「赤鬼」を見る
青山円劇カウンシルファイナル「赤鬼」
作 野田秀樹
演出 中屋敷法仁
出演 黒木華/柄本時生/玉置玲央/小野寺修二
竹内英明/傳川光留/寺内淳志
観劇日 2014年6月13日(金曜日)午後7時30分開演
劇場 青山円形劇場 Aブロック9番
上演時間 1時間35分
料金 6500円
ロビーではパンフレット(1000円)等を販売していた。
チケットを買ったときは気がつかなかったのだけれど(というか、案内があっただろうか)、ちょうど舞台の撮影日に当たっていたのか、舞台を囲むように4台くらい、ビデオカメラが入っていた。円形劇場なので客席の後ろに設置されたカメラは丸見えで、かなり気になった。
ネタバレありの感想は以下に。
「赤鬼」は初演・再演と、タイ・バージョンを見ていると思う。
本当に久しぶりの「赤鬼」だけれど、演出は野田秀樹ではなく、「柿喰う客」の中屋敷法仁である。と書いたけれど、私は「柿喰う客」の舞台を見たことがないので、多分、中屋敷法仁演出の舞台も初めて見たのだと思う。
富田靖子、小西真奈美と演じてきた「あの女」を黒木華が演じるというのも話題なのではなかろうか。
青山円劇カウンシルファイナルと銘打たれた公演の一つということもあるのか、円形劇場を全くの円形舞台で使っていた。実はこれって意外と珍しいことなんじゃないかと思う。
円形の舞台があって、その周りというか縁の部分が切り取られて斜めに傾けられている。その斜めに傾いた高い方が目の前に来ていたので、恐らく、「敢えて言えば」ということだけれど、私の席は、舞台を裏というか後ろから見ていた形だと思う。
とはいうものの、「見にくい」とか「後ろ姿ばっかり」とか思うことはなかった。もしかしたら若干そういう場面が多かったかも知れないのだけれど、何というか、見ていたのは豊かな背中だったと思う。
木の舞台にブルーで模様が描かれているだけ、セットというようなものはなく、ただ、「あの女」が崖から身を投げるシーンで木の踏み台というか桶のようなものが出てくるだけだ。
小野寺修二演じる赤鬼以外の出演者たちが、ぽつぽつと現れ、舞台を一周し、そして去って行く。その動きが繰り返されるうちに、舞台が始まる。幕もない円形の舞台で、客席の照明が落ちたのが芝居の始まりという感じだ。
ずーっとそこにある何もない舞台の上で、海が荒れているシーンや様々なシーンは、俳優たちのダンスや「動き」で表される。
「動くなぁ」と思う。
俳優陣が皆若いこともあると思うのだけれど、「こなしている」感がありつつも、本当にきびきびと動き、止まる。それは見ていてとても楽しい。
赤鬼だけはずっと赤鬼だけれど、あの女の黒木華、とんびの柄本時生、水銀の玉置玲央も、主な役だけでなく、ときには村人になり長老になりと、一瞬で役が変わり、演じる。長老のときは腰を折っていたけれど、メイクが変わるわけでも衣装が替わる訳でもない。ただ、ふいっと役が変わるのだ。
そういう風に考えると、舞台セットといい、「役者」を見せる、「役者」で見せる舞台なんだなぁと思う。
ダンスというよりは、殺陣っぽい動きが多用されていることもあって、余計にそういう印象だ。
前に見た「赤鬼」は、「赤鬼」を英国人(だったと思う)が演じていたこともあって、「赤鬼」の語ることはほとんど判らなかった、ような気がする。
しかし、今回は、「赤鬼」はフランス語っぽい言葉や英語を口にするけれど、同時に、日本語も口にする。
「赤鬼」の語る言葉がこんなに伝わる「赤鬼」は初めてのような気がする。
意外だ。
「あの女」ことフクを通してしか判らなかった「赤鬼」の言葉が、直接客席に伝わるというのは、これは随分と大きな変化というか違いなんじゃなかろうか。
その「赤鬼」も含めて、主要登場人物4人は、動きのときは全体に溶け込むけれど、台詞をしゃべっているときは、いきなり、もの凄く個性的になるのも何だか不思議である。
突然、舞台の上で際立つのだ。
それでも、その突然個性的になるその「個性」が予定調和っぽい感じがして、そこが何となく残念だった。もっと意外な感じでもいいじゃん! と思ってしまったのだ。
「あの女」の低い声で鬼気迫るしゃべる感じや、「とんび」ののんびり「足りない」と自ら言う雰囲気、「水銀」の口から先に産まれてきましたという風情が、何となくお約束の感じがしてしまう。
私の勝手な感想だ。
基本的なストーリーはもちろん変わっておらず、そもそも話の大筋は「ウミガメのスープ」そのものである。
フクととんびと水銀が浜に打ち上げられ、命を助けられ、しかしフカヒレスープを飲んだフクが「フカヒレはこんな味じゃない」と言い、その2日後に崖から海に身を投げて死んでしまう、そのシーンから始まる。
兄であるとんびが「妹は、フカヒレスープを飲んだから死んだんだ」と言い、我々に「ゆっくり話すから聞いてくれ」と浜に赤鬼がやってきた日のことから語り始める。
そして、最後は、フクが崖から身を投げるシーンで終わる。
そこには「水銀は空っぽになってしまった」「僕は変わらない」と呑気に語るとんびと、とんびの語った「海の向こうには、妹の絶望が沈んでいる」というそこだけ冷たく響いた言葉が遺される。
舞台が終わりに近づくにつれて思っていたのは、「こんなに語られていたかなぁ」ということだ。
フクが身を投げた理由は、もうちょっと隠されていて語られず、「察してくださいよ、判るでしょ」という感じで差し出されていたという記憶なのだけれど、今回見たら、もう誤解しようのない言葉で直接的に語られていた。
「あれ、そうだったっけ?」と思いながら見る。
逆に、「どうしてフクが身を投げたのか」という風に思わなかった(何しろ直接語られるので考える必要は全くない)からなのか、ラストシーンでは、ただひたすら、水銀の背中の寂しさが印象に残った。
戯曲の側に懐の深さがあるからこそだと思うけれど、舞台は、演出によっても、出演者によっても、変わる。
やっぱり「赤鬼」を見て良かったと思ったのだった。
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