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「PLUTO」
原作 浦沢直樹×手塚治虫
演出・振付 シディ・ラルビ・シェルカウイ
出演 森山未來/永作博美/柄本明/吉見一豊
松重豊/寺脇康文/上月一臣/原田みのる
池島優/大宮大奨/渋谷亘宏/鈴木竜/AYUMI 他
観劇日 2015年1月16日(金曜日)午後7時開演
劇場 シアターコクーン 1階D列20番
上演時間 2時間55分(15分の休憩あり)
料金 10500円
ロビーではパンフレット(1800円、だったと思う)や、原作漫画(書店では入手しにくいとアナウンスされていた)等が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
何だか不思議な感じの舞台だったと思う。
舞台の前(というか、客席部分にはみ出すように)ロボットのなれの果てというか、ガラクタが積まれている。
舞台の手前中央に漫画のコマ割りのようなスクリーンというか薄いブロックが積まれ、そこに、原作漫画が映し出されて始まる。
映像はかなり多用されていると思うのだけれど、映し出されているものは、ほぼ全て原作漫画のコマだったと思う。
主人公(じゃないかと私は思ったのだけれど、どうだろう)の寺脇康文演じるゲジヒトはドイツの刑事ロボットだ。
第39次中央アジア紛争の終結後に現地に入ったボラー調査団を構成する「世界最高峰の」七体のロボットや、ロボット法学者らが次々と襲われたことから、残った二体であるゲジヒトや森山未來演じる日本のアトムが、その真相に迫って行く、という物語である。
と思うのだけれど、正直に言うとよく判らなかった。
多分、劇中で多用される「憎しみ」ということがテーマの一つになっていて、柄本明演じる天馬博士の「完璧なロボットは完璧ではない」だったり「完璧な人工知能は失敗する、つまり人間そのものだ」というような考え方とか、史上唯一人間を殺したロボットはしかし壊れていた訳でもなければ人工知能の故障でもなかったとか、あたかも「憎しみという感情を理解出来るかどうかが、人間とロボットとの分水嶺だ」と言いたいかのようにも見える。
「ロボットはロボットを殺せない筈だ、しかし、ロボットがロボットを殺し、人間を殺している。そこには憎しみという感情があった筈だ」というのが、ゲジヒトの推理の出発点だ。
ただ、多分、原作漫画を読んでも私には判らないだろうなという感じはした。
「トーマの心臓」を見たときにも思ったのだけれど、舞台化したからどうこうということではなく、原作漫画を読んだとしてもこの物語のテーマ、求めるところは私には判らないだろうという気がする。
永作博美演じるウランが最初にサハドを助けたからこそ、アトムはサハドに壊されてしまうのだけれど、しかし、天馬博士が再生したアトムを最後の最後に助けたのは「ウランに助けられたからアトムを助ける」と言ったサハドだったり、判りやすくするための仕掛けがあちこちに施されてはいるのだけれど、でも、やっぱり判らなかった、ような気がする。
けれど、その判らなさは不快な判らなさではない。
ロボット(森山未來演じるアトムや、永作博美が演じるゲジヒトの妻のヘレナやアトムの妹のウラン、寺脇康文演じるゲジヒト)らが動くときに、ときどき、彼らを操っているかのように動くアンサンブルの美しさ、コマ割りだったセットが様々に形を変えてテーブルになったり壁になったり電話ボックスになったりするのだけれどそのセットを動かす様子、そういった「ロボットを動かす様子を見せるアンサンブルの、人間的な動きの美しさ」という何だか相矛盾するものがたくさん散りばめられていて、動きの美しさ、チリチリと風鈴のような音が聞こえてきそうなその動きの様子に見ほれるも良し、人間が作り出す美しさがロボットを演じている役者を助けているという不思議さを考え出すと、何だか余計に混乱するような、何となく判って来るような、そんな感じがする。
ロボットらしさと言えば、多分わざとだったと思うのだけれど(この芝居に関しては「多分」としか言いようのないことばかりなのだけれど)、マイクを使った音声を、わざと「機械を通している」ような音にしていたように思う。
普通なら、マイクを通しても「音」ではなく「声」が聞こえるように調整すると思うのだけれど、この舞台については、特に「音」であることを強調しているように感じた。多分、それはロボットらしさを感じさせるための方法の一つだったのではないかと思う。
アンサンブルの身体能力というのか、体を自在に操っている感じが凄くて、それは人間を象徴しているのと同時にロボットを動かしたり、アトムを飛ばしたり、彼らを闘わせたりしているのだけれど、そこに混じって、全く遜色なく動けてしまう森山未來ってもの凄く凄いんじゃなかろうか、と思う。
このアトムは空も飛んだし、ロボットにはね飛ばされてもすぐにまたロボットに立ち向かったし、壊れてしまったし、生き返った。
それが、演技とかテクニックとかではなく、体で伝えてしまう(いや、それが演技なのか?)というのが恐いくらいだった。
永作博美が、そのアトムの妹のウランと、ゲジヒトの妻であるヘレナと、大人と子供の2役を演じて全く違和感がないのも恐ろしいし、ウランの彼女が天馬博士に「憎しみなんかない、悲しんでいるだけじゃない。判るよ」というシーンも、ヘレナが天馬博士に「こういうとき人間はどうするんでしょう」と聞いて「泣くんです、何の解決にもなりませんけどね」と言われて、泣く真似をし、そして慟哭が始まるシーンも、何だか両方とも「悲しみ」とロボットとの繋がりを全く違うアプローチで見せていて秀逸だったと思う。
こう書いてくると、この芝居の肝は、憎しみという感情を手に入れたアトムでもなければ、実はかつて人を殺したことのあったゲジヒトでもなく、柄本明演じる天馬博士とブラウ1589というロボットにあったような気がする。
天馬博士は、完璧ではない人工知能こそが完全な人工知能でありそれは人間に近いと思っていて、だから、割と完璧なよい子にできあがった「アトム」を拒否しているように見える。天馬博士が作りたかったのは、完璧なロボットではなくトビオだからだ。
そして、憎しみまでも理解し、史上初めて人間を殺して幽閉状態にあるブラウ1589というロボット(の声)を同じく柄本明が演じていることに、何だかそれこそ憎しみを感じるような気がするのは気のせいなんだろうか。
この天馬博士は、七体のロボットを殺しているサハド(プルートー)というロボットを操っているアブラーという人物に会い、「自分は脳以外は全てロボットだ」と思っているアブラーに、「おまえはロボットだ」と告げたり、何故だか全てを知っているかのように八面六臂の活躍を見せる。
ブラウ1589だって、ずっと幽閉されていたくせに、捜査のヒントをゲジヒトに与えたり、アトムに「頼みたいことがある」と言われただけで、その内容を全て理解したり、ご都合主義といえばご都合主義なんだけれど、そこをご都合主義ではなく感じさせるところが、原作の力であり、演出の力なんだろうと思う。
七体のロボットを壊し、世界を手に入れようとしていた合衆国大統領も、その合衆国大統領を実は操って「ロボットの世界」を作り上げようとしていた電子頭脳のルーズベルトも、ブラウ1589によって殺され、壊される。
アトムは、ルーズベルトが仕掛けた、火山の大噴火を止めるべくマグマの源に行き、しかし、サハドに助けられて脱出する。
うーん。やっぱり判らなかった。
でも、判らなくってもいいような気がする。
3時間があっという間の舞台だった。
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コメント
アンソニー様、コメントいただき、そしてご心配いただきありがとうございます。
何とか微熱も下がりまして、出勤しております。
エッグをご覧になったのですね。
初演はご覧になっていますか? 初めてのときと、二度目以降のときと、感想が変わるお芝居かと思いますがいかがだったでしょう。
私も今回の再演も見に行く予定です。
体調管理に気をつけたいと思います。
またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2015.02.05 23:17
こんにちは、姫林檎様。
体調は良くなりましたか?
ご自愛なさってくださいね。
本日私はエッグ観劇した帰りです。
姫林檎様も行かれますよね?
感想楽しみにしてますね!
投稿: アンソニー | 2015.02.05 21:30
アンソニー様、コメントありがとうございます。
実は、少々体調を崩しまして、今日、行く筈だった「ハムレット」を見に行けず、ショックを受けております(泣)。
「なんだかそれでいい」という感じ、よく判ります。
アンサンブルの一糸乱れぬ優雅な動きが凄かったですよね。多分、もの凄い力業も繰り広げられていたと思うのですが、でも見た目はあくまでも優雅。美しかったです。
またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2015.01.31 22:49
お久しぶりです、姫林檎様お元気ですか?
一応昔に原作読んでますがあまり覚えてなく思い入れもないのですがそれくらいで観て丁度良かったような気がしました。
原作の独特な世界感が舞台の演出でうまく表現されていたような気がします。アンサンブルの動きには見とれてしまいましたね~ 森山未来さんも素晴らしかったです。
なんだかそれでいいと思った舞台でした。観れて良かったです。
投稿: アンソニー | 2015.01.30 13:23