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「テンペスト」
作 ウィリアム・シェイクスピア
翻訳 松岡和子
演出 白井晃
出演 古谷一行/高野志穂/羽場裕一/伊礼彼方
野間口徹/田山涼成/長谷川初範/ほか
観劇日 2014年5月31日(土曜日)午後1時開演
劇場 新国立劇場中劇場 1階13列55番
上演時間 2時間30分(20分の休憩あり)
料金 7350円
ロビーでは、パンフレット(800円)等が販売され、また、今年はシェイクスピア生誕450年に当たるそうで、その関連の展示等も行われていた。
ところで、客席にスーパー等のビニル袋を持ち込むのはマナー違反だと思うのだけれどどうなんだろう。
バッグの中にしまうとか、椅子の下に置くとかするならともかく、お隣の方はずっと手で持っていて、身動きをするたびにカサカサと音がして、集中を削がれてしまったのがかなり残念だった。
ネタバレありの感想は以下に。
考えてみたけれど、私はこれまで「テンペスト」を見たことはないらしい。
何となく「マクベス」に近い感じなのかなぁと思っていたのだけれど、その理由も不明である。「テンペスト」というのが「嵐」という意味だということと、ミランダという可憐な少女が登場するということだけは何故か知っていた。
開演前のロビーで、「テンペスト」は、シェイクスピアが一人で書いた作品としては最後のものであること、妖精や魔物などが登場すること、「ロマンス」と分類されていること等々を、それこそ付け焼き刃で勉強した。
舞台は相当に広く使っている。
多分、奥行きは全部舞台にしたのではないだろうか。
客席の最前列と同じ高さの舞台がずっと奥まで真っ直ぐに続いている様子は壮観である。最初はだだっ広いその舞台の上に、工事用なのか、電球がてっぺんについたスタンドがひとつぽつんと置かれ、そのスタンドが片付けられるとそこに、古谷一行が演じるプロスペローが登場する。
舞台の真ん中にライトで小さな水たまりが作られる。水面が揺れている。その水面をプロスペローがかき回すと、現実世界ではその水の揺れが嵐となって現れたらしい。
すると、そこに段ボール箱を満載したパレットの大型版といった感じの台車がいくつも現れ、一転、そこは嵐の海と化す。
傍若無人を絵に描いたような船客たちと、何とか難破を避けようとする船員達のやりとりがリアルだ。
中国っぽいと感じたのだけれど、女性3人が、踊り、「嵐」を作り出して行く。舞台後方にはバンドが陣取り、木琴など、音楽がかき鳴らされている。BGMであるのと同時に効果音も兼ねているようだ。
テンペストという物語自体を知らないし、登場人物も、羽場裕一を最初に見たときに何故か「白井晃は演出だけでなくて出演もしていたのね」と思ってしまったくらいの間抜けさ加減で見ていたので、最初のうちは人間関係が掴めずに四苦八苦した。
コートに帽子という男性陣の衣装は、これは、この時代(テンペストがいつの時代の物語なのかすら判っていないのだけれど)の標準的な服装なんだろうか。それとも、時代設定を変更した結果の衣装なんだろうか。
基礎的教養がないとこうしたことすら判らず、余計に混乱してしまうのだ。
プロスペローが高野志穂演じる娘のミランダにこの島に来た理由を語っているときも、話が染みこんで来ずに困ったくらいだ。
何とか、プロスペローとミランダは実の父娘で、ミラノ大公であったプロスペローは魔術の勉強にうつつを抜かしているうちに長谷川初範演じる弟のアントニーに騙されてミラノ大公の地位を乗っ取られ、追放されて、何とか当時は無人島だった(というか悪魔が支配していた)この島に辿り着いたらしい。
その後、弟はナポリ王国の属国となることを選び、プロスペローにとっては、弟も、自分の国ミラノを乗っ取った田山涼成演じるナポリ王も、弟と一緒にナポリ王を唆した羽場裕一演じるナポリ王弟も、全員まとめて「仇」ということになるらしい。
プロスペローは磨きに磨いた魔術を用い、嵐を起こし、誰も傷つけることなく、仇というべき人々を自分の住む島に集める。もっとも、「復仇」だけが目的ではなかったようで(あるいは最大の復仇なのかも知れないけれど)、伊礼彼方演じるナポリ王子だけは特別扱い、ミランダの恋の相手として選んだようだ。
それは、シェイクスピアはご都合主義である。
それにしたって、この究極感は何なんだろう。プロスペローは、妖精のエアリエルを手足のように使って、少なくともこの島の中では思い通りにならないものはない、という状態だ。
しかし、ここまで全能の主人公がいただろうか。テンペストが意外と上演されていないのは、この何でもあり感のせいなんじゃないかとさえ思う。
段ボール箱を多用したセットといい、妖精エアリエルが車いすに乗っていることといい、多分、この舞台の演出は伝統的なテンペストの演出とは異なる味わいなんだと思う。
でも、その「伝統的」というか「標準的」というか、繰り返し上演されてきたという型を知らないと、なかなか芝居に入り込んで見ることは難しいなというのが正直な感想である。妖精とか魔術とかが普通に登場していることも、この世界になかなか慣れない理由の一つだと思う。
私にとってはかなり唐突なことに、プロスペローは自分の地位の回復だけを望み、自分の命を狙ったキャンベルというこの島にいた魔女の息子も含めて「復仇してやろう」と思っていた全員を赦す。
そこにわだかまりはないように見える。
あまりにも情けない「仇」の姿に、「仇を討つまでもない」と思ったという感じではない。
何というか、そこに復仇の念などというものは最初からありませんでした、と言いたげな淡白さだ。
自分の娘ミランダがナポリ王子と結婚することになり、自分の血が未来永劫ナポリ王家に混ざることになったからそれでいいのか、しかし結構可愛がっている娘の恋を魔術で操作するって意外と酷いことなんじゃないかという気もするし、どうもプロスペローという人がよく判らない。
というよりも、このプロスペローを善人として主人公に据えたこの芝居が判らない、という方が正確かも知れない。
最後に、プロスペローは観客に向けて突然語り出す。
自分はこの島に残るべきか、それともミラノ(ナポリかも)に帰るべきか、拍手で決めてくれと、多分、観客に自分の今後を委ねる。
この拍手を待つ感じと、台詞を言いそうな感じとが交錯して、拍手をするタイミングが掴みづらく、結局、拍手の音と台詞が被ってしまったのが残念だ。
プロスペローは「もう魔術は必要ない」と、妖精エアリエルを自由の身にしてやり、そうすることで(多分)魔術も手放す。
何だか、この後、プロスペローはこの無人島で一人寂しく、魔術も使えず、朽ちていきました、という終わりが似合いそうだなと思ったのだった。
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