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2013.09.22

「ヴェニスの商人」を見る

彩の国シェイクスピア・シリーズ第28弾 「ヴェニスの商人」
作 W.シェイクスピア
翻訳 松岡和子
演出 蜷川幸雄
出演 市川猿之助/中村倫也/横田栄司/大野拓朗
    間宮啓行/石井愃一/高橋克実 他
観劇日 2013年9月21日(土曜日)午後1時開演
劇場 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール 2階V列14番
料金 9000円
上演時間 3時間10分(20分間の休憩あり)

 ロビーでは、パンフレット(1500円だったか2000円だったか、よく覚えていない)の他、Tシャツやジーンズの布バッグ、ストラップ等が販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 彩の国さいたま芸術劇場の公式Webサイト内、 「ヴェニスの商人」のページはこちら。

 彩の国さいたま芸術劇場のシェイクスピア、オールメールシリーズの「ヴェニスの商人」である。
 もうこれは、舞台奥行きを狭くするように舞台背景が立ち、そこにドアと窓が切られるという舞台装置も、すべての役を男優が演じるというのと同じように「枠」だということなんだろう。
 その壁の窓やドアにはギリシア風の彫刻が彫られ、ストライプの柱を前方に立たせてドアを開け、道を見せることでヴェニスの街並みにし、ドアも窓も閉めてシャンデリアを降ろしてくることで屋内にする。場面転換は鮮やかだ。

 オールメールシリーズに市川猿之助が出ると聞けば女役、ヴェニスの商人だったらポーシャに違いないと思うところだけれど、今回は、シャイロックを演じている。
 あら、老け役が似合う、と思う。
 ポーシャは中村倫也が演じていて、見事に違和感がない。ドレスの裾の扱いもきれいだし、声も「低い声の女性」で通じる感じ、体型もドレスにも助けられているのだろうけれど華奢に見える。普通に、若くて綺麗なお嬢さんである。
 メリッサを演じていた岡田正も、何故かこちらも違和感がないのが不思議である。違和感はないのだけれど、シェイクスピアの時代は、男性が女性も演じていて、シェイクスピア劇に女性の登場人物が少ないのはそのためということもあるんじゃないかしらとも思ったりした。

 「ヴェニスの商人」というお芝居は、どうしたってシャイロックが一人勝ちするお芝居だし、一人勝ちして貰わないと成立しないお芝居だという感じもする。
 市川猿之助はもう、とにかく楽しげに、憎々しくてイヤな感じのシャイロック爺さんを生き生きと演じている。絶対にこの人、今この役を演じていることを楽しんでいるよ! という感じがひしひしと伝わって来る。
 とは言うものの、シャイロックを憎々しげに(私の感覚だとありのままに)造形するとなると、さて、他の登場人物をとう作り上げて、どういうお芝居にするのかということが「見せどころ」になるのだと思う。シャイロックが一人勝ちする舞台だけれど、一人勝ちさせているだけでは面白くないのだ。

 そもそも、前に「ヴェニスの商人」を見たときも思ったのだけれど、アントーニオという人物はそんなに「いい人」なんだろうか。
 人前で散々シャイロックを罵ってきたことは本人も認めているし、「借金が返済できなければ自分の肉1ポンドを担保に渡す」という証文にサインしたのも自分である。強制された訳ではない。
 証文にサインしたとき、「自分が返せない訳はない」と思う過信があったのだし、「万が一返せなかったとしても本当に肉1ポンドを取られる筈がない。つまり、この借金は担保なしと同じことだ」という考えが全くなかったとも思えない。
 別に、「全き善」ではないと思うのだ。
 しかし、アントーニオを演じているのが高橋克実だし、このお芝居では、アントーニオを全き善としているような気がする。

 それを言うなら、自分はお金が全くないのに、好きな人にプロポーズするために友人に借金を申込み、その友人が自分のために危ない借金を背負おうとしているのを「感謝する」と当たり前に受け取るバサーニオという男もどうかと思う。
 これで、たまたまポーシャと相思相愛で、たまたまポーシャの父親が仕組んだ賭に勝って結婚できることになったからいいものの、そうでなければ、ただの笑い話では済まない。
 それに、アントーニオを救うためにポーシャが出してくれたお金を、普通に自分のもののように扱っていたし、ポーシャに求婚するときにその魅力として「財産」を挙げているし、こんな男と結婚してもポーシャは苦労するぞ、あっという間に財産を食いつぶされてしまうぞと思ったのは私だけなんだろうか。

 それはともかく、アントーニオが借金して作ってくれたお金でバサーニオは求婚に成功してポーシャを射止め、そのポーシャの屋敷にシャイロックの娘と駆け落ちしてきたロレンゾーがやってきて、アントーニオが投資していた船が一つ残らず難破してアントーニオが破産するという情報を伝える。
 その情報を聞いたバサーニオはポーシャが出してくれたお金を持ってヴェニスに取って返し、一方のポーシャとその侍女のネリッサは、ローマの法学博士に手紙を出すのと同時に自分たちが裁判に関われるよう出発の準備をする。
 「お金を払っただけではこの問題は解決しない」という実に正しい情勢判断である。
 しかし、同じ判断ができないバサーニオにポーシャは何の不満も持たないんだろうか。そこがよく判らない。

 案の定、シャイロックは、あらゆる人々の取りなしを全て蹴散らして、とにかく証文通りにアントーニオの肉1ポンドを渡すという証文をタテに裁判を起こすよう要求する。
 そこに、ポーシャとネリッサが扮した裁判官と書記官が現れて、「肉1ポンドだけで、血液を1滴たりとも流してはならない」とシャイロックをやりこめるのも、(当然のことながら)いつもの通り。そして、本人が拒否していたのだからと、ポーシャはアントーニオが借りていた3000ダカットそのものも返さなくていいと言う。
 さらに、シャイロックが執拗に肉1ポンドを要求したのはアントーニオを害する意図が明白であったとして、ポーシャはシャイロックから全財産を取り上げると宣告する。
 そこにアントーニオが人格者よろしく、財産の半分はシャイロックに残してやってくれ、ただしキリスト教に改宗することが条件だと言い、シャイロックの首にバサーニオが十字架をかけることまでする。さらに、裁判官の法服を着た人々は、そうしたうちひしがれるシャイロックを冷笑する声を漏らし続ける。

 これって虐待なのではと思う。
 アントーニオは、(あくまでもキリスト教徒としてということだけれど)シャイロックの罰を減じるよう進言している訳で、人格者というラインは守っている、ような気がする。シャイロックを冷笑する輪にも、バサーニオや友人達は加わっているように見えるけれど、アントーニオが加わっているようには見えない。
 しかし、その「善」はあくまでも独善的といえばいいのか、シャイロックがユダヤ教徒というところに(金貸しとして以上の)アイデンティティを持っていることは明らかなのに、命の代わりに(つまりは選びようのない形で)改宗を迫っているのはアントーニオなのだ。
 この辺りの、関係性を、整理するのではなく、シャイロックをあくまでも悪とするのではなく、シャイロックの悲劇という風に作りかえるのではなく、解釈を委ねるような終わり方がヴェニスの商人には相応しいのかも知れないという気がした。

 ところどころ、例えば市川猿之助が歌舞伎の所作をしてみたり、男装したポーシャとネリッサがうっかり女っぽいしぐさを出してしまったり(しかし、演じているのが男優なのだからこの辺りフクザツである)、道化も2人出てくるし、ネリッサとグラシアーノのでこぼこカップルぶりといい、笑いというよりはくすぐりの部分も随分とあちこちに散りばめてある。
 それが、市川猿之助のシャイロックの重さ、イヤな感じ加減、身も世もない嘆き方で醸し出される重苦しい空気を緩和するのと同時に、「考えろ」とどこかを叩き続ける役割も担っているようにも思う。

 ポーシャとネリッサが、帰ってきたバサーニオやアントーニオに実は自分たちがかの裁判官と書記官であったと明かし、シャイロックの娘ジェシカにシャイロックの財産の半分が譲られることになり、少なくとも、ポーシャの屋敷に集まってきた人々にとっては大団円を迎える。

 しかし、この舞台はここで終わらない。
 最後に、ヴェニスの街を一人歩いて去って行くシャイロックのシーンで終わる。
 片手を挙げ、背中を向けたその姿は、やはり、ただの「悪」ではないという雰囲気が漂う。

 ヴェニスの商人かくあるべき、そういう感じのする舞台だった。

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