「春琴」を見る
世田谷パブリックシアター+コンプリシテ共同制作―谷崎潤一郎「春琴抄」「陰翳礼讃」より 「春琴」
演出 サイモン・マクバーニー
出演 深津絵里/成河/笈田ヨシ/立石涼子
内田淳子/麻生花帆/望月康代/瑞木健太郎
高田恵篤/本條秀太郎(三味線)
観劇日 2013年8月9日(金曜日)午後7時開演
劇場 世田谷パブリックシアター 1階M列32番
上演時間 2時間5分
料金 7500円
仕事の関係で、最初の30分を見逃してしまったのがとても残念。
ちょうど、春琴が佐助と出会うシーンから見ることができたので、タイミングとしてはギリギリ良かったかも、と思う。
ロビーではパンフレット(1000円)や、初演と再演のパンフレット等も販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
私が見たのは、春琴が9歳で佐助と出会ったシーンからである。
最初は、舞台上で何が起こっているのか、全く判らなかった。というか、今も判っていないような気がする。
9歳の春琴は人形が演じており、その人形遣いも兼ねている深津絵里が声でやはり春琴を演じている。
舞台は暗く、向かって左手端に手元を照らすライトを点けたデスクが置かれ、そこで「地の文」が読まれている。右手にも文机が置かれ、そこでも「地の文」を読む人がいる。
時には、画面奥に彼らが読む文章がそのまま映し出されたりもする。
舞台にはほとんど「モノ」はなく、畳が敷かれていて、その畳を持ち上げたり降ろしたり配置を換えたりして場面を表して行く。竿のようなものもあって、三味線の代わりになったり、襖の代わりになったりしている。
右手奥には三味線の方が座っていて、三味線の師匠役を演じたり、音楽を担当して退いたところで弾いたりしている。
役者さんたちも三味線も一人何役もこなす。それは配役をこなすのみならず、舞台を構成する様々な要素をこなして行く。何というか、ミニマムな世界だ。
その最小限の世界を、最小限の照明がぼーっと浮かび上がらせる。
左手にいた女性がラジオドラマで「春琴抄」を演じている女優の役を演じているということは、途中の独白で判ったのだけれど、右手の男性が果たしてどんな役割を果たしていたのか、最後まで判らなかった。
そういう意味では、ストーリーとしては途中からでも入り込めたと思うけれど、舞台全体の枠組みのようなものは、最後まで判らなかったということになる。
舞台左手奥にいることの多かった、晩年の佐助もときどき「現代」にやってきては、振り返って春琴を語ったり、何十年も前の世界に一人佇んだり、いきなり若返って「若い頃の佐助」を演じたりもする。
それでも「錯綜している」という感じはなく、ひたすら舞台上は静謐である。
だからこそ、春琴の、いわば常軌を逸した言動が際立つ。
盲目の少女春琴は、佐助を気に入って自分の手を引かせることにし、三味線の稽古にも同行していた佐助はやがて独学で三味線を学ぶようになり、春琴の弟子となる。この辺りからすでに、春琴の佐助に対する扱いには、我が儘放題というか、嗜虐に近いというか、ラジオドラマを演じる女優によると「SかMかっていえばS?」ということになる。
それでも佐助は献身的に春琴に仕え、春琴は佐助の子どもを産むけれどしかし2人は関係を否定し、春琴の両親が「結婚すれば」というのも拒否して、産まれた子は里子に出し、これまでどおりの暮らしを送る。
この辺りのやりとりをしている途中、人形は人間に変わる。
人形が演じていた春琴を人間が演じるようになるのではなく、人形が演じていた春琴を、人間が演じている人形が演じるようになるのだ。
最初は、この女優さんが人間だと気がつかなかったのだから、私もマヌケである。
というか、そう思っているのだけれど、実は確信がない。あの人形は人間が演じていたと思うのだけれど、本当にそうだったろうか。
春琴の役は本当の晩年になったころ、それまで人形遣い兼声を演じていた深津絵里が、黒衣から着物に着替えて演じることになる。
佐助の役も、1回、演じる役者さんがすっと変わる。
この2人については、それぞれ3人の役者が演じたということになる。
春琴と佐助の間には2男2女がいたというけれど、しかし彼ら2人は最初は主人の娘と奉公人だし、途中から師匠と弟子になり、そして最後まで主人と奉公人という関係を崩さない。
春琴が熱湯をかけられて顔に大やけどを負った後、「顔を見ないで!」と叫ぶ彼女を見て、佐助は自分の目を針で突いて失明し、「だからこれまでどおりお側にいさせてください」と言う。
このとき初めて、というよりも、最初で最後、春琴は彼に感謝の言葉を述べ、それ以上しゃべらなくてもいいと言うのだ。
何というか、もっと狂気の世界なのかと思っていたのだけれど、意外なくらい静かな舞台で、そちらに驚いた。
沈むときは沈む、浮かぶときは浮かぶ、その存在感を自在にコントロールしている役者さんたちが素晴らしい。小さくほの暗い明かりに照らされることでできあがる周りの闇にあらゆるものが沈んで隠れて蠢いているようにも感じられる。
なるほど、こういう舞台だったのか。
見られて良かった、でも最初から見たかった、でも途中からでも見られて良かったと思ったのだった。
| 固定リンク
「*芝居」カテゴリの記事
- 「夫婦パラダイス~街の灯はそこに~」を見る(2024.09.16)
- 「主婦 米田時江の免疫力がアップするコント6本」の抽選予約に申し込む(2024.09.08)
- 「バサラオ」を見る(2024.09.01)
- 「破門フェデリコ~くたばれ!十字軍~」を見る(2024.08.25)
- 朝日のような夕日をつれて2024」を見る(2024.08.18)
「*感想」カテゴリの記事
- 「夫婦パラダイス~街の灯はそこに~」を見る(2024.09.16)
- 「バサラオ」を見る(2024.09.01)
- 「破門フェデリコ~くたばれ!十字軍~」を見る(2024.08.25)
- 朝日のような夕日をつれて2024」を見る(2024.08.18)
- 「奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話」を見る(2024.08.12)
コメント
あんみん様、お帰りなさいませ。
1泊4観劇の弾丸ツアーでお疲れではないでしょうか。
「春琴」よかったですよね、やっぱり。
深津さんというと、私は最後の最後に、ヴェールのようなものを被ってじっと正座(だったか、椅子に腰掛けていらっしゃったか、すでに記憶がおぼろです)でいらしたのが一番印象に残っているかも知れません。春琴が亡くなってしまった後を演じていたので、スポットを浴びることもなく、闇に沈みそうな佇まいでした。
そうなんですよ、私も何かで「最後」というのを読んで今度こそ見に行こうと思ったことを想い出しました。
ぜひ、再演して欲しい舞台です。
でも、同時に新しい「春琴」も見たいようにも思います。
投稿: 姫林檎 | 2013.08.12 23:05
いがぐり様、はじめまして&コメントありがとうございます。
舞台の最初のシーンと最後のシーンは呼応しあっていたのではないかというお見立てですね。
やはりそこに仕掛け(という言い方は良くないのかも知れませんが)があることが多いですし、特に「春琴」は何層にも世界が重なっているようなお芝居だったので、やはり「最初を見逃している」というのは痛いです。
教えていただいてありがとうございます。
でも、それでもやっぱり見られて良かったと思っています。
またどうぞ遊びに来てやってくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2013.08.12 22:41
(訂正)
思わずその役を飛び出して、春琴となって叫んだ~ではなく
人間人形を突き飛ばした(だったかな)はず。。。
あと冒頭では春琴の姉の乳母が、皆に可愛がられる春琴に嫉妬して
元々目の流行り病があった春琴に何かを浸した布を、目に当てて失明させました。(確か。。)
投稿: あんみん | 2013.08.12 15:24
こんにちは、帰宅して再び。
いいお芝居にはコメントが続きますね、みんな誰かと分かち合いたくなるんですよね。
ぷらむさんのコメントもああ、そうだったと灌漑深い気持ちです。
棒と畳と書きましたが、『布』『紙』も活躍しましたね。
最初の場面、現代のスーツ姿でキャストが笈田さんの後ろに6人位並んで、深津さんが濃いグレーのスカーフを持っていました。
笈田さんの生い立ち話の後で、前方上手のスツールに深津さんが静かに正座して
スルスルと流れるように頭にスカーフを被り、春琴のお墓となりました。
とても印象深かったです。
最後にも白い着物で深津さんの春琴が同様に正座してましたよね。
あの姿も美しかったですね。
また印象深かったのは人間人形の遣いとしていた深津さんが
思わずその役を飛び出して、春琴となって叫んだところです。
あの場面だけが全体の『静寂』を破った気がします。
これがラストツアーと有りますが、ぜひぜひ再々々演してほしいです、笈田さんがお元気なうちに。
昨日の帰りに渋谷のJR改札口で『渋谷~渋谷~』と聞き、
なんでもないアナウンスが~ああ、これを聴くたびに春琴を思い出すな~とうれしく思いました。
投稿: あんみん | 2013.08.12 14:11
はじめまして。
劇を観はじめてまだ三年弱です。
丁寧に劇を観ておられる文章に惹かれて、いつも記事を楽しみにしています。
春琴は、とても心を揺さぶられました。
何だろうとしみじみ考えているところです。
これは、演出家が、谷崎の随筆「陰翳礼讃」に感銘を受けて、その世界観を「春琴抄」を通して表したと聞きました。
舞台始まり前の渋谷の構内放送と喧騒、また舞台最後の、蛍光灯のまぶしい白い光と喧騒に向かう人物たちは、陰翳を捨てた現代かと思います。
またこれからもよろしくお願いします。
投稿: いがぐり | 2013.08.11 23:19
ぷらむ様、コメントありがとうございます。
前に「時計仕掛けのオレンジ」のことでコメントいただいております。お久しぶりです。
「春琴」の舞台の始まりについて、教えていただいてありがとうございます。
なるほど、そういう始まりだったから、30分たってから入ってもストーリーには間に合った、という感じがしたのですね。笈田さんのお話は私も聞きたかったです。
そして、眼鏡をかけた机に向かっていることの多かった男性は作者の谷崎潤一郎だったのですね。すみません、教えて頂くまで想像もしていませんでした。
立石さんは、確かに地の文しかお読みではなかったですね。何となくですが、立石さん以外のラジオドラマの役者さんが舞台上にいつの間にか現れて来た、みたいな感じなのかと思っておりました。
またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2013.08.11 22:38
こんにちは。
以前に1度くらいは書き込みしたか?と思うのですが、いつも感想を読ませていただいています。
さて『春琴』について、少しだけ付けたし。
冒頭の部分ですが、前出の通り笈田さん自身のお話から始まります。80歳になること、生まれた年と「春琴抄」の発表が同じ年であること、小学校の頃、そのざっくりしたあらすじを知ったこと(おもに、俗物的な興味で)など。
語っている間に、ラストにも出て来た大きな壁がずんずん後ろに下がって、黒いスーツを着て並んでいた出演者も一緒に下がって行きます。いつのまにか、そこは春琴の世界です。笈田さんは、スーツを引き抜いて着物姿の佐助の晩年となり、舞台上手には「春琴抄」を書いた作家(谷崎ですね)が出て来ます。最初は、この作家が見つけた「春琴伝」をもとに春琴の墓を訪ねるくだりです。ここでは、まだラジオのナレーションはなく、作家の独白です。お墓(石?)は正座した深津さん自身、出演者が棒をそれぞれかざして作る「松の枝」が美しいシーンでした。
そして、暗転から真っ暗なラジオのスタジオとなり、現代の立石さんがラジオドラマのナレーションを始めるまでの芝居があります。立石さんは「春琴を演じている」のではなく、あくまで「地の文」だけを読んでいます。ナレーションが始まると同時に、立石さんの坐っている椅子とテーブルは舞台下手の定位置にひっぱられて移動して行きます。こうしてやっと「春琴」の物語が始まりました。
投稿: ぷらむ | 2013.08.11 12:36
あんみん様、お久しぶりです。コメントありがとうございます。
そして「春琴」のこと、教えてくださってありがとうございます。なるほど、そういう始まりだったのですね。教えて頂かなければ絶対に思いつきませんでした。
正直、9日は仕事が終わったところでかなりぐったりしていて、30分弱くらいで劇場に行けることは調べてあったのですが、でもどうしようかと迷っていたところでした。
あんみんさんのおっしゃるとおり、行って、(途中からといえど)見られて、良かったです。
そして、先ほど感想をアップしましたが、私も昨日のお昼に紀伊國屋サザンシアターにおりました。ニアミスですね!
それにしても、1泊4観劇とは、ハードスケジュールですね〜。
後半の2本もぜひぜひ楽しんでくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2013.08.11 08:59
こんばんは、本日千秋楽観ました。
その後ソワレの『頭痛肩こり樋口一葉』を観終えてブログに遊びに来ました。
1泊4観劇のお盆遠征ツアーです。
ひとこと、春琴を観る事が出来て幸せだったと。(初見)
最初の30分ですが、笈田ヨシさんの自身の生い立ちの語りから始まりました。(80歳とはとても思えない!)
開演前はなぜか延々と渋谷駅のアナウンスがテープで流されていました。
『渋谷~渋谷~、駆け込み乗車はお辞め下さい。』等々。意図は不明。
流れる様に、畳と棒が状況を造り、人形が独特の雰囲気を作っていましたね。
特にキャストがデスマスクの様な貼り付けをした、春琴が印象に残りました。生々しかったですね。
深津絵里さんが突出してるでも無く、誰もが主役のような感じでした。
ラジオドラマの『じぇじぇ!』は不要な気がしましたが(笑)。
丁寧に全員が作り上げて、1回毎に大切に演じている舞台だと重いました。余韻に浸れます。
大切な引き出しにしまっておきます。
明日は二都物語と其礼成心中です。
投稿: あんみん | 2013.08.10 22:57