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2014.06.08

「THE BIG FELLAH」を見る

「THE BIG FELLAH」
作 リチャード・ビーン
翻訳 小田島恒志
演出 森新太郎
出演 内野聖陽/浦井健治/明星真由美/町田マリー
    黒田大輔/小林勝也/成河
観劇日 2014年6月7日(土曜日)午後1時開演
劇場 世田谷パブリックシアター  2階C列31番
上演時間 3時間5分(15分の休憩あり)
料金 7500円

 ロビーでは、パンフレット(1000円)等が販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 世田谷パブリックシアターの公式Webサイト内、「THE BIG FELLAH」のページはこちら。

 1972年から2001年まで30年間にわたる物語である。
 舞台は一貫してニューヨークだけれど、登場人物のほとんどはアイルランド人あるいはアイルランド系アメリカ人で、IRAのメンバーであり、北アイルランド問題を正面から扱った戯曲であると言えると思う。
 もっとも、申し訳ないことに、私は、例えば「ブラッディー・サンデー」と言われても、あぁと頷けるだけのものがない。この戯曲の作者はイギリス人ということだから、例えばこの戯曲をロンドンで上演すればもっと違う反応があった筈だ。

 違う反応といえば、この舞台は、内野聖陽演じるビッグ・フェラーことコステロの演説から始まる。
 ブラッディー・サンデーの追悼集会だというその場で、コステロは一人舞台に立ち、スポットライトを浴び、寄付を募るべく演説を行う。その演説は、追悼集会参加者達の笑いを誘い、爆笑を呼び、寄付を引き出している。
 笑い声や嬌声が効果音として流されているのだけれど、はっきり言って、別に笑えるようなジョークではない。緊迫した情勢の中、そのまっただ中にいるからこそ笑えるのかも知れないし、アイルランドの人々は元々がフランクでユーモア精神に富んだ国民性なのかも知れない。
 今さらだけれど、外国の戯曲を上演する、見るということは、そういう違いを意識しなければならないし、意識させられることなんだなと思う。

 コステロがその後訪ねるのは、浦井健治演じる消防士のマイケルの家だ。
 そこに、成河演じるルエリという男が潜伏し、町田マリー演じるカレルマを連れ込んでいる。よくしゃべって軽薄そうで小柄でちょっとなまりがあって元ジョッキーでアイルランドで何かをやって偽造パスポートでニューヨークにやってきて潜伏中、という役を成河がやけに自然に演じている。「ショーシャンクの空に」での演技が印象に残っている私からすると、「同一人物?!」と叫びたくなるけれど、もちろん、同一人物だし、同一人物ではない。
 最初のシーンで、いきなり、ルエリとカレルマが出会い、コステロの命令でルエリは「本当は運転手をしていただけ」なのに人を殺したとして裁判にかけられるよう命令され、マイケルがIRAのメンバーになる。
 何と言うか、本当にこの最初のシーンで全ての仕込みは終わった、ということだったのが、最後になって判る。こういうカタルシスって好みである。

 黒田大輔演じるニューヨーク市警の警官であるトムを含めた4人が、IRAニューヨーク支部の中心メンバーということになるようだ。
 マイケルの家はこの後も引き続き、とにかく身を隠さなくてはならないメンバーの潜伏場所兼中継地点として使われる。マイケルの家で、次の計画が語られ、準備が行われ、武器が隠され、「命令」が下されて行く。

 明星真由美演じるIRAメンバー(しかもかなり幹部に近そうだ)エリザベスもマイケルの家に潜伏し、多分マイケルと恋に落ち、しかし「密告者」の烙印を押されて抵抗空しく、IRA支部のない「メキシコ」送りにされる。
 肉惑的かつ理性的な戦う女を演じさせたら、やはり明星真由美は最強だよと思う。低めの声と相まって、とにかく格好いい。

 小林勝也演じるIRA幹部のフランクも、やはり、エリザベスと同じように1シーンにしか登場しないのだけれど、エリザベスが「追われる女」だったのに対して、こちらは「追う男」である。
 IRAの武器に関する取引がFBIに筒抜けで失敗し、その密告をしたのがニューヨーク支部の誰かだと確信して、調査といえば聞こえがいいけれど、犯人を「作り上げに」来たという雰囲気が横溢している。
 マイケルもルエリも彼にさんざんな目に遭わされるけれど、やってきたコステロがヘロイン中毒で亡くなった娘や家を出て行った妻について当てこすられながらも、やけに冷静に逆襲し、やっとアルコール離脱を成功させたフランクに再度酒を飲ませたところで暗転である。

 エリザベスも、フランクも、どちらも組織の上の方にいた人間である。
 それが、ニューヨークのマイケルの家で、粛正され、粛正に失敗する。
 歴史的背景が判らずに見ていたせいもあるけれど、私には、この舞台は、組織というものの脆さや、組織に属する人間の非情さ、人間の集まりが陥る汚さ、目的と手段とが乖離し入れ違い、どんどん駄目になって行く様子を描いているように見える。
 それは、おぞましく、切ない。

 美術館でカレルマと再会したルエリは、最初のうちは気付かずに、そのうち承知の上でIRAの内部情報を彼女に語り、ついには彼女がFBIだと知りながら情報を売り、しかし自分の情報が活かされずに人が死んで行くことに抗議までする。
 そして、「情報を売る」ことは止めるけれど情報は渡し続け、その代わり、本当にヤバくなったら自分を逃がすよう取引を持ちかける。

 ルエリは結局、無差別殺人に使われようとする爆弾の発送に手を貸すことを拒み、故国で犯罪歴があるにも関わらず永住権を得られたことに疑惑を抱いたトムとコステロに「止めることはできない、続けるか死ぬかだ」と言われながらも、何故か最後には「命令が出るまで放っておく」ようコステロが命じたことで命を繋ぐ。
 その後は、不明だ。
 多分、FBIに逃がして貰えたんだろう、と思えるだけだ。

 再び、 「ブラッディー・サンデー」の追悼集会で、コステロが演説している。
 しかし、もう、バグパイプの民族衣装は着ていない。そして、引退を表明し、12年前、つまりはフランクがニューヨークにやってきた時には既に、FBIに取り込まれていたことを告白する。
 わざわざそんなこと言わなくてもいいでしょう! と言いたくなるけれど、コステロは「流石、THE BIG FELLAHだと言われたい」という理由で、ここで告白したのだと説明する。
 そこには、壊れた組織ではなく、駄目になって疲れ果てた人間が一人いる。
 そして、自分にはできないと叫ぶマイケルに対して、トムは「どうしていつも俺なんだ」と叫びながら、しかし、何故かマイケルの家にやってきたコステロを撃ち殺す。

 ここでこの舞台は終わらない。
 最後のシーンには、台詞はない。
 マイケルの家で、マイケルは一人、出勤の準備をしている。一人黙々と制服に着替え、朝食を食べ、出かけて行く。
 マイケルが家を出た直後、ニューヨークの街は騒然となり、パトカーや消防車のサイレンが鳴り響く。
 壁に映し出された日付は、2001年9月11日だ。
 消防士であるマイケルの死がそこで告げられたのかどうかは判らないけれど、私には、マイケルが「テロを行う側」から「テロに巻き込まれた側」に変わったこの日にこの物語は終わった、という風に見えた。

 背景が判っていたらもちろんもっと深く理解できたんだろうなと思うけれど、しかし、背景が判っていない私にもまたきちんと「舞台」を見せてくれた、「骨太」という言葉がよく似合う舞台だった。

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