「暴走ジュリエット」を見る
柿喰う客 女体シェイクスピア005「暴走ジュリエット」
脚色・演出 中屋敷法仁
出演 秋月三佳/川面千晶/菊地美香/北村まりこ
蔵下穂波/七味まゆ味/杉ありさ/瀬戸さおり
高島レイ/高部あい/佃井皆美
葉丸あすか/深谷由梨香/藤咲ともみ
観劇日 2014年10月17日(金曜日)午後7時30分開演(初日)
劇場 あうるすぽっと E列17番
上演時間 1時間25分
料金 4900円
(終演後、アフタートークあり)
ロビーではパンフレットやTシャツなどのグッズ類が販売されていた。
「柿喰う客」の公演は初めて行ったのだけれど、毎公演、アフタートークを開催しているのだそうで、今回は中屋敷法仁氏と、劇団の女優さん3名(七味まゆ味、葉丸あすか、深谷由梨香のお三方)が登場した。他の女優さんは客演の方だそうだ。
シリーズ006の「迷走クレオパトラ」との交互上演である。
ネタバレありの感想は以下に。
柿喰う客の公演も初めてだし、もちろん「女体シェイクスピアシリーズ」を見るのも初めてで、「女体」ってどういう意味だ? とか、1時間20分でロミオとジュリエットを上演するってどうするんだろう、とか、相当に翻案するのかなぁ、などと色々と妄想しながら見始めた。
舞台は、真ん中がステージのように高くなっていて、さらにその上に一段高くなった「お立ち台」みたいな場所がある。その後ろには鳥かごのような蜘蛛の巣のような光るものが立ち、その奥も人が歩けるようになっている。
シンプルな舞台だ。多分、交互上演する「迷走クレオパトラ」と同じセットで上演するんじゃないかなぁと思う。
同じく、あうるすぽっとシェイクスピアフェスティバル2014の一環として上演された、子供のためのシェイクスピアシリーズの「ハムレット」もそうだったと思うのだけれど、最初に「この悲劇はこれこれこういう風にして生まれたのだということを語りましょう」という人が出てきて、その顛末を語り、最後に、その人が何故「語りましょう」と言うことになったのか、というところまでを見せるという構造になっている。
ロミオとジュリエット、、そしてパリスまでもどうして無残に死んでしまったのか、ということを語る物語、という体裁なのである。
そうして、最初に登場するロザラインが、短いスカートのセーラー服にラケットを振り回して登場したので、これはどうなるんだと思ってかなり戦々恐々と身構えたのだけれど、出演する役者が全員女性、服もほとんど現代っぽい(両親や乳母役の方は少しばかり古くさいというか昭和めいた感じではあったけれど)、ロミオとジュリエット、その友人達はほぼみんな学校の制服、それに合わせて彼らの年代の役はみな若干無理がある感じで「最近の高校生っぽい」言葉をしゃべっている、というところ以外は、かなり元々の「ロミオとジュリエット」そのままなことに驚いた。
もっとも、見終わってからのアフタートークで聞いて「おぉ!」と思ったのだけれど、「暴走」のタイトルに相応しく、ロミオとジュリエットが出会うまで15分、バルコニーのシーンまで20分で、展開が早すぎるくらいの早さで進んでいたらしい。
だから、「こういうセリフがあったよね」と思う反面、考えているヒマはないけれど、かなり大胆にシーンやセリフをカットしている筈である。
その割に、見ているときは「展開が早すぎる」とか、「めまぐるしい」という感じがしなかったのが不思議だ。
衣裳のの地味な感じに誤魔化されてしまったけれど、割と外連味ある演出で、登場人物が決めポーズを取ったままスポットを浴びて静止、というシーンがかなり多いし、歩くときもかなり「気取って」歩いていることが多い。気取って歩かないのは、ブリッ子を自認するジュリエットくらいだ。
そういう、見た目の派手さに誤魔化されたり、女性が男役を演じたり、痛い感じで若者の言葉を使っていたりしてハラハラした分、他のことに気を取られるスキがなかったということかも知れない。
暴走ジュリエットの名にふさわしく、ロミオはかなり優等生モードを維持したまま、我が儘ジュリエットが周りを振り回す、という感じだ。
タイトルもそうだし、「ロミオとジュリエットの物語」というよりは「ジュリエットの物語」である。
元々が、真面目な優等生キャラというのはなかなか主役を張れないものだけれど、ロミオが主役を張れるのは、親友のマキューシオを殺されたことに逆上して、ジュリエットの従兄弟だと承知している筈のティボルトを殺してしまうからだと思う。
なのだけれど、制服を着て優等生キャラが強調されている今回の場合、暴走するジュリエットのためにロミオにはあまり時間が割かれておらず、この逆上ぶりが今ひとつピンと来ない。
この際、ジュリエットの物語だと割り切って、ロミオはジュリエットと一緒にいるときしか登場させないくらいに刈り込んじゃっても楽しかったんじゃないかという感じもする。
「女体シェイクスピア」の「女体」は、女優だけで演じることを表しているようだったけれど、考えてみたらシェイクスピア作品に女性の登場人物はかなり少なくて、大胆すぎることを言ってしまうと「主役の恋人」「主役級の妻」「その妻たちの侍女や乳母」くらいしかパターンがない。
そこを女優だけで演じるという発想がそもそも面白い。
そして、今回の場合、年齢に見合った制服を着せたことで、ロミオとジュリエットの若さ(というよりは幼さ)がより強調されていたように思う。
そして、ロミオとジュリエットが中高生という年齢だったことが強調されると、ロレンス神父だめじゃん! という感じがさらに強調されると思う。
このロミオとジュリエットの悲劇は、両家の争いとか、主人がつっぱらがっているからそれを慮った下っ端がさらに騒ぎを大きくしているとか、駄目な外圧によるところも多いけれど、味方として頼ったロレンス神父が自分にコントロールできないような策を立ててそれに溺れ、しかも自分は何一つ不利益を被っていないというところから生まれているのがほとんどなんじゃないかという気がする。
そんな感じで、色々と思うことの多いお芝居だった。
| 固定リンク
「*芝居」カテゴリの記事
- 「りぼん」を見る(2025.01.12)
- 2024年の5本を選ぶ(2024.12.30)
- 「て」を見る(2024.12.29)
- 「桜の園」を見る(2024.12.22)
- 「蒙古が襲来」の抽選予約に申し込む(2024.12.24)
「*感想」カテゴリの記事
- 「りぼん」を見る(2025.01.12)
- 2024年の5本を選ぶ(2024.12.30)
- 「て」を見る(2024.12.29)
- 「桜の園」を見る(2024.12.22)
- 「こんばんは、父さん」を見る(2024.12.08)
コメント