「ジュリアス・シーザー」を見る
彩の国シェイクスピア・シリーズ第29弾「ジュリアス・シーザー」
作 W.シェイクスピア
翻訳 松岡和子
演出 蜷川幸雄
出演 阿部寛/藤原竜也/横田栄司/吉田鋼太郎
中川安奈/たかお鷹/青山達三/山本道子
原康義/大石継太/丸山智己/廣田高志
間宮啓行/星智也/松尾敏伸/岡田正
二反田雅澄/飯田邦博/新川將人/澤魁士
五味良介/水谷悟/斎藤慎平/手打隆盛
観劇日 2014年10月24日(金曜日)午後6時30分開演
劇場 彩の国さいたま芸術劇場 2階V列20番
上演時間 3時間20分(20分の休憩あり)
料金 9500円
パンフレット等が販売されていたけれど、結構繁盛していて、チェックしそびれてしまった。
ネタバレありの感想は以下に。
「ジュリアス・シーザーなんて知らないよ」と思って、芝崎みゆき著「古代エジプトうんちく図鑑」で予習してから行ったのだけれど、アントニーが演説を始めようとしたところで「ん? このシーンには見覚えがある」と思い直した。
調べてみたら、2013年、子供のためのシェイクスピアシリーズの「ジュリアス・シーザー」を見ていた。我ながら、つくづくと情けない記憶力である。
舞台のほとんどは、宝塚ばりの大階段に占められている。
もっとも、あれほどの華やかさはない。単なるグレーのというか、石っぽいというか、地味な階段である。ただ、暗転のときに、目印のテープが薄く光って、それはちょっと綺麗だった。どうせなら、もっと派手なテープにして、演出のひとつにしてしまえばいいのにと思わなくもない。
その、舞台のほとんどを使った階段の上に、犬なのか、オオカミなのか、多分犬だと思うのだけれど、巨大な「像」が鎮座している。真横から見た感じで、顔だけはこちらを向いている。
その階段に三々五々、人が集まりだして、適当に座って何やら世間話でもしている風である。その中に、ブルータスの阿部寛やアントニーの藤原竜也、キャシアスの吉田鋼太郎も含まれている。
いつ始まるのかなと思っていると、舞台上の人々が急に立ち上がり、コートや帽子を脱ぎ捨て、黒やキャメルやグレーの地味なコート姿だった人々が、いきなり真っ白なローマ風の衣裳に替わり、照明もぱーっと光を強くしてその彼らを照らし出す。
一瞬の変化に、やっぱり「おぉ!」となるのだ。
蜷川演出らしい始まりである。
キャシアスらが「ジュリアス・シーザーを放って置けない」と思っていて、反逆の仲間に何とかしてブルータスを引っ張り込めないかというところから物語が始まるので、結局のところ、ジュリアス・シーザーは何故暗殺されねばならなかったのか、判らないままである。
シェークスピア的には「そんなことは一般教養ですよね、みなさんご存知ですね」というスタンスだったんだろうか。
いや、もう少し「教養ない人々」に優しくてもいいじゃないかと思ってしまう。
結局のところ、ジュリアス・シーザーが何故暗殺されたのか、語るのは、ブルータスのみである。
暗殺後(タイトルになっている割にジュリアス・シーザーはかなり早い内に殺されてしまうのだ)、ブルータスはローマ市民の前に立ち、「ジュリアス・シーザーは王冠への野心を持ったから、ローマ市民の自由を守るために、殺さざるを得なかった」と演説する。
阿部寛のブルータスは、そもそも暗殺に加わるかどうかかなり迷うし、夜も眠れないし、演説も立派ではあるのだけれど抽象的で説得力に欠け、何というか「本当はやりたくなかったんだけど」という風情に見える。
横田栄司演じるジュリアス・シーザーは、磊落かつ縁起担ぎが好きで、名誉や体面を重んじるといえば聞こえがいいけれど「評判ばかり気にする男」である。
私の耳がよくないせいだと思うのだけれど、このジュリアス・シーザーの横田栄司と、キャシアスの吉田鋼太郎の声やしゃべり方がどうにも似ていて、下手をするとどちらがしゃべっているのか判らないくらいだった。
声の質も似ていると思うのだけれど、声の出し方や抑揚の付け方が似ていると思うのだ。
時々、一人で勝手に混乱してしまった。
ジュリアス・シーザーとアントニーは金髪で、メイクもほとんど歌舞伎の隈取りのようだ。
いわば「作ったような」顔である。
陣営で色分けしているのかとも思ったけれど、後で出てくるシーザーの養子のオクテヴィアスは黒髪に普通のメイクだったからそういう訳でもないらしい。
そういう意味では、あまり様式美という感じではなかったようにも思う。
アントニーは、ここでは完全に「策士」の扱いで、藤原竜也の掠れ声も相まって計算高い嫌な奴にしか見えない。
予習では「どこまでも陽性の男」とインプットされていたので、こちらも勝手に混乱してしまう。
大体、「ブルータスは公明正大な男だ」を連呼する彼の演説は、悪意の塊以外の何物でもない。ブルータスが本意ではなくシーザー暗殺に組みしたのにまず攻撃されるのが彼であることや、その苦悩の様子が最初にばーんと見せられているせいで、ブルータスの方が「いい人」に見えるように作られているのだ。
よく考えれば、敬愛して懐いて自分のを引き立ててくれそうだった男を暗殺した相手を陥れようとするのは、よくあることなのだけれど、その部分がどうもドラマとして重く扱われていないので、見ているこちらも「それは置いておいて」という感じになってしまう。
最後の方で、シーザー暗殺は、ブルータス以外の参加メンバーにとっては私利私欲の発露であったような言われ方をするのだけれど、その「私利私欲」が何であったのかは、あまりはっきりとは語られない。シーザー暗殺の直前に、「兄の追放を解いてくれ」と嘆願する男がいるだけなのだ。
あと、そういえばキャシアスは「シーザーに嫌われている」と嘆いていたけれど、それだけが理由なの? と言いたくなってしまう。
最後は、アントニーとオクテヴィアスの連合軍にブルータスは敗れる。
これは若者2人が戦に長けていたのか、ブルータスが弱かったのか、すでにローマ市民の支持を失っていたからなのか、戦いの途中でキャシアスが自軍が劣勢であると勘違いして自ら死んでしまったためなのか、よく判らないけれど、とにかくブルータスは負ける。
判らないといえば、この2軍の激突は、どの人がどちらの兵なのかが咄嗟には判りにくくて、今ひとつ、優勢なのか劣勢なのかがよく判らなかった。ブルータス軍は赤色のスカーフをつけているのだけれど、全体の色調は両軍ともに同じなので(まぁ、出自が同じだから当たり前なのだけれど)、目を凝らしてしまった。
キャシアスが生きていたら、勝敗は変わっていたんだろうか。
何だかブルータスを扇動するし、最初からシーザーの悪口しか言わないし、激しやすいし、どうも悪役っぽい悪役にされてしまっているキャシアスだけれど、でも、歴史を動かしたのは、とことん受け身のブルータスじゃなくてこのキャシアスだよなぁと思うのだ。
この後、アントニーとオクテヴィアスは対立する。
アントニーは(政治的打算の結果かも知れないけれど、とにかく)クレオパトラと付き合う。
オクテヴィアスは、初代ローマ皇帝アウグストゥスとなる。
そう考えれば、キャシアスは逆に歴史を推進してしまったのかも知れない。
ついでに書くと、オクテヴィアスの娘の孫には、かの有名なネロとカリギュラがいる。
そう考えると、歴史劇というのもなかなか趣深いなぁと思うのだった。
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