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2014.03.21

「あとにさきだつうたかたの」を見る

加藤健一事務所 VOL.88「あとにさきだつうたかたの」
作 山谷典子
演出 小笠原響
出演 加藤健一/山崎清介/加藤義宗/坂本岳大
    倉本徹/高野絹也/加藤忍/日下由美
    伊東由美子/春芳/三戸亜耶
観劇日 2014年3月20日(木曜日)午後7時開演
劇場 本多劇場  B列13番
上演時間 2時間
料金 5000円

 ロビーではパンフレット(500円)が販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 加藤健一事務所の公式Webサイトはこちら。

 もの凄く乱暴に書いてしまうと、先週見た「神なき国の騎士 —あるいは、何がドン・キホーテにそうさせたのか?」と同じように、東日本大震災、特に原発事故をテーマにしたお芝居である。
 こちらも、原発事故を正面からというよりは、じわじわひたひたという感じで迫ってくるように描いている。
 ここのところ職場の状況が酷くて、芝居を見ていてもつい反芻してしまい、集中できないことばかりだったのだけれど、このお芝居を観ているときは、本当にこのお芝居にだけ集中して見ていたように思う。そういう時間が持てたことがとても嬉しい。

 舞台は、戦災について展示している資料館(よりは、もう少し立派なイメージかも知れない)である。
 加藤健一演じる白髪の上品そうな藤崎静雄というおじいさんが、年間パスポートを持ち、毎日のように通ってくる。展示を見て、昭和の時代のニュース映像を毎日見る。
 そして、舞台は一転して、この資料館が展示している時代なのだろう、終戦直後に飛ぶ。静雄はまだ小学生で、どうやら伊東由美子演じる伯母の家に預けられているらしい。
 静雄の毎日は、高野絹也演じる盲目の傷痍軍人外村がアコーディオンとともに歌う唱歌と、加藤義宗演じるたかの息子の良一とともにある。

 しばらくは、この時代の変化と、人間関係の把握に戸惑ったのだけれど、話が進むにつれて、加藤忍演じる静雄の母は、爆撃から静雄を守るためにすでに亡くなっており、しかし、静雄のことが気になってずっと静雄を見守っているということが判る。
 そして、静雄だけでなく、外村もその母の存在を感じ、会話することができるようだ。

 静雄とその両親は御前崎で暮らしていたらしい。山崎清介演じる父親は滅多に帰って来ないようだ。最初は、母子の疎開先になかなか来られないとか、戦地からなかなか戻って来られないということかと思っていたのだけれど、そうではない。父親は、東京で報道の仕事をしており、静雄の母ではない女性と結婚しているのだ。
 静雄の母の、儚げな、ずっと目が潤んでいるような表情の意味がやっと判ったのは、申し訳ないことながら、おしばいがかなり進んだ後だった。

 子供時代の静雄をそのまま白髪で演じてしまう加藤健一がやっぱり不思議である。違和感がありすぎて、逆に自然に見えてくる。衣装を変えるでもなく、もちろんメイクだって変わらない。
 姿勢と声の出し方、上目遣いかそうでないかだけで、子供と老人をあっさりと見間違いようもなく演じ分けてしまうのが不思議だ。
 加藤健一事務所の常連(ここ数年だけなら、加藤健一の次に出演回数が多いのではないだろうか)の加藤忍の、昭和な女性のたたずまいも素敵である。白いブラウスにもんぺをこんなに清楚に着こなせる女優もなかなかいないよと思う。

 良一から「あんたの思想はどこにあるんだ」と詰め寄られる、戦時中は陸海軍の言うままに、戦後はGHQの言うままに番組を作り続けた父親を演じる山崎清介の、「子供のためのシェイクスピア」で見せるのとは全く違う厳格かつ無表情な父親像も、静雄の伯母たきを演じる伊東由美子のいかにも日本のたくましいおばちゃんで、しかも悲しい母親像も、出演している俳優さん達、戯曲に書かれている配役の一人一人が「全く欠くことのできない舞台の一部」であるのが凄いし、しかもそういう感じではなく自然に息づいているのが凄いと思う。

 「思想のないまま、誰かの言うまま、番組を作り続け、いわば情報操作をし続けた」父親に疑問を感じた静雄は、宇宙の始まりを知りたいと勉強を続け、学者になる。
 その「宇宙の始まり」を研究する過程で、彼は、原子力発電所に深く関わるようになったようだ。
 原子力発電所の「安全性」を展示する資料館のような場所に、静雄が理論としては確立した「安全神話」が展示され、しかし、同時に静雄が危惧している「しかし、全き安全などということはない」という事実が全く知らされないことに危惧を持つ。

 御前崎の市会議員とのやりとりを聞いていると、しかし静雄は、そのたびに抵抗し、「嘘はつかない」と宣言しながらも、原子力発電を推進する人々のために原子力発電の安全性を保証するかのような発言をメディアに対して行い続けて来たように見える。
 「父親のようになりたくない」と思いながら、しかし、父親が「戦争」と「戦後民主主義」を自分が信じている訳でもなく宣伝したように、静雄も「原子力発電の安全性」を全く信じていないにも関わらず宣伝する、いわば相似の人生を送っているんじゃないかと苛まれているように見える。 
 そして、その危惧はまさに正鵠を射ているように見える。

 否定だけしても、その否定する相手を超えられる訳ではないし、問題を解決できる訳でもない。
 そのことが、痛いほど伝わる。
 しかし、同時に、解決策がこの芝居で示される訳ではない。そう簡単に見つかるものでもないというのも、多分、事実なのだ。
 そういうことを、自然に考えさせてくれるって、何て凄いんだろうと思うのだ。

 その静雄が毎日、年間パスポートまで持って資料館に通っていたのは、そこで流されていた戦時中のニュース映画を作ったのが静雄の父親だったからだ。
 父親の作ったものを見れば、父親が考えていたことも判るかも知れない。晩年に会ったときはすでに痴呆が始まっていて、聞きたいことも聞けなかった静雄が尋ねる相手は、そのニュース映像しかなかったんだろう。

 しかし、両親と3人で見る筈だったウミガメの赤ちゃんが海に向かうところを、資料館の案内嬢らと一緒に見に行くことになった静雄は、ずっと持ち続けていたウミガメの卵の殻をその案内嬢に贈る。
 彼女はもうすぐ30歳で、アルバイトをしながら遠距離恋愛をしながら歌を歌っている今の自分の人生に揺らいでいる。
 勤めていた会社をリストラされて資料館で警備員をしている男性と3人、いわば「人生を迷っている」3人が、連れだって「一生懸命生きる」ことの師であるウミガメの赤ちゃんを見に行こうと言い合う。というか、警備員の男性は彼女の勢いに負けている。

 そうして、迷っていた3人が少しだけ上を向いたところで、このお芝居は幕となる。
 濃厚な2時間だった。

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