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2013.09.07

「悪霊-下女の恋-」 を見る

M&Oplaysプロデュース 「悪霊-下女の恋-」
作・演出 松尾スズキ
出演 三宅弘城/賀来賢人/平岩紙/広岡由里子
観劇日 2013年9月6日(金曜日)午後7時開演
劇場 本多劇場 E列8番
上演時間 2時間15分
料金 6500円

 ロビーではパンフレット(800円)等が販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 「悪霊-下女の恋-」 の公式Webサイトはこちら。

 ネタバレありとはいうものの、実際のところ、いつものことながらどんな芝居だったのかよく判っていないような気がする。何というか、基本的にスプラッタではないし、いかにも不条理な感じもしないのだけれど、何というか、全編にわたって不穏な空気が流れ続ける。
 その不穏な空気の発するところは、どうやら平岩紙演じるところのナミエというキャラクターと、ナミエというキャラクターを演じる平岩紙という女優の双方であるらしい。本当にウズウズというかゾクゾクというかゾワゾワとしてしまった。

 ナミエは、三宅弘毅演じるタケヒコの婚約者である。
 そのタケヒコは売れないお笑い芸人で、広岡由里子演じる母と2人暮らしらしい。ちなみに、松尾スズキは公式サイトで「老いた母」と書いているけれど、とても老いているとは思えない元気かつ妖艶(?)な母である。しかし、ナミエの不穏さに比べて、その年季が違うのか、あまり表に出ている感じがしない。通奏低音という感じで舞台全体に常にさりげなく流れているのだけれど、しかし、「不穏さの源」は彼女ではないように感じる。

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 10年前の初演以来「悪霊」で広岡由里子が演じた役は、恋する乙女と、老いた母。
 はたして、この再再演、老いた母はますます充実するだろうが、恋する乙女をどう処理するか。
 もっともスリリングな公演になりそうだ。
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 その母の息子でナミエの婚約者であるところのタケヒコは、お笑い芸人であると同時にお笑い「作家」でもあるらしい。三宅弘毅が「自分に作家が演じられるのか」というようなコメントをどこかでしていたと思うのだけれど、意外と作家っぽい感じがするのに驚いた。驚くのも失礼なのだけれど、茶髪にサングラスがやけに似合っている。ときどき、何か違うモノに見えてしまうところが多少勿体ないような気もするけれど、このウネハラ家にはその筋の親族も多いということだから、それはそれでいいのだろう。

 タケヒコとコンビを組んでいるのが賀来賢人演じるハチマンで、ハチマンというのが本名なのか芸名なのか気になるところである。
 名前もそうだけれど、どうも「お父ちゃん」とか「おじさん」とかタケヒコの父親(すでに亡くなっているらしい)を指す言葉が激しく混乱しているのはどうしてなんだと思っていたら、ナミエにも内緒だったらしいのだけれど、タケヒコとハチマンは子供のころからの友達というだけでなく、父親を同じくする兄弟なのだということが判明する。平たくいうと、タケヒコの父親が愛人に産ませた子供がハチマンである。それならタケヒコの母とハチマンのこの関係はどう考えればいいんだと思っていると、それも母親自身の口から語られる。

 母は、自分の夫のことはとことんん激しく、縁のものは全て燃やし尽くしたくらい嫌い憎んでいるようなのだけれど、ハチマンのことは何故か普通に可愛がっている。
 多分、この家の大本のゆがみはそこにあるんだろう。一見、普通の母親だけれど(いや、今回広岡由里子が演じている母親を普通と評すのはどうかと自分でも思うけれど)、その奥底にある狂気はやはり深く静かに潜んでいるのだ。

 もう一つ、こちらはそれほど静かにでもなくこの芝居の「影」を担っていたのが「イノウエ」という舞台には登場しない人物で、彼ら2人の同級生であり、近所のレンタルビデオ屋の店主であり、後になって判ったことも含めて丸めてしまうと、ハチマンがいじめっ子、そのいじめっ子に虐められていたのがタケヒコとイノウエの2人で、ハチマンはタケヒコに命じて、イノウエに毎日のように「10年後に壊れる」と囁かせ続けていた、それが何故か10年後の今、タケヒコは妙にイノウエに支配されているように見える、そういう関係らしい。

 しかし、この家族は誰かが飛び出すたびに壊れて行き、タケヒコは交通事故に遭って立てなくなり、ハチマンとナミエは最初のハチマンの宣言どおりにデキてしまい、母までも自宅の隣の敷地に貨物鉄道が通ったことに抗議すると飛び出して鉄道事故で亡くなってしまう。
 それがどうも悲劇的に見えないところが困る。
 もっと不穏なものがここにはあるという感じがするからだろうか。
 場所は全く動かないのに暗転が多用され、多用される分、暗転の間にはメッセージが流される。そのメッセージが芝居の内容と関係あるのかないのか、それを考える時間を与えない絶妙な切り替えのタイミングがいいと思う。

 そして、「どこが下女の恋なんだ」「何が悪霊なんだ」と思っていたところ、悪霊も下女の恋も、タケヒコの母が亡くなったところから始まる。
 母の葬儀を終えた後、タケヒコは「悪霊と取引して立てるようにしてもらった」と言い、何だかヘンな動きながらも立って歩いてみせる。
 そして、母そっくりのホキという若い家政婦(という設定のようなのだけれど、そういう風には見えなかった、ような気がする)がやってきて、生前の母から遺言状を預かり、この家に来るように言われていたのだといい、母から聞いた話だけでどうやら彼女はハチマンに恋していたらしいことがあっさり本人の口から語られる。

 いきなり、(多分)舞台の半分以上も過ぎたところで、タイトルにもなっている悪霊と下女の恋の双方が一気に登場である。訳が判らない。
 ナミエが身ごもったのはハチマンの子供だったり、それを母の葬儀の日にタケヒコと寝ることでごまかそうとしたり、しかし実はそれはごまかしきれていなかったり、ナミエとハチマンの話をホキが全て聞いてしまったり、その直後に母の嫁入り道具である風見鶏のついた屋根から拳銃が発見されてそれがどうやらこの家の父親が殺されたときのものらしかったり、ナミエがハチマンの子供を身ごもったり、そういえばハチマンは生き物を殺すごとに体中にみみず腫れができる体質だったり、そのハチマンが調べたところではタケヒコがずっと気にしていたイノウエは実はこの街からとっくにいなくなっていたり、悪霊との取引というのは「この取引を裏切ったら**を殺す」という契約で自分を律することがポイントとなっているらしかったり。
 とにかく、後半が怒濤の展開で、間に何故か挟まれるやけに巧い歌ややけにピントがぼけているダンスだったりで緩和されているせいなのか、そもそものスピードのためなのか、いつの間にか不穏な空気が消えていることに気がつく。

 最後、タケヒコが全てに気がついていたことをハチマンに語り、その様子に気付いたホキがタケヒコを撃つものの失敗し、その拳銃はタケヒコの手に渡る。
 ホキはそのままナミエの出産を手助けしに行き、タケヒコがハチマンを撃った瞬間、ハチマンはバナナの皮で滑って命拾いする。「やけに静かだ」というタケヒコの言葉に応えるように出てきたホキが、手と割烹着を血で汚し、「あかん子でしたわ」と報告する。
 そこで、幕だ。

 ここで幕?! と相変わらず思った私である。
 私は心底から分かりやすいお芝居が好きだし、難しいお芝居が苦手なので、とにかく最後に回答を出して貰ってスッキリしたいのだ。
 なのに、何故、ここで幕なのだ。

 激しく歪んでいるからこそ、普遍的な家族がここにいて壊れて行った。
 これはそういう舞台だったと思う。

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