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「紫式部ダイアリー」
作・演出 三谷幸喜
出演 長澤まさみ/斉藤由貴
観劇日 2014年11月21日(金曜日)午後7時開演
劇場 パルコ劇場 L列22番
上演時間 1時間45分
料金 8500円
こんなに客席に男性が多く、こんなに女性トイレが空いている劇場は初めてだったかも知れない。
ロビーでのグッズ販売はチェックしそびれてしまった。
開演前にロビーで流れていたペールギュント組曲がやけに「春はあけぼの」と合っているなぁと思ったのは私だけだろうか。
ネタバレありの感想は以下に。
幕開けは、サーフボードの端っこをポキッと折ったようなカウンターがあり、高めのスツールが4脚、カウンターの奥にはシェーカーを振っているバーテンダーがいて、こちら側にはグリーンのドレスにショールをかけた斉藤由貴演じる清少納言が座っている。
しばらく、無言。
清少納言も背中を向けたままで、かなりチャレンジな感じの幕開けである。
待ちぼうけを食わされている様子だったところへ、長澤まさみ演じる紫式部が駆け込んでくる。
彼女は取材が長引いちゃってと言い訳する。清少納言にとっては、自分と彼女の現在の売れっ子度合いを思いっきり感じさせられる幕開けである。
話を聞くうちに、彼女たち2人は、明日の「あけぼの文学賞」の審査員としてこのホテルに来ているのだということ、登場人物は清少納言と紫式部だけれど、時代設定は現代らしいこと、紫式部はかな〜りイヤな感じの女であることが判ってくる。
清少納言が紫式部を呼び出した理由は、どうやら、明日の文学賞は和泉式部の受賞で決まりだと思う、その受賞作品の講評を自分にやらせて欲しい、というか、紫式部には講評を辞退して欲しい、と頼むためだったようだ。
清少納言は、うじうじしたというか、持って回った言い方をするオトナの女として造形されているので、「あぁ、もう、はっきりしてよ!」と言いたくなるのだけれど、一方の紫式部が「空気読みません宣言をした現代っ子」という感じに作られているので、もちろん私は清少納言の味方となって見てしまう。
で、その紫式部は「でも、コンクールの主催者に、今年の講評はあなたがやってくださいって頼まれて、引き受けちゃいました」とあっけらかんと言い放つのだ。
清少納言の用件は見事に粉砕されてしまった訳で、そこで話が終わるかと思いきや、清少納言も紫式部もお互いに意地なのか何なのか「今日は飲みましょう!」と言い合い、特に酒に強いらしい紫式部はガンガン注文し、ガンガン注文させては清少納言の酒まで自分が空けてしまう。
清少納言の方にシンパシーを感じる私としては、「何、この女。嫌な奴。」という印象が拭えないのだけれど、しかし、落ち着いて考えてみれば、彼女の態度は終始一貫していて、貫き通せるならこれもありよねと思うのだ。
セットはバーカウンターのみで、回り舞台に乗っており、その回り舞台が回って客席に顔を見せる向き、背中を見せる向き、1回だけカウンターを手前から奥に向けた位置で停められ、その回転が同時に場面転換になっている。というか、一定の時間経過をその回転で示し、回転した後は、二人の語る話題が変わっている。場面転換というよりは、時間の経過を示しているような感じだ。
右手手前にソファセットがあったのだけれど、果たして最初からそこにあったかどうか自信がないのが我ながら情けない。
こう言っては何だけど、一頃の勢いはない清少納言の「大先輩」としてのプライドと、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの紫式部の傲慢と紙一重の自信と、そのぶつかり合いである。
もうちょっと拮抗していてもいいんじゃないかと思うのだけれど、三谷幸喜の筆は、かなり清少納言に辛く当たっているように見える。そこで開き直れる紫式部の方がそれは勝ち組だろうとは思うのだけれど、人気の移り変わりというか、そういうものの冷酷さをこれでもかと見せられているような気になる。
どちらかというと、世慣れたサバサバした清少納言と、内気で陰湿な観察する女である紫式部、というイメージがあったので、「紫式部ダイアリー」の二人は逆だなぁと思う。
清少納言に宇治十帖のストーリーを一緒に考えさせるフリをしつつ、自分の才能を誇示するようにし、しかし編集者に電話してそのプロットを語りかけたものの「今のはなし! できないんだから仕方ないでしょう!」と叫んで切ってしまう。
「美人の割にまともなものを書くとしか見て貰えない」と叫ぶ紫式部と、「私が書いているのは、書くことしかないからよ。キレイな女はこっちに来るな!」と叫ぶ清少納言がいたら、それは清少納言に味方したくなるし、紫式部がエキセントリックな女に見えてくる。
そのエキセントリックな女が少し弱気になるとコロリと騙されるのは清少納言も同じだったようで、あなたの才能は認めている、長く書いてきて読者は意外と「判っている」ということが判って来た、あなたはそこを誤解していると説く。
そんな風に思えないと返す紫式部に、清少納言は、だったら1000年後の読者に向けて書けと諭す。そうしたらあなたの容姿も性別も関係ない、1000年後に残れば作品だけを見て貰えるのだと静かに語る。
この芝居のクライマックスはここだったと思う。
そう語っていたくせに、清少納言と紫式部の二人は、明日の文学賞で和泉式部なんか推さない、無駄だけど2人で和泉式部を潰そう、明日の文学賞は受賞作品なしよ! と息巻く。
おいおいと思うけれど、吹っ切れたんならいいか、と何故か2人まとめて応援したくなっているから不思議だ。
「幻」と言われているウィスキーだったかブランデーだったかがこのバーにあることに感動した直後にトイレに行った紫式部を見送った清少納言は、その**年ものの酒の「**」がパソコンのパスワードなんじゃないかと気付く。
それまで、勢いを付けて何とか椅子によじ登っていた清少納言が、このときだけはぴょんと飛び乗ってしまうのが可笑しい。
そうして、「紫式部日記」を盗み読んだ彼女は、一瞬、呆然とした顔を見せ、そしていつしか高笑いを始めている。
そこで、幕である。
「紫式部ダイアリー」だけど、幕開けもラストシーンも舞台にいるのは清少納言のみだ。
そして、「確かそうだった筈」と思って帰宅してから確かめたところ、紫式部はその日記の中で清少納言はけちょんけちょんに貶している。
何だかさんざんな言い合いと罵り合いの果てに意気投合したかに見えていた2人だけれど、実はその間もずっと紫式部のねとーっとした観察と批判的な視線は継続中だった、というオソロシイと言えばオソロシイ幕引きである。
何となく胸張っていても落ち込んでいてもヒスっていてもどこか一本調子の長澤まさみは惜しい感じだけれど、そこは斉藤由貴が緩急付けて受け止めて、芝居全体の緩急が生まれていたように思う。
物を書く女はコワイ。しかし、三谷幸喜はまだ甘い。本当はもっともっとコワイ。そう思う。
そして、最後に2人並んで挨拶しているときの、斉藤由貴の少し落ち着かない感じと、長澤まさみの微動だにしない直立不動ぶりがやけに印象に残った舞台だった。
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コメント
みずえ様、コメントありがとうございます。
そして、教えていただいてハタと考え込んだのですが、私の耳には場面転換の際に流れていたという音楽が全く残っていないことに愕然としました。
音楽、かかってましたっけ? というくらいの認識です。
私は、回り舞台が回っている間、一体何を考え、聞き、見ていたんでしょう・・・。
三谷さんが描く女性なら、私は「なにわバタフライ」の方が好みかなぁと思っています。
いかがでしょうか。
投稿: 姫林檎 | 2014.11.25 22:36
姫林檎さま
私も観ましたよ。
きっと女二人のバトルなんだろうなと思いつつ行ったら、それはほぼビンゴでしたね。
場面転換は、客を飽きさせないためかと思いました。
その都度かかる、トルコの陸軍行進曲がユニークなチョイスですね。
私も、二人の性格設定が、持っていたイメージとは逆だなと感じました。
そして、清少納言が年上とは知らなかったです、これは無知過ぎましたね。
千年後云々に関しては、私も、ここが見せ場だったんだと思います。
三谷さんの、二人へのリスペクト溢れる場面でした。
この舞台は、女性を描こうとした、三谷さんのチャレンジなんでしょうか…。
投稿: みずえ | 2014.11.25 18:23