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2014.12.28

「自作自演」第11回を見る

芸劇+トーク 異世代リーディング「自作自演」第11回
出演 平田オリザ/三浦大輔
観劇日 2014年12月25日(木曜日)午後7時開演
劇場 東京芸術劇場シアターウエスト A列15番
料金 3000円
上演時間 2時間15分(10分の休憩あり)

 ネタバレありの感想は以下に。

 東京芸術劇場の公式Webサイト内、「自作自演」第10・11回のページはこちら。

 30分ずつ「自作自演」した後10分間の休憩、それからトークという構成である。
 12月22日の第10回に続いて第11回も見た。今回は徳永京子氏がトークの司会として参加し、併せて最初の挨拶もやっていた。「クリスマスにこんなマイナーなイベントに来ていただいて」だそうだ。
 私はこれで3回目だけれど、ぎこちない始まりなのはいつものことである。

 今回、お二方とも主宰する劇団で上演した普通の「戯曲」を読んだというのが一番大きな特徴だったと思う。このパターンは私は初めてだ。
 前回の前川知大も戯曲を読んだけれど、一人芝居の戯曲だからかけあいがなく、一人でも読みやすいと言えると思う。それが、今回は、複数の登場人物がいるかけあいのシーンの自作自演だった。
 そして、ご本人たち曰く「割と珍しい」ことに、本日登場のこのお二方は、作・演出はするけれど役者として舞台に立っていない、ということだ。

 三浦大輔が読んだのは、「自分では代表作とは思っていない」という岸田戯曲賞受賞作の「愛の渦」と「人間♡失格」、最後にもう一作読んだけれど、どうしてもタイトルを思い出せない。
 「舞台に立つことはほとんどないので、すごく緊張しています」と始まった。
 まず、「愛の渦」である。
 戯曲の背景やシーンの説明の後、戯曲に書かれている文字をそのまま読んでいる感じだった。「男1」とか「店員1」とかの役名や、ト書きも読む。冒頭シーンは、バックにユーロビートが大音量でかかっていてセリフは全く客席には聞こえないという演出だけれど、セリフは書いてあって、役者もしゃべっているそうだ。
 この辺り、劇作家としての指定なのか、演出家としての演出なのか、多分前者だと思うのだけれど、作・演出を兼ねるというのはここの境界が曖昧になるということでもあるなぁと思う。
 実はポツドールの芝居を見たことがなくて、こんなに真正面から「性」を取り上げているとは思わなかった。「愛の渦」は冒頭の2シーン、「人間失格」は冒頭とラスト近くのシーンを読んでいて、その選択の結果でもあるのかも知れない。
 「作者は自分なので、ニュアンスは出ると思う」という発言どおり、表情や抑揚など、知らず「演じている」感じだった。
 テーブルに時計らしきものが置いてあるのに、それを見ずに舞台袖に向かって「まだ大丈夫ですか?」」と聞き、最後にあと1本を読んで終えた。
 何だか恥ずかしそうに去って行くのが可笑しい。3回見て、3回とも「若手」と言われる劇作家は恥ずかしそうにしていたような気がする。

 平田オリザは、20年前に書いたという「東京ノート」「転校生」、それから1冊だけ書いたという小説「幕が上がる」の一部を読んだ。「三浦さんがストレートな部分を読まれたので。でも、そう急に変える訳にもいかないので」ということだった。
 まず「転校生」のパンフレットに書いた文章を読んだのだけれど、これがかなり灰汁の強い文章で、読んでいるご本人も「20年前の私は随分と自信満々ですね」などとコメントしていたのが可笑しい。
 「私の芝居なので、登場人物が多いんです」と言いつつ、まず設定の説明があって、戯曲を読み始める。最初のうちは役名も言っていたけれど、ホームルームのシーンなど誰がセリフを言ったとしても全体に影響はないのか「役名はなしで」と読み進められた。
 「東京ノート」は、小津安二郎の映画「東京物語」にインスパイアされて書いたという説明があり、姉と弟の嫁との会話の部分が主に読まれる。
 戯曲自体に女性の登場人物が多いそうで、結果なのか狙ったのか、今回、平田オリザが読んだセリフはほぼすべて女性のセリフだった。どちらかというと、心がけて淡々と読んでいるように感じられる。
 そして、最後は「幕が上がる」という小説の一節が読まれた。モモクロ主演で映画化されるそうで、「ラッシュを見たけれど、正統派のアイドル映画になっている。」「武士というモモクロのファンが10万人、高校演劇をやっている人が2万人、OBを入れたらもう少しいるでしょう。そこでヒットさせて。」「2月28日公開なので、この映画を見た中学3年生が、高校に入って演劇をやろうという気持ちになる映画になっている」「そこで高校演劇の一大ムーブメントが起こる予定」と笑いを取っていた。「小劇場ファンと力を合わせて」とも付け加えられていたけれど、果たして小劇場ファンが何人いるのか、「力に」なれるほどいるのか微妙なところだと思う。

 10分間の休憩の後、トークになった。
 今回は徳永京子氏が司会を務める。

 三浦大輔が「僕、15分くらいオーバーしちゃったらしくて」と口火を切ると、「もう時間ですか? って聞いて、こっちではもう時間切れだって言っているのにもう1本とか言うから、裏ではもう凄い騒ぎだったよ」と平田オリザが返す。
 そういう訳でトークも15分押しで始まった。
 今回の組み合わせは三浦大輔からの指名というか希望で決まったらしい。2人の接点は、10年くらい前に、平田オリザの戯曲「S高原から」を4人の若手演出家が翻案・演出するという試みがあり、三浦大輔はそのうちの一人だったそうだ。
 三浦大輔が、自分流に自分風にやろうとかなり強引にやったけど、それは多分この戯曲の本質ではないですよねとコメントすると、平田オリザは、自分は大体何でも楽しく見てしまう方だけれど、自分の戯曲は「階級」ということが結構重要になっていて、今の三浦大輔が演出すればまた違ったと思うけれど、当時(20代らしい)、階級ということがあまりよく判っていなかったのではないか、と返していた。同じ芝居(だったと思う)を、フランス人演出家に演出してもらったとき、その人はシャルル・ド・ゴールの孫という人で、それはもう判っているに決まっている、というオチ(?)がついていた。

 割とそういう感じで、海外進出だったり、海外との違いだったりという話が多かったように思う。平田オリザが「私の芝居も向こうに行けばふつうなので」と言ったり、三浦大輔は性という普遍的な題材を扱っているから(受け入れられやすい)という話が出た。三浦大輔が「向こうの人は本当におおざっぱなんですよ」としみじみ言っているのが可笑しい。
 平田オリザ曰く、劇団の公演を持って行って、次のオファーが来て、今度はその国の俳優に演出してくれと言われる段階が来る、ものだそうである。

 質問コーナーに行く前にということで、三浦大輔から平田オリザに対して出た質問が、「小説を書いて、それがモモクロ主演で映画化されると、メジャーになることについてどう感じているのか」といった内容だったと思う。平田オリザの回答は、自分は演劇というマイナーなものをもっとメジャーにしたいと思っているので、そういう意味で嬉しい、という趣旨だったと思う。
 小説を書いているときに、これは映画化されるなと思ったというから凄い。モモクロ主演とは思わなかったけれど、と言いつつ、しかし、モモクロにワークショップに参加してもらったら本当に目に見える形で演技が上手くなった、その演技が上手くなるということを示せるのが嬉しいとも言っていたと思う。

 書いているときから判っていたといえば、東京ノートを書いているときから岸田戯曲賞を獲るなと思っていたそうで、しかし実際にノミネートされたのは「転校生」だったそうだ。「転校生」で受賞したら一生ブルセラ作家と言われてしまうと太田省吾氏に相談し、だったらノミネート作品を変えるよう事務局に頼んだらどうかと言われてその通りにしたら、本当に「東京ノート」に変えてくれ、実際に「東京ノート」で受賞した訳だけれど、後で聞いたらそんなことをした劇作家は後にも先にも一人だけだという。
 何故か微笑ましい気分になるエピソードである。

 会場からの質問は三浦大輔に対して、「人間失格」は自分の経験がかなり入っているということだったけれど、どうやって書いているんですかという趣旨だったと思う。質問への答えにもかなり呻吟している感じだったけれど、もう絞り出すようにして書いている、という答えに尽きていたと思う。そうやって探して探して語るに辛いことを書いたときの方が評価されているような気がする、それはその辛さに対する評価も含まれているんだろうという風に答えていて、「書き終わった今はゼロですよ」という発言に平田オリザは微笑んでいたけれど、なるほど「書かなくちゃいけないから書いている」というのは至言なんだなと思ったことだった。

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