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2014.12.14

「ショーシャンクの空に」を見る

ロンドン版「ショーシャンクの空に」
原作 スティーヴン・キング「刑務所のリタ・ヘイワース」
脚本 オーウェン・オニール/デイヴ・ジョーンズ
演出 白井晃
出演 佐々木蔵之介/國村隼/三浦涼介
    谷田歩/小林勝也/板尾創路 ほか
観劇日 2014年12月13日(土曜日)午後1時開演
劇場 シアタークリエ 16列5番
上演時間 2時間50分(20分の休憩あり)
料金 9800円

 ロビーでは、パンフレット(1800円、だったような気がする)などが販売されていた。
 ネタバレありの感想は以下に。

 東宝の公式Webサイト内、「ショーシャンクの空に」 のページはこちら。

 昨年11月に続いて2回目の「ショーシャンクの空に」舞台版を見た。相変わらず、映画は見ていない。
 「ロンドン版」と銘打たれていて、昨年見た「ショーシャンクの空に」とは大分違う。印象としては、こちらの方が端正だろうか。あまり仕掛けをせずに、ストレートに押してきたという感じだ。
 舞台の奥にミュージシャンがいて音楽を奏で、ときには檻の鉄格子を叩いてクラッピングのように俳優達も音楽に参加する。そこが、いわば「一番舞台っぽい」ところだったような気がする。

 鉄格子や図書室の本棚、所長室のデスク等々、セットには滑車がついていて、シーンごとに入れ替わり立ち替わりセットされる。
 舞台奥にキャットウォークが据え付けられていて、そこから見下ろす感じがかなり冷徹な感じだ。

 昨年見たときは、「アンディはえん罪じゃないんじゃないの?」というとんでもない感想を抱いたのだけれど、今回は不思議とそういう風には思わなかった。
 佐々木蔵之介演じるアンディは、正しくえん罪のためにショーシャンクに送られて来たのだと素直に信じられた。この心持ちの違いがどこから生まれたのか、自分でもよく判らない。
 狂言回しは國村隼演じる調達屋のレッドで、彼の目に映ったアンディが語られる。それはリアルタイムの語りではない。多分、ずっと過去形で語られていたと思う。
 そして、レッドの目に映ったアンディしか見られないので(実際にはレッドが見ていなかった、板尾創路演じる刑務所長とのやりとりなんかも演じられている訳だけれど)、アンディの内心といったものは徹頭徹尾判らない。
 アンディは要するに、「友人だ」と手紙を書くレッドにさえ、自分の心情のようなものは全く語らなかったということなんだろう。

 自分の妻とその不倫相手を殺したという無実の罪でショーシャンク刑務所に送られてきたアンディは、谷田歩演じるボグスらの暴行を受け、ボロボロにされながら、静かに抵抗の日々を送っている。それはやはり受容ではなく抵抗に見える。
 でも、抵抗は「やられない」と同義ではなく、抵抗しているからこそ目の敵にされ、さらに暴行はエスカレートして行っているようだ。
 一方、何を考えているかはよく判らないのだけれど、図書室の本を増やしたいと州議会に週3回(2回だったかも)予算をつけるよう求める手紙を書き続けている。何故「送り続けている」ではないかというと、所長に握りつぶされているからだ。
 それでも、アンディはしつこく書き続ける。

 看守が遺産を相続するけど相続税が高すぎるとボヤいているのを聞いたアンディは、節税の可能性があると説き(これまた、毎日酷い目に遭わされている看守に親切な申し出をする理由がよく判らないのだけれど)、その手続きの礼に屋上で一緒に作業していた仲間全員にビールを奢るように求める。
 看守は取引に応じ、アンディは「図書室の予算を増やして欲しい」という手紙を書く仲間と、刑務所長の節税やら脱税やら刑務所の事業の経理を手伝うという仕事を手に入れる。
 どこまで計算で、どこまで結果なのか、判らないところが不気味なのだ。

 アンディは、眼鏡をかけるような年齢になっても(年齢を重ねたことを眼鏡で表すのは昨年の舞台と共通していたので、これは映画がそうなんだろうなと思った)、静かに抵抗し、刑務所の裏帳簿作成に手を貸している。
 図書室を居場所とするようになったアンディに、小林勝也演じる「図書館」を始めたブルックシーとの交流が生まれ、三浦涼介演じる刑務所に入ってきたばかりのトミーに勉強を教える。
 しかし、ブルックシーは、仮釈放の日に「35年もここで暮らして来たのにどうすればいいんだ」と演説し、レッド曰く「仮釈放が取り消される」ことを願ったけれども所長がそんな願いを聞き届ける筈もなく、トミーから自分の妻たちを殺した男の話を聞いて所長に再審請求を申し出るが拒否され、トミーが彼らに殺されたことを知る。

 トミーの死と自身の再審請求の道が閉ざされたことと、その両方の事実に、アンディはまた刑務所にやってきたばかりのときのようなすべてを閉ざしたような風情に戻ってしまう。
 そして、レッドに再び、偽名で多額の現金があるという話をし、その貸金庫の鍵のありかを伝え、「もし刑務所を出られたらなんて話をするな」と珍しく激高したレッドに対して、「その場所に行くと約束してくれ」と繰り返す。
 意味ありげ過ぎる。

 そして、アンディは脱獄する。
 刑務所に収監されたばかりの頃、レッドに「鉱物採集の趣味を続けたいから」と頼んだロックハンマーを用い、レッドが「アンディの妻と似ている」と評したリタ・ヘイワースという女優のポスターで隠し、ずっと脱獄のための穴を掘っていたらしい。
 そして、そこが判らない。
 アンディはずっとこの穴を掘り続けていたのか。掘り終わったけど脱獄してなかっただけなのか。最初から脱獄するつもりだったのか。その気持ちは途切れなく続いていたのか。
 そこが語られることはない。
 ただ、アンディの脱獄をきっかけとして、刑務所長や看守が罪に問われ獄に繋がれたことが語られるのみだ。

 そして、雨に打たれるアンディがスポットに浮かび上がる。
 多分、穴を開け、下水道を通り、やっと地上に出たアンディだ。

 レッドは、仮釈放になった後、アンディが語っていた「貸金庫の鍵の隠し場所」を訪れる。
 そこは、随分とショーシャンクから遠いところのようだ。
 そして、目印の石の下にアンディからの手紙を見つける。そこには、自分を友人と呼び、この手紙を読んでもらっていることを喜び、自分を必要だと綴る、アンディがいる。
 手紙を読みながらレッドは感極まったように涙を浮かべる。
 仮釈放中のレッドが国境を越えてメキシコまで行くのは相当に大変だし危険な筈だけれど、レッドの気持ちは決まっている。

 そうして、無事に国境を越えたらしいレッドとアンディが再び相まみえたところで、幕である。

 男優しか出演していないからとか、舞台はほとんどずっと刑務所で華やかな場所になりようがないとか、そういう外側的なところももちろんあるとは思うのだけれど、それより何より、やはり骨太なストーリーだし、演劇だし、作品だよなと思ったのだった。
 結末はもちろん覚えていたけれど、全く退屈することはなかったし、まるで違う作品を見ているようでもあった。
 アンディの佐々木蔵之介とレッドの國村隼、どちらも本当にはまり役だった。

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