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2014.03.30

「蒼の乱」 を見る

劇団☆新感線 2014年春興行 いのうえ歌舞伎「蒼の乱」
作 中島かずき
演出 いのうえひでのり
出演 天海祐希/松山ケンイチ/早乙女太一
    梶原善/森奈みはる/橋本じゅん
    高田聖子/粟根まこと/平幹二朗 ほか
観劇日 2014年3月29日(金曜日)午後6時開演
劇場 東急シアターオーブ 2階LB列8番
上演時間 3時間50分(20分の休憩あり)
料金 12500円

 ロビーでは、パンフレット(1800円だったか、2500円だったか)等のグッズが販売されていた。
 カフェで、この芝居にちなんだカクテルが販売されていて、ちょっと飲んでみたかったのだけれど断念。

 ネタバレありの感想は以下に。

 「蒼の乱」 の公式Webサイトはこちら。

 平将門といえば首塚、という程度の知識しかないまま見に行った。
 というか、今もやっぱり平将門といえば首塚という以上の知識は私の中から出てこない。wikiで平将門を検索して「平安時代の人だったんだぁ」と思った、というくらい知らないのだ。
 中島かずきの脚本だから、恐らくはかなり史実を絡め、大胆に翻案してあると思うのだけれど、その部分を楽しめなかったのが勿体ないし申し訳ないなぁと思う。

 「蒼の乱」というこの芝居は、松山ケンイチ演じる平将門の物語でもあるし、天海祐希演じるその妻になった渡来人の蒼真の物語でもある。「主演 天海祐希」のお芝居だけれど、見終わっての印象としては、平将門が物語の主人公という感じだ。
 左大臣の屋敷で占いを行い、そこに「天下大乱」の卦が出たことで襲われた蒼真と高田聖子演じる桔梗たちを、警護についていた将門が助けるところから話が始まる。
 その左大臣の屋敷に招かれていた、梶原善演じる弾正淑人のいかにも頭の良さそうな立ち回りの上手そうな一癖も二癖もありそうな風情が実に効いているし、実際、物語の後半にかけてかなり効いてくる。

 将門の従兄弟の裏切りや、早乙女太一演じる都の大泥棒「帳の夜叉丸」との出会い、粟根まこと演じる藤原純友との出会いなど、虚実織りませて話はどんどん転がって行く。
 休憩前までは、物語の時間軸は一本通っているものの、後半に向けて一気に収束させるべく、こっちではこいつらがこういう思惑を持ち、あっちではこの人物が辛い過去を抱え、そうかと思えばこいつがコイツを襲っている、という感じで全くバラバラに見えるけれども絶対に繋がっているに違いない出来事を次々と見せて行く感じだ。
 純友も渡来人であったり、弾正淑人が純友を訪ねて来て「瀬戸内の海賊討伐を命じられたが、海賊達を農民や漁師に戻れるようにしてやるかた戦わないよう説得してくれ」と交渉に訪れたり、将門を純友に引き合わせた夜叉丸がその弾正淑人を襲ったり、一匹狼のように見せた夜叉丸を止める女がいたり、蒼真には「情け知らずの蒼真」なんていう二つ名があることが判ったり、もう「謎が謎を呼ぶ」展開がてんこ盛りである。

 その、場所が次々に飛ぶに合わせたセットの転換は、回り舞台と、舞台全体を覆うスクリーンのような幕、舞台の前方数mだけを開けて置かれる塀のような衝立でこなされる。
 それが不自然ではないのは、転換の音を聴かせない効果も狙っているのではという感じの音楽や音響と、客席に向けて放たれる照明と、両方が支えているように思う。

 そういう意味では、将門一人は「腹に一物ない」感じが漂っていて、かなり莫迦っぽいけど、その莫迦っぽさが清々しい。
 将門がこよなく愛する青い空と緑の草と風と馬とがある板東の地から何故京都に出てきたのかという謎は、これだけは最後までどうでもいい扱いを受けるのだけれど、単純明快で純朴、荒っぽくて猛々しい感じがいい。松山ケンイチの線の細さが逆に、その将門の造形を助けている感じである。
 蒼真がその将門の妻になろうと決心するその心の動きが今ひとつ判りにくかった(というか、唐突に感じられた)けれど、それもまぁいいか、という感じだ。
 どうやっても話が蒼真中心に進むところ、桔梗が「誰にも聞かれないんで自分から言いますが」と自己紹介を繰り返すのも、話の本筋とは関係ないのだけれど、関係ない分、可笑しい。

 可笑しいといえば、将門が蒼真に散々自慢していた「悩みがあると相談する」相手である馬の黒馬鬼として橋本じゅんが登場したときには、客席は大歓声だった。
 だって、馬である。
 頭に馬の頭を象ったものを被り、胴体から後ろ足を付けて、後ろ足と手に持ったステッキのようなものがつながっていて自在に動かしている。
 上手く説明できないのだけれど、その馬の感じはちゃちさなどは微塵もないかなり格好いい感じで、普通に将門と話している様子にも違和感がない。
 流石である。

 関東に戻った将門たちは、叔父たちに蹂躙されていた屋敷や所領をあっという間に奪い返し、何故かついてきていた夜叉丸の案内で、蝦夷たちの王である平幹二朗演じる常世王と出会う。
 山の民を率いる常世王は、何年か前に調停に反旗を翻したものの敗れ、今は追われる身だという。
 夜叉丸はその配下で、常世王の指示で純友を説き伏せて瀬戸内での反乱を起こし、同時にこの東国でも反乱を起こし、税に苦しむ民衆が自由に生きられる国を造ろうと将門に話す。
 最初は躊躇していた将門も、常世王たちには人の心を動かす業があるようで、蝦夷に伝わる剣を持ち、いつのまにか「東国の開放」を目指すようになる。

 さて、一体誰が善人で悪人なのか、将門の周りには(自らの失敗をやり直そうとしているのかも知れない蒼真も含めて)彼を利用しようという人間しかいないのか、最大限の謎がバラ巻かれたところで一幕の終わりである。

 二幕はもう、ひたすら切った貼っただった、という印象だ。
 もちろん、物語はある。進んでいる。
 常世王たちは、将門にブレーキをかけそうな蒼真が邪魔で仕方がないらしく、将門の心を操って蒼真を殺させようとする。将門は、そのこともあって心のバランスを崩して失踪し、純友から瀬戸内の状況を聞き、かつ説得されたこともあって、蒼真は「将門御前」として東国のこの戦いを引き継いで行くことを決心する。
 常に蒼真を心配し、蒼真が同じ過ちを繰り返さないようにでも見守るしかない桔梗を演じる高田聖子の表情が印象に残る。

 天海祐希はこのお芝居でもほとんどコスプレ状態なのだけれど、やっぱり、男装して鎧兜というこの戦いの間の格好が一番似合っているし凛として格好いい。
 実のところ、天海祐希が新感線で演じてきた役は「大きいけれど、実は弱い」女性ばかりだと思うのだけれど、その弱さを垣間見せつつスケールの大きい女を演じさせたら、やっぱり天海祐希の右に出る人はいないのだなぁと思う。

 屋敷と所領を取り返す戦いの中で自刃した元婚約者である森奈みはる演じる邦香の幽霊と出会い、何故か明るくてきとーになった邦香に叱咤激励され、久々に登場した弾正淑人と出会って、将門は、邦香が「結界が強すぎて入れない」と言う屋敷に連れて行かれる。
 そこには、平幹二朗が二役で演じる時の太政大臣がおり、蝦夷の王である筈の常世王が実は太政大臣の弟であり、政争に敗れて自分に仕返しするためにこの乱を起こしたのだと語られる。

 「政を改めるか」「東国に自治を認めるか」という将門の問いに、太政大臣は「できる限りのことはする」と答える。いや、今までやらなかった奴が「これからできる限りのことをする」と言ったって、信じる方がどうかしていると私などは思ったけれど、そこを信じてしまうのがこの芝居の将門である。
 将門はその「真相」に怒り、平将門ではなく田原藤太として常世王を討つと決める。常世王たちに操られて蒼真を殺しそうになったということも、将門の怒りを煽っている。

 この辺りからは、もう本当にひたすら斬って斬って斬りまくるシーンと、善悪が次々とひっくり返るどんでん返しの連続である。
 そして「斬って斬って斬りまくる」殺陣は、やっぱり、早乙女太一の流麗さが光る。流れとか舞いとか、そういう感じだ。
 まず純友を破った将門は、東に向かい、黒馬鬼と話せなくなっている自分に戸惑いつつも自分のやっていることに疑問を感じるところまでは行かず、常世王の居所を襲う。
 夜叉丸たちが常世王の正体に気付いていることを伝えられてもまだ気付けず、蒼真が「盟約は守る」と常世王の側についてもまだ気付けない。
 というか、見ているこちらも、ほとんど善悪は混乱している。そもそも善悪ではないのかも知れず、悪同士だったのかも知れないのだけれど、少なくともこの芝居では黒馬鬼がその善悪のジャッジを握っているように見える。

 蒼真の首がなければこの乱は治まらないという弾正淑人に対し、やっと「太政大臣等に騙された」という認識に至った将門は「どうしてよかれと思ってやったことが全て裏目に出るのだ」と嘆きつつ、しかし、ここは蒼真の首ではなく自分の首で乱を治めようと決め、それは蒼真を守るためなんだと告げる。
 抵抗していた割にあっさりと頷く蒼真がやっぱり今ひとつピンと来ないのだけれど、ここは将門が最後に死ななければ、将門を材に取った意味がない。

 将門は死に、常世王とともにその首は京に運ばれ、太政大臣の首実検を受ける。
 自分を左大臣にしてもらいたい、将門との約束を守って欲しいという弾正淑人に対し、太政大臣は「それとこれとは別だ」と素っ気ない。要するに、最初から帰る気も改める気もなかったということだ。
 そこへ、蒼真と夜叉丸がやってきて、2つの首を奪う。これで、将門は誰からも忘れられず、もしかしたら呪詛神となるかも知れないと言う弾正淑人に、太政大臣は「変えられるものならやってみろ」と左大臣を命ずる。
 結局、影の主役はこの人だよなぁ、と思う。この、いいんだか悪いんだか判らない、でも確実に癖のある感じは梶原善である。

 ラストは、大きな布一枚を八百屋になった床一面に張って風を送って草原に、奥の壁にこれまた大きな布一枚を垂らして風を送って空に、その空と風と草原の中に蒼真が立つ。
 このシーンに限らず、このお芝居は、随所に「風」を使っていて、それがとても効いている。
 蒼真が自分は自分として、ただの蒼真として生きて行く。そう語って、この芝居は幕である。
 布2枚だけの大きな舞台のど真ん中に立って舞台を埋める天海祐希はやはり格好良すぎる。

 謎が謎を呼ぶ展開で、常に前のめりになって見てしまった。
 そして、呼ばれた謎は、舞台の中できっちり回収され、「そうだったのか!」感満載である。
 面白かったし、スケールの大きさもたっぷり味わえた。
 でも、何故か「爽快感」がなかった理由が今もって判らない。本当にどうしてなんだろう。  

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