「イーハトーボの劇列車」を見る
こまつ座 第101回公演「イーハトーボの劇列車」
作 井上ひさし
演出 鵜山仁
出演 井上芳雄/辻萬長/木野花/大和田美帆
石橋徹郎/松永玲子/小椋毅/土屋良太
田村勝彦/大久保祥太郎/みのすけ/他
観劇日 2013年11月2日(土曜日)午後6時30分開演
劇場 紀伊國屋サザンシアター 6列2番
料金 8400円
上演時間 3時間10分(15分の休憩あり)
ロビーでは、「the 座」の他、井上ひさしの著作やトートバッグ、リピーターチケットなどが販売されていた。
あと、主演の井上芳雄とこまつ座社長の石川麻矢との対談が載ったスポニチを売っていたのが何となく可笑しかった。
ネタバレありの感想は以下に。
何度も再演されている芝居だそうなのだけれど、私は多分、初めて見たと思う。
タイトルからも予想できるとおり、宮沢賢治の評伝劇だ。でも、その舞台は、上京する汽車の中と上京した際の滞在先のみで、汽車が花巻を出発するシーンは描かれるけれど、花巻のシーンは一切描かれず、花巻での宮沢賢治は本人や周りの人の口から語られるだけである。
花巻駅出発の際、みのすけ演じる車掌さんが必ず「この列車は、**年**月**日**時**分発〜」とアナウンスしていたけれど、例によって例のごとく、私はその年号を全くチェックしていなかったのだった。
宮沢賢治は生涯に4回上京したのか、あるいは何度も上京したうちの4回を取り上げたのか、この芝居では4回の上京が演じられている。
1回目は妹のとしこが入院したのでその看病に母親と一緒に上京し、2回目は父親と信仰のことで対立して家出同然に上京し、3回目は「農民芸術」の準備のためにエスペラント語の勉強や音楽の勉強のために上京し、4回目は経営する肥料工場で作っている煉瓦のセールスのために上京する。
何というか、浮き沈みが激しい。
井上ひさしの戯曲といえば、一人何役も演じるというイメージが強いのだけれど、このお芝居はあまりそれをしていない。木野花(宮沢賢治の母親と下宿先の女将さん)、大和田美保(宮沢賢治の妹と最期の「イーハトーボの列車」のお世話係)、松永玲子(としこの入院先の同室の病人と宮沢賢治が泊まった旅館の仲居)がそれぞれ判りやすく2役を演じたし、いわゆる「コロス」に近い役は全員で演じていたけれど、一人の役者さんがほぼ一人の役を演じているというのは、何だか新鮮な感じがした。
新鮮だったけれど違和感も感じて、何故だか「この役は**を演じた役者さんが兼ねられるのでは」などと上演中にパズルをしてしまったくらいだ。
辻萬長も宮沢賢治の父親と、その父親に頼まれて賢治を尾行する刑事を演じていた。
この一人二役は判りやすくて、どちらも「賢治をやっつける」役回りである。父親は、家出した賢治を追いかけてきて「信仰論争」を挑んで勝って賢治を東京から花巻に連れ帰り、刑事は賢治に「百姓を莫迦にするな」「おまえは百姓で食っていないのだから百姓ではない」と怒鳴りつける。
2人の言っていることは決して共感できることではないのだけれど、劇中の賢治もそうだったように、なら正面切って言い返せるかというとなかなかそれもしにくい。
賢治は彼らの論破され、実際に農業指導も成功したとはいえず、最期に「自分はでくのぼうだ」と語り、弱い日蓮聖人にシンパシーを感じると語るようになる。
ちょうどよしながふみの「大奥」を読んでいたこともあって、タイプは恐らく全然違うのだろうけど、平賀源内を思い出した。有り余る才能があって、それを発揮しようとしたけれど、その才能を生かしたとも花開いたともいえない若さで亡くなった感じが何となく重なる。
上京する電車には、人買いの男が乗り合わせており、そのたびに賢治と知り合った(あるいは知り合いだった)男達を助けるふりをして自分の見世物一座に引き入れて行く。
あまり気持ちのいいシーンではない。
それは、「知り合いの一人すら助けられない賢治」ということなのか、あるいは全く別の意味があるのか、その辺りはよく判らなかった。
宮沢賢治の物語や詩をほとんど読んでいない私には、この評伝劇にちりばめられていたそのモチーフはほとんど判っていない。恐らく、山男や熊撃ちの男たち、人買いの男に取り込まれた彼らは、童話の登場人物だったのだろうなと想像するだけだ。
上京する電車の車掌はまた、いつも同じ車掌で、この車掌が賢治のところに現れて「思い残し切符」を手渡して行く。
最期に、賢治が「この切符を託された人間はあと2〜3年は生きる」と言ったとき、同時に車掌から「あなたへ渡す切符はない」と言われて「判っている」と答えてもいる。
一緒にいたけいこの兄に渡す切符がないことも判っていると賢治が答えたとき、果たして彼の寿命がないということだったのか、彼には「引き継がせるべき思い」がないということだったのか、それも知りたいと思ったことのひとつだ。
この芝居全体が、最初と最後に語られるように、人々がこの世からあの世に行く途中に演じた寸劇であり、演じていた彼らが「思い残し切符」を託すまでの物語だ。
その中に、「宮沢賢治」という青年の物語がすっぽりと収まっている。
そして、最期には、その死者たちの列に宮沢賢治自身も加わる。何というか、よく判らないのだけれど、「すべてが循環の輪に閉じられた」という感じがする。
舞台の奥にピアノが置かれて生演奏が入れられ、そんなに多くはなかったと思うけれど歌も随所で歌われる。もっと朗々と歌い上げることもできるだろうに、井上芳雄がその歌に完全に溶け込んでいるのがいい感じである。
芝居の多くは舞台の中央に一段高く、そして八百屋に作られた回り舞台の上で演じられる。それはやっぱり死者たちの寸劇という浮遊感というか現実感のなさを醸し出していたように思う。
何年か後にまた見てみたいお芝居だと思った。
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コメント
あんみん様、コメントありがとうございます。
とうとう、同じ場所、同じ時間に観劇したんですね。
何だか嬉しいです。
やっぱり、そういうこともなくっちゃ(笑)。
井上さんの歌が少ないというかほとんどないのは勿体ない気もしますが、本気で歌って突出しちゃうより正解だったんじゃないかしらと思っています。
井上ひさしの音楽劇の温かみはこれでオッケー、と思っている私です。
あんみんさんはこの3連休(の2日)は、東京遠征ツアーだったんですね。
大阪公演が先で、予想外に軽いお芝居・・・。どれだろう? 気になります。
お気を付けてお帰りくださいね。
投稿: 姫林檎 | 2013.11.03 22:08
ついに同じ公演観劇来た!
こんばんは、あんみんです(笑)。
11/2のソワレ観ましたよ。
本日はロスト・イン・ヨンカーズの千秋楽を観て
上野の森美術館の三谷幸喜の映画の世界観展に行き、只今新幹線中です。
実は先週ある舞台の大阪公演を観てきまして、
(姫林檎さんは東京公演を観ると思います)
それがちょっと予想外に軽かったので、(観る前にごめんなさい)
なんだか手作り感の温かみのあるお芝居を欲していました。
こまつ座はピッタリでした。
『シュー』『ダーッ』が耳に残ってます。
劇列車っていいですね。豪華なセットも過剰な演出もなくて、それでも十分でした。
私も山男や熊撃ちの意味がよく解らなかったので、唐突に感じましたが。
東北弁の素朴な役からちょっとワル、ミュージカルからストプレ、
井上芳雄さんは今引っ張りだこですね。
もうちょっと歌って欲しかった。
けいこ役に熊谷真実とかがやったらどうかなと思います。
私もまた何年後かに観たいです。
投稿: あんみん | 2013.11.03 21:12