室の手記」なんてもちろん読んだことはないので、舞台が帝政ロシアから現代日本に移したことによって何が変わって何がそのままなのか、全く判らない。
まぁ、ロシアには地下室は似合うしありそうだけど、日本では(似合うかどうかはともかくとして)一般家屋にはなかなかなさそうだよな、ということは判る。
安井順平が一人舞台に現れて、まずは客席に向かって語り出す。「こんにちは」と語りかけ、客席からちらほらと「こんにちは」と返ると「リアクションがあったのは初めてです」と言っていた。果たしてこれは台詞だったのか、アドリブだったのか、ちょっと迷うくらい、何というか、最初の語りはメタである。
安井順平として語り始め「前川氏だって、これはドストエフスキーが言っているのであってと言いますからね」「私はこれは台詞としてしゃべっているんですからね」等々と言っていたかと思うと、いつの間にかその語りは、この芝居の主人公(そういえば、名前があったかどうか覚えていない)の語りになっている。
私って時代に遅れているわと思ったのだけれど、「ニコ生」なるものを私は見たことがない。存在も多分知らなかったと思う。ネットで動画を見るという習慣がないのだ。
軽く説明してくれたところによると、動画を配信し、その画面に同時にその動画を見ている人のコメントが流れるという仕組みになっているらしい。なるほど。
地下室から、何故かネットに向かってしゃべり、そしてそのコメントにリアルタイムで返事をしたり、全く無視したりする。この芝居のフォーマットができるまで、「駆け込み乗車はやめましょう」という話をしつつ、恐らくは、その枠組みを割と丁寧に説明してくれていたのだと思う。
正直にいえば、安井順平演じるところのこの男の言うことはさっぱり判らない。
判るような気もするけれど、要するに、ひたすら愚痴である。そこに建設的な雰囲気はカケラもない。その嫌な感じと、「そんなに嫌な奴じゃないのかも知れない」というところのバランスの取り方が実に上手い。そして、芝居の前半はほぼ一人芝居(小野ゆり子が登場し、舞台奥のソファで寛ぎ始めたのはいつ頃だったろう)なのだけれど、何というか、流石に一人で舞台に立ってスポットを浴びてしゃべるということに慣れているんだなという感じがする。
始まりもそうだけれど、川の向こう側でやっているお芝居ではなく、境界が曖昧なところで客席を巻き込みつつやっているお芝居という感じだ。
この主人公の男の言うことには、ほとんど共感できない。かといって、彼を莫迦にしている高校時代の友人たちの言動を肯定することもできない。どうしてだろうと思ったら、要するに、この男がどんな男なのか、本人の口から以外には語られず、本人も実はほとんど内面を語ってはいないからだ。彼が語っているのは、自分や自分の周りについての評論であって、自分のことではない。
段々、彼のしゃべりが理路整然としているかどうかすら判らなくなってくる。
小野ゆり子は、男が客引きに引っかかったいわゆる風俗店で働く女の子として登場する。
何というか、男が、ネットに向かって語りたかった「女」である。役柄も口跡もはっきした人だなー、というのが印象だ。彼女が登場すると、段々、男はカメラの前から離れ、その「とき」に戻ってしまうのだけれど、でも設定としてはひたすら語っているということになる。
舞台奥に引かれたカーテンに、ニコ生のコメントが流れるのだけれど、そういえば、リアルな場面になったと思しきときにはカーテンは寄せられてコメントも映し出されることはなかったような気がする。
このコメントが判らないというのが悲しい。
というか、客席にいた方々はあのコメントをきちんと読めていたんだろうか。私はかなり判らなくて「乙って何だろう」「wwwって???」「8をひたすら並べることにどんな意味があるんだ?」等々と一々引っかかっていた。もしかして、このコメントにまるっきり引っかからずに見ていた人とは、この芝居から受ける感じがかなり違っていたのではなかろうか。そういえば、周りが笑っているのに私がキョトンとしていたのは、大抵が、このコメントの字幕を見逃していたときだったような気がする。
だめじゃん、私、と激しく思った瞬間である。
その「女」と出会ったことで、10年前の彼が浮上できるか? と思わせておいて、そういえば地下室から今ネットに発信していることからも判るように、そして最後には本人も認めていたけれど、結局この男は「臆病者」で「他者と関わること、踏み込むことはできず」、返って彼女を傷つけるだけ傷つけて、引きこもりへの道を邁進する。
そう述懐するところにかかった、ちょっと荘厳な感じの音楽に対して「音楽を止めろ」「こんなちょっといい話風にするな」と男はいきなりメタな世界に一瞬戻り、そして、地下室へも戻って、ネットへの発信を終わる。
何故か励ますかのようなコメントが最後に流れている。
判るような、判らないような、判りたくないような、意地でも判らないということにしておきたいようなストーリーだし、主人公の男だし、舞台だった。
そういえば、客席に比較的男性が多かったような気がする。それは何故だろう。
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