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シス・カンパニー公演「ロンサム・ウェスト」
作 マーティン・マクドナー
翻訳・演出 小川絵梨子
出演 堤真一/瑛太/木下あかり/北村有起哉
観劇日 2014年5月10日(土曜日)午後1時開演
劇場 新国立劇場小劇場 RB列32番
上演時間 1時間40分
料金 4500円
A席はサイドの席で、手すりのせいで舞台の一部が見えなかったりもしたけれど、お値段を考えるとコストパフォーマンスは良いと言えそうだ。
ロビーではパンフレット(500円)が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
そこは、堤真一演じる兄コールマンと、瑛太演じる弟ヴァレンとが住む家である。
農家っぽいのか、しかし、この2人に「働いている」感はない。
北村有起哉演じるウェルシュ神父の話から、この2人は銃の暴発事故で亡くなった父親の葬儀を終えたばかりだということが判る。コールマンが扱っていた銃の暴発事故で、父親は亡くなったのだ。
兄弟は木下あかり演じるガーリーンから密造酒を買い(正確には、お金を持っていて買えるのは弟のヴァレンだけである)、呆れる神父に「アル中の神父のくせに」と笑う。
何とも殺伐とした始まりである。
しかもというか、重要なことに、この兄弟は徹底的に仲が悪い。スキあらば相手の足もとをすくってやろうとしているし、物理的にも実際すくってみせる。
口論はもちろんのこと、あっという間にとっくみあいの争いになるし、相手のものを勝手に使ったり取ったり壊したりすることに全く躊躇しない。何というか、モラルゼロ、という感じだ。
当然のことながら、神父はこの兄弟が心を入れ替え悔い改めるよう説教し、とっくみあいの間に入るけれど、全く効果はない。
どころか、そんな徒労にもにも似た努力をやってきたガーリーンに笑われ、からかわれる始末だ。
コールマンは、何というか、根っからの「悪」という感じがする。悪いことをしているという自覚がないから、平気で酷いことをするし、反省もない。その分、カラッとしていると言えばしているし、馬鹿っぽいといえば馬鹿っぽいようにも見える。
ヴァレンの方は、すぐカッとなったりもするけれど、若干、論理的な感じがする。悪いことは判ってるけど頭に来るんだよ! と常に叫んでいるような感じだ。その割に、聖像をコレクションしているのが解せない。劇中では「コール万への嫌がらせのため」と言っていたけれど、それがどうして嫌がらせになるのか、よく判らない。
一触即発の兄弟関係なのだけれど、ヒリヒリしているというよりは、カラっとしている。しかし、いつ何が起こるか判らない危なっかしい感じは常に漂っていて、次はどうなるのかという緊張感をはらんだ状態が続く。
ウェルシュ神父は、この2人が危なっかしいと思っているからなのか、実は何となく親しみを覚えているからなのか、しょっちゅう兄弟の家を訪れる。人を殺した人間がこの村に2人いるのに告白させることもできないと悩んでいるところへ、警官を務めていた男が自殺したという知らせが入る。
幼なじみだった筈の兄弟は全く悲しむ様子を見せず、神父の苦悩は深まる一方だ。
何がきっかけだったのか、ヴァレンが半ば本気でコールマンを殺そうとし、「どうせ死ぬなら」と、コールマンは、銃の暴発事故で父親が死んだというのは嘘八百で、自分が髪型を馬鹿にされたからわざと意図的に父親を殺したのであり、それを知ったヴァレンが事故だと偽証する代わりに財産は全て自分が相続するという取引を持ちかけたのだということを語る。
これは、告白ではない。
だって、偉そうに言っているのだ。しかも、「そのことに気がつかず、事故だという言い分を信じていたのは神父だけだ」と嘯くのだ。
全くその行動原理だったり考え方だったり理解出来ないのだけれど、何故か嫌な感じではないのが謎である。
この兄弟は、予定調和でやっているのかも知れない、と思わせる。
割と暗転で時間の経過を知らせていたのだけれど、一回だけ、舞台上の兄弟の家の壁の一部を外し、桟橋風に作った一部にだけスポットを当てて、湖のシーンが展開される。
警官が湖に入ったその場所だというそこは、暗く、水面が揺れる様子がよく見えているのだろう。神父はそこに座り込んで湖面を眺め、神父がいることを知っていたのか、ガーリーンがやってくる。
神父は元からアル中だったから「とんでもない」場所にしか派遣されないのか、派遣されたこの場所があまりにもとんでもなかったからアル中になったのか、それは判らないのだけれど、しかし、静かに語っている分、その絶望の深さは伝わって来る。
湖に入ったら、それはカトリック教徒であれば地獄に行くしかない。許されていない自殺をするのであれば地獄行きが決定だ。しかし、生きていれば幸せになる、かも知れない。少なくともその可能性は生きている最後の瞬間まで存在し続ける。それでも死を選ぶのは何故なのか、神父は語り続ける。
ガーリーンは、そんな神父を元気づけようとする。傍目にからかっているようにしか見えないのは仕方がない。それがガーリーンなのだ。
ガーリーンに兄弟宛の手紙を託した神父は、彼女が去ると、「また今度はない」と呟き、湖に入る。
翌朝、ガーリーンが兄弟の家に神父の手紙を持ってやってくる。彼女の絶望は、神父に自分の気持ちが全く通じておらず、自分の存在は救いにはなっておらず、そして神父がこの兄弟のこと「だけ」を心にかけて死んで行ったのだということだ。
兄弟宛の手紙なんて読まなければよかったのに、と思わせられる。
その神父の手紙を、最初は適当に斜め読みしていた兄弟だけれど、ガーリーンの本気の怒りに触れて真面目に読み直す。
神父のお葬式の後、兄弟は、抜け殻になったようなガーリーンを心配しつつ、神父が書き残したように、一歩引いてこれまでの人生を振り返り、相手に言うべきことは言い、謝るべきことは謝り、仲良くなろうと試みる。
暖炉の上の十字架には、神父の手紙と、神父に贈ろうとガーリーンがお金を貯めて買ったペンダントがかかっている。
最初の内、それは成功しているように見える。お互いがお互いに懺悔し、そして許し合おうとしているかのようだ。
しかし、段々それは、少なくともコールマンにとっては「ゲーム」でしかないことが明らかになる。
「懺悔の内容の凄さ」を争っているかのようになり、その内容がえげつなくなればなるほど、笑って許せる状況ではなくなり、謝りの言葉は単なる「台詞」になって行く。
結局、コールマンは銃でヴァレンのストーブを撃ち、聖像を壊し、弾を込めた銃でヴァレンを狙う。
ヴァレンは、可愛がっていた犬を殺したのがコールマンだと聞かされ、肉切り包丁を握りしめて対峙する。
もう、神父の手紙も何の効果もない。
どころか、神父の手紙が原因で兄弟は殺し合いさながらの状況である。
気合い負けしたヴァレンが肉切り包丁を置き、一応、神父が心の底から心配していた殺し合いの危機は回避され、コールマンはビールを飲みに出かける。
その出かけるときにヴァレンを誘っているのがやっぱり理解出来ない。
この二人は何なのか。
そう思わせたまま、この芝居は終わる。
多分、そういう舞台だと思う。
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