「鼬」を見る
シス・カンパニー公演「鼬」
作 真船豊
演出 長塚圭史
出演 鈴木京香/白石加代子/高橋克実/江口のりこ
山本龍二/峯村リエ/佐藤直子/塚本幸男/赤堀雅秋 ほか
観劇日 2014年12月28日(日曜日)午後2時開演(千秋楽)
劇場 世田谷パブリックシアター N列20番
上演時間 2時間30分(15分の休憩あり)
料金 8500円
ロビーではパンフレット(1000円)が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
世田谷パブリックシアターの舞台を奥行き広く使って、随分と大きな家の壁と床と柱が作られている。
ここはその家の中だ。
壁板には隙間が空いているけれど、その大きさや奥行き、柱の立派さからいって、元は相当羽振りの良かった家らしい。「だるま屋」と言う。
「豪農」といった家だったらしいけれど、借金を重ね、ついには借金の形に家から土地から家財道具からすべて人に明け渡すことになったらしい。白石加代子演じるこの家の女主人(という言葉からイメージするような貫禄はなく、どちらかというと、苦労してきた農家のお祖母ちゃんというイメージだ)のおかじがひたすら頭を下げている。
おかじの夫は既に亡く、高橋克実演じる息子萬三郎は南洋で一山当てようと外国に行ったきり、江口のりこ演じる娘おしまはヤクザな夫に嫁いでその夫は人を殺して刑務所だか牢だかに入っているらしい。赤堀雅秋演じる近在の農夫喜平がその借金の清算に奔走し、佐藤直子演じる地主には何を、山本龍二演じる獣医には何を、峯村リエ演じる伊勢金のおかみには何を、といった感じで家財を分配し、鍋釜だけ持っておかじが馬小屋に引っ越そうとしたそのとき、鈴木京香演じるこの女主人に義妹に当たるおとりという女が帰ってくる。
このおとりという女、いい着物を着て、荷物も豪勢で、お金も持っていて、もはや鉄火肌は通り越していかにも莫連女という佇まいだ。
このおとりをおかじは蛇蝎のごとく嫌っている。
嫌っているから悪態の限りを尽くすのだけれど、しかし、「昔相当のことをして、この家の籍から抜かれた」ということしか判らない。一体、このおとりという女は何をしたのか、それが判らないので、徹頭徹尾悪い女にも見えず、しかも鈴木京香が演じているものだから、実はこれこれこういう事情のある悲しい女なんですというオチなんじゃないかという風情まで見えてしまって困る。
萬三郎が帰ってきて、海の向こうで成功したと家の借金をすべて清算し、そして無事に証文も返ってくる。村はその噂で持ちきりだ。おかじに金がないことを知って家財道具で手を打っていた人々も「現金で返してくれ」と再びやってきたりする。
しかし、実のところ萬三郎は海の向こうで成功などしておらず実は借金まみれで、彼が返したことになっているお金は実は、おとりの懐から出ていたのだ。それを頼み込んで「萬三郎が返した」ということにしてもらっているのだから、見かけは人の良さそうな萬三郎だけれど、やっていることはかなり酷い。それも、おとりに対して酷い。
おとりの方も、借金を肩代わりしたのだから、それを正面からやれば家だの土地だのは貸した金の抵当だと真っ当に交渉すれば別にいい話だと思うのだけれど、獣医やら喜平やらを抱き込んで、「萬三郎のものになったという見かけを作って萬三郎も騙したけれど、実はおとりのものとして登記しちゃいました」とわざわざ悪事を作り上げるようなことをしている。
意味が判らない。
そこには多分、真っ当に資金援助など申し出ても断られるだろう過去の因縁があり、おとり自身の性癖もあるのだろうけれど、そこは結局一切語られないので、全く訳が判らないのだ。
それとも、全く訳が判らないと思っていたのは私だけなんだろうか。
ここは、おとりという女はお金でしか人の好意を繋ぎ止めることができない女で、お金があるのをいいことに前々から欲しいと思っていた故郷の家を手に入れるべく、大金を抱えて乗り込んできて、獣医を手なづけ、喜平を手なづけ、おしまの二人の娘を自分の持つ口上でただ働きさせる約束を取り付け、自分を嫌う義姉に一矢報いてやろうと虎視眈々と狙っていたところをやっと成就した、と見るべきなんだろうか。
しかし、女工をただ働きさせるとか、彼女の「悪事」は本人か他人かの口からしか語られず、伊勢金のおかみと対決したときには正直に悔しそうな顔をしたりするものだから、そうそう「根っからの悪女」には見えないのがやっぱり困る。どちらかというと、彼女に群がる男や女の方が品性卑しく見えてしまう。
萬三郎が伊勢金のおかみに「母のことを頼む」「叔母(おとり)は近づけないでくれ」と頼んで行くところは、おとりは悪女だとすり込まれているこちらにはまぁ普通の親孝行に見えるけれど、おとりにしてみれば「頼まれて借金を肩代わりした挙げ句、その金の出所を黙ってやっていたのに、その言いぐさは何だ」ということになるのは当然だ。
そのゆくたてを聞かされて激怒し、実際のところを伊勢金のおかみにぶちまけるのも判る。
伊勢金のおかみから「おかじには言わないでくれ」と言われて一度は承知したものの、その当のおかじの悪口雑言に爆発し、「本当のこと」を洗いざらいしゃべってしまうのも、別に悪女には見えない。
しかし、おとりとの対決の最初から心臓を押さえていたおかじは、萬三郎が立派になって帰ってきたという夢まで根底から引っ繰り返され、ショックのあまり亡くなってしまう。
おかじが亡くなったところで、幕である。
昭和初期が舞台だというのだけれど、そういう時代背景を判っていたら違う感想が浮かぶんだろうか。
ちらしには「人間の欲と業を赤裸々に骨太に描いた」と書いてあったけれど、少なくとも「おとり」がそれほどの悪女には見えなかったし、彼女が悪女に見えないと、金を持つ彼女にすり寄る男や女の方がよほど欲深に見える。
最後に、おかじを死なせてしまうというのもあんまりな気がする。
もっともっと「悪」や「欲」や「業」を見せてくれなくちゃ、という気がした。
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