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2015.03.07

「ルーヴル美術館展」に行く

 先日、国立新美術館で2015年6月1日まで開催されているルーヴル美術館展に行って来た。
 春休みに入ったり会期終盤になったりしたら混雑するだろうと、金曜の17時半過ぎに到着するよう行ったらこれが正解でかなりガラガラだった。金曜は20時まで開館しているのが有り難い。
 間違いなく一番人気だろうフェルメールの「天文学者」も一番前でゆっくり見ることができた。

 サブタイトルとして「日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」とあるだけあって、本当に「日常を描いた」作品ばかりである。
 逆に言うと、実は馴染みのない画家、馴染みのない絵が多い。少なくとも、私にとってはそうだった。
 音声ガイドを借りれば良かったのだけれど、最初から「私の目的はフェルメール」と決めていたこともあって、出展リストと、「ルーヴル美術館展 ジュニアガイド」、たまに絵の横に貼られている説明のプレートを頼りに見始めた。

 いきなり古代エジプトから始まったのには驚いたけれど、「古代エジプトでスケッチのために用いられたオストラコン(石灰岩の剥片、陶片)には、何気ない日常の一コマの、みずみずしい描写を見ることもできます。」というのが、そのコンセプトらしい。
 本当に日常か? と思わなくもないけれど、王侯貴族でもない人の、特別ではない情景が描かれていれば、デフォルメされていようが理想化されていようが、単なるイメージだろうが、それは「日常」だし「風俗画」であるということなのかなぁと思う。

 「風俗画」と言われると、16世から18世紀にかけてのオランダ絵画というイメージが私には強い。
 浮世絵もそうかなと思うけれど、とりあえず、話はヨーロッパ絵画に絞る。
 確かに市民社会が発達していたオランダで主流を占めてはいたようだけれど、「風俗画」という名称が付けられてジャンルとして確立されたのは、18世紀後半から19世紀にかけてのことらしい。
 それでも、出展された作品は16世紀や17世紀の作品が多かったと思う。

 「プロローグⅡ 絵画のジャンル」では、当時「格が高い順」とされていた、歴史画、肖像画、風景画、静物画、そして名前も付けて貰えていなかった「風俗画」が1点ずつ飾られている。
 どうぞ見比べてくださいということだ。
 風景画や静物画が小さかったのは、その「格」に見合ってということなのか、たまたまなのか、ちょっと気になった。ちなみに、風俗画は、これら二つよりも大きい。

 「1章 「労働と日々」—商人、働く人々、農民」では、文字通り、働く人達の絵が並んでいる。
 この時点で結構面板のだけれど、ジュニアガイドにも載っていた「両替商とその妻」もそうだったけれど、何故だかやけにツルンとした絵が多い。
 ピカピカてかてかしていると言えばいいだろうか。当時の流行りだったのか、風俗画に限ったことなのか、よく判らない。

 ここで気になったのはミレーの「箕をふるう男」という絵だ。
 我が家に子供用のミレーの伝記本が何故かその1冊だけあって、それを読んでいたので、割とミレーに勝手に親近感を持っている。そういうこともあって、ジャン・フランソワ・ミレーと言われるとじーっと見てしまう。
 それは、地味な絵だ。
 大きさも小さい。
 「箕をふるう」というのは、脱穀などで不要な小片を吹き飛ばすことを言うようで、腰だめにして振り回しているその男の体制はなかなか不安定に見えて、つい、同じポーズを絵の前で取ってしまった。
 でも、そういうことをしたくなる絵だったのだ。

 「2章 日常生活の寓意―風俗描写を超えて」では、何故か「人目を集めて、そのスキにスリをしてやろうとしている」様子を描いた絵が目に付いた。
 説明のプレートがわざわざあったからかも知れないけれど、やけに印象に残っている。
 言い方はどうかと思うけれど、そこに描かれている人全員が「下卑た」感じの顔に描かれているのだ。
 この絵は一体どこに飾られたんだろう、どういう人が「我が家に飾ろう」と思うんだろうとちょっと考えてしまった。

 ヨハネス・フェルメールの「天文学者」は、このジャンルに含まれていた。
 やはり、フェルメールの絵は、壁がブルーの展示室に飾られている。
 ここだけ人だかりができていて、専属のスタッフが見守っている。人気が高いのだ。

 天文学者は、「地理学者」とペアで注文されたのではないかと言われているということだけれど、そうかなぁと思う。
 ペアで注文されて並べて飾ろうというのなら、学者さんたちが向かい合うように描くんじゃないかと思うからだ。
 でも、一方で、フェルメールの絵というのは大体光が画面の左から射しているから、そこは変えたくない(多分、個人的な)理由があったのかも知れないとも思う。

 「天文学者」は、ところで、ぼんやりした絵だと思う。チケットやちらしに印刷された絵の方がよほどくっきりはっきりしている。
 本物の絵は、どこかぼんやりと紗がかかったようなというか、「洗浄した方がいいのでは?」と言いたくなるくらいセピアカラーの淡彩の中に沈んでいる。
 大体、天文学者自身、その顔のほとんどは見せていないのだけれど、それにしたってぼんやりとして表情を伺わせない。
 プレートによると、この天文学者にこの絵の焦点は合っていないそうだ。それなら何に合っているのよとじーっと見てみたところ、私の結論は、天球儀の下手前に描かれた円盤のようなものに合っているんじゃないかということに落ち着いた。

 窓辺から射してくる光が弱い、明るく照らされている筈の部分も浮き上がってこない。主役であるはずの天文学者はぼんやりとした薄暗がりの中に沈んでいる。
 そういう、地味で不思議な絵だった。

 「3章 雅なる情景―日常生活における恋愛遊戯」とはいうものの、雅ですか? という感じの絵が多かったような気がする。
 道徳的暗示が込められているということだったけれど、それはつまり警鐘を鳴らそうとしているということで、だとすると優雅だったり雅だったり「いいもの」として描かれる筈もなかろうと思うのだ。
 実際、特に幸せそうな絵はない。
 「恋愛遊戯」であって「恋愛」ではないということなのかも知れない。

 「4章 日常生活における自然—田園的・牧歌的風景と風俗的情景」では、狩りの絵が多かった。16世紀から18世紀にかけて、狩りは日常だったんだなぁと思う。
 貴族の遊びとしての狩りではなく、生活の糧としての狩りなんだろうか。それにしては、派手な感じがしなくもない。どちらも「日常」という扱いだとすると、「日常」って何て広いんだろうと思う。

 「5章 室内の女性―日常生活における女性」は、鏡を前に身繕いをする女たちの絵が多かった。
 でも、私がこの中でスキだったのは、「コローのアトリエ」という絵だ。アトリエで、後ろ姿を見せて座っている女性は、画家ではなく、多分、画家の家族なんだろうと思う。あるいは、恋人なのかも知れない。
 その後ろ姿と髪を飾る赤いリボンが何だかいい感じで、万が一、私が絵に描いて貰えるならこういう風に描いて欲しいなぁと勝手なことを思ってしまった。

 このコローの絵をかすがいにして、「6章 アトリエの芸術家」に続く。
 ただし、こちらに描かれているのは画家自身だ。
 中でも、ルーブル美術館の改修計画なのか、理想の美術館内部なのか、そういったものを描いた「ルーヴル宮グランド・ギャラリーの改修計画、1798年頃」が何だか楽しかった。その絵に、模写をする人々などが描き込まれているのがいい。

 正直に言って地味な美術展だと思うけれど、その分、ゆっくりじっくり見られてなかなか楽しかった。

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