「それからのブンとフン」を見る
こまつ座&ホリプロ公演 音楽劇「それからのブンとフン」
作 井上ひさし
演出 栗山民也
演奏 朴勝哲
出演 市村正親 /小池栄子/新妻聖子/山西惇
久保酎吉/橋本じゅん/さとうこうじ/吉田メタル
辰巳智秋/飯野めぐみ/保可南/あべこ / 他
観劇日 2013年10月5日(木曜日)午後0時開演
劇場 天王洲銀河劇場 1階F列34番
料金 9800円
上演時間 2時間40分(15分の休憩あり)
ロビーではパンフレット等が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
市村正親演じる大友憤は、売れない作家である。牛乳瓶の底のような(というのも死語なんだろうか)眼鏡をかけ、インスタントラーメンが好物で、「自分の小説は難解で売れる筈がない」と断言するような、言ってしまえば「偏屈な」作家である。
しかし、そこへ、久保酎吉演じる出版社の男が現れて言うことには、「ブン」という泥棒が大活躍をする小説が売れまくっているらしい。
しかし、小説が売れればいいという話でもない。
どうやら、彼の小説から「何でもできる四次元的存在」である大泥棒ブンが現実世界に現れ、自由の女神のトーチから、しまうまの縞まで、ありとあらゆるものを盗み始めたのだ。
しかも、売れた本の数だけ、この世にブンが現れているらしい。
変装も大得意のブンはありとあらゆる姿で現れるけれど、結局は、小池栄子演じる地味めの着物に束髪という美女の姿に落ち着く。それというのも、その姿が大友憤の一番好みの姿だったからだ。
突然現れた大泥棒の活躍(?)に、警察はてんてこ舞いだ。
橋本じゅん演じる警察庁長官(いや、警視長官だったかな?)は、ついには、山西惇演じる怪しげな男を連れてきて、新妻聖子演じる悪魔を呼び出してもらうことまでやってしまう。
おかしいだろ! とツッコむヒマもない展開である。
前半の1時間半弱は、作家とブンとの交流といえばいいのか、意思疎通が図られるまでが語られている、ような気がする。
歌も満載、舞台左手奥に置かれたグランドピアノも大活躍、ブンは次第に「盗む」ものを替え始め、「モノ」ではなく、「権威」を盗むのだと言い始める。人間が欲しがっているものは全て「権威」つまりは人を自分の意のままにしようとするためのものばかりだというのが、ブンの出した結論らしい。
それに対して作家のフンが「それは厳しすぎるのではないか」と返すのが、意外といえば意外だ。作家・大友憤はもっと孤高を保ち、自ら恃むこと厚い人間なのかと思っていたけれど、そうではなかったらしい。
同じように思ったらしいブンは、大友憤から記憶を盗み、彼は幼稚園生のようになってしまう。
休憩後の後半、話は何だか二転三転し始める。
ブンを捕まえるために、悪魔は「偽ブンの物語」を書くゴーストライターを捕まえてくる。おまけに、大友憤を人質に取ればブンを捕まえることなどたやすいと囁く。
大勢のブンが善後策を検討している(しかし、その割にヘルメットにマスクという格好なのだけれど)場所に現れた偽ブンは、「虫歯がない」という一点で見破られて殺されてしまう。強引すぎる展開ではないか。
そして、小池栄子演じるオリジナル・ブン(大友憤が書いた生原稿から飛び出したブン、ということらしい)が、全てのブンに「自首」を呼びかけ、大友憤はどうやら無事に釈放される。
全てのブンは今や何千何万という数になっており、彼らを収容した刑務所は、長官の「できるだけ長くブンを閉じ込めてやる」という固い決意のもと、ブンを長生きさせるべくどんどん快適な環境になって行く。面会に来た大友憤曰く「高級ホテルのような」刑務所らしい。
すると、大勢の日本人が「盗みを働けば、刑務所に入ることができる。娑婆で生きて行くよりも、至れり尽くせりの刑務所で暮らした方がずっといい」とどんどん罪を犯し、自首し始める。
ブン曰く「これが狙いだったのよ」と目をキラキラさせているのだけれど、この辺りから、何だか物語の行き着く先が判らなくなってくる。
井上ひさしの戯曲は、どこまでも広げた風呂敷をあっと驚く業ですべて大団円に結びつけまとめる鮮やかさか、一人の人間をこつこつ誠実に追って行く物語か、私の中ではそういう舞台だというイメージなのだけれど、この物語はどうもどちらでもなかった、ような気がする。
世界中で翻訳されたため、ブンも世界各国にいる、らしい。
その世界各国からのブンが集まり、我々の代表を選ぼうという話になったのだけれど、どうも翻訳された結果、大友憤が描こうとしたブンとは全く違うブンが存在することになっているらしい。
権威や、何やら、とにかく「余計なもの」を盗む(それは、脱ぎ捨てるということでもあると思うのだけれど)ことで、残るのは「ただの」人間であり「素晴らしい」人間だというメッセージが、何故か、ソ連(いや、ロシアだったか?)や韓国では、全く違う風に訳されてしまっている。
なぜなら、それは大友憤が描いた世界は、彼の国々では決して許されない「理想」だからだ。
この物語のポイントはそこなのか?
世界中のブンが争うきっかけは間違いなくここで、しかし、それがこの芝居の語りたいことなのか?
「何でもできる」ブンが、お互い、殺そうとし殺されまいとした結果、にらみ合いとなり、世界中のブンはほぼ消滅してしまう。
「何でもできる」ことはそんなに素晴らしいことの訳がないというメッセージなのか?
しかし、最後に残った3人のうち、オリジナル・ブンはひたすら残りの2人に消されまいとして逃げ続けることになる。その途中、ブンは産みの親であり恋人でもあったろう大友憤に会いに来る。多分、逃げ切れないと思ったんだろう。
しかし、そのブンに、刑務所に放り込まれてなすすべもない筈の大友憤は、「これから私がおまえの味方をたくさん書く。あと少しの辛抱だ」と語り、紙も鉛筆も与えられない中、独房の壁に自らの血で物語を書き始める。
物語を書く大友憤の顔は、充実感に溢れ、笑みが浮かんでいる。
そこで、幕である。
全てを奪われた(盗まれた)ように見える大友憤だけれど、しかし彼には書くことだけは残されている。彼から書くことを取り上げることは誰にもできない。
それが「人間にとって一番大切なもの」なのか?
私が「判らない」と思うのはよくあることなのだけれど、このお芝居は今でも「判っていない」という確信がある。
私は何を見逃し、聞き逃したのだろう。
しばらくは、気になって仕方がなさそうだ。
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