« 「ひとり、独りの遊戯」の抽選予約に申し込む | トップページ | 「ポンコツ大学探険部」 のチケットを予約する »

2015.04.19

「ベターハーフ」を見る

「ベターハーフ」
作・演出 鴻上尚史
出演 風間俊介/真野恵里菜/中村中/片桐仁
観劇日 2015年4月18日(土曜日)午後6時開演
劇場 本多劇場 F列2番
料金 7800円
上演時間 2時間5分

 ロビーではパンフレットや鴻上尚史の著作本、サードステージや第三舞台のDVDなどが販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 「ベターハーフ」の公式Webサイトはこちら。

 開演前、女性用トイレの行列がこれまで見たことがないくらいに長くて驚いた。でも、客席に入ってしまえば、いつもよりも男性客が目立つような感じがする。
 不思議な客席だ。
 さて、この客席にいる人たちは、一体誰が目当てで来ているのだろうと思う。

 開演から音楽が流されている。何曲かをリピートしていた感じだ。その中に、多分、ハッシャ・バイで使われた音楽が含まれていて、「いざ、開演」というときにその曲が流れてちょっと嬉しかった。暗闇で聴く音楽というのは、さらに耳に親しく感じるものである。
 この芝居は、第三舞台のお芝居へのオマージュだったのかも知れない。

 登場人物は4人、一言で言ってしまえば、彼らの狭い世界でどこまでもぐるぐる回る恋愛模様が描かれている。
 大体、出会い系で知り合った女性に風間俊介演じる部下の諏訪の写真を送ってしまい、片桐仁演じるオキヤマ(という名前だったか自信がない)は、諏訪に自分の代わりに彼女に会いに行くよう頼んで強要する。
 一方、中村中演じる汀も自分がトランスジェンダーであることを気にして(ということだと思うが、そういえば、そこの理由は劇中では特に明示されていなかった気がする)、知り合ったばかりの真野恵里菜演じるハルナ(だったか、ハルカだったか)に代わりに行ってもらう。

 オキヤマはハルナに一目惚れし、汀は諏訪に「思ったとおりの人」と恋をし、諏訪とハルナも何となくいい雰囲気という、訳の判らない四角関係が勃発する。
 そして、もちろんこの四角関係はこの先、二転三転してひっくり返り、あちこちに寄り道をする。
 先は全く読めない。
 なのに、何故か「一体この4人はどうなるのだろう」とドキドキしたり、食い入るように舞台を見たりということにならない。

 それは何故なんだろうと考える。
 冒頭のロボットのような動きのダンスで客席を巻き込み、さらに、「ラウンジでピアノを弾いてたまに歌っている」という設定の中村中の歌でダメ押しをする。
 舞台での彼女は何回か見ているのだけれど、とにかく上手い。大概が歌手の役で出演していて、その歌声が舞台のキーになっていて、今回ももちろんそのパターンである。それくらい、「力」のあり過ぎる歌であり、歌声なのだ。
 ともかく、掴みはバッチリの筈である。

 もの凄く失礼なことを言うと、多分、理由の一つは「諏訪がイケメン」という設定にあったような気がする。
 NHKの連続テレビ小説「純と愛」の頃から思っていたのだけれど、私にとって風間俊介は「イケメン」というよりは、「純朴な若者」というイメージが強い顔立ちなのだ。
 それが、「イケメンで仕事がデキる若者」の役だったので、まずそこで気持ち的にコケてしまった。
 さらに言うと、私は「役者は声」と思っているのだけれど、最初の独白のシーンで、風間俊介の声が良すぎると思った。案の定、他の役者さんたちが登場すると、彼の声が突出してしまう。バランスが悪く感じられてしまう。

 そんなことをつらつらと考えていたのだけれど、つまるところ、「恋愛なんて何でもあり」だからじゃないか、と思えた。
 世の中、どんな恋愛だってあるし、どんな結末だってあり得る。他人の恋愛に口を出しても仕方がないし、他人の恋愛にケチをつけても仕方がない。
 どんな展開もあり得るのであれば、どんな結末でも構わないということになりはしないか。
 極端なことを言えば、友人の恋愛話を聞いていても特に楽しくないのと同じである。

 この4人も、諏訪とハルナがくっつき、オキヤマと汀がくっつき、しかし、それぞれの理由で別れ、諏訪と汀が2年も同棲し、オキヤマはハルナを援助し、「何もこんな狭いところでくっついたり離れたりを繰り返さなくてもいいだろう!」とツッコミたくなる展開の末、オキヤマと汀はそれぞれ恋の相手を見つけ、諏訪とハルナはとりあえず元の鞘に戻った風になったところで、歌手デビューした汀の「サン・トワ・マミー」の歌で終わる。
 ここで何故「サン・トワ・マミー」なのか、判らなかったのは私だけなんだろうか。

 恋に忙しい4人だけれど、それぞれ、転職したり、芸能界デビューに挫折したり、性転換手術を受けたり、仕事にのめりこんだり、包丁を持って自殺しようとしたり、キャンプに行ったり、母との関係に苦しんだり、生活もしている。
 諏訪など、「広告するのではなく、”空気を作る”ことで物を売るのが仕事」だと何度も繰り返すけれど、これなどはそれだけで舞台や映画や小説のテーマになりそうである。
 しかし、暗転し「**日後」とか「*ヶ月後」といったテロップを出し、その「生活」の部分は台詞で語られるだけなので、生活感がない。
 彼らの語る自分の話を聞いていると、それはかなり今の世相を映したものになっているように思うのだけれど、それが伝わって来ないのが何だか勿体ないような気がする。

 何だか辛口なことばかり書いてしまったけれど、でも、出演者4人、しかもその4人がどこまでも濃密な人間関係を繰り返す。人間関係というより、恋愛関係を繰り返す。言葉悪く言うと「とっかえひっかえ」なのだけれど、でも、それが恋愛というものだし、そういう恋愛をしていますけど何か文句あっか! みたいな勢いがある。
 鴻上尚史の恋愛ものだから、もちろん、セックスも正面から取り上げている。というか、舞台上で叫んでいる。それが嫌らしく聞こえないのは、演出の目指すところだし、役者さんたちの目指したところなんだろうと思う。

 鴻上尚史作品でいえば、「恋愛戯曲」に近いというか、「恋愛戯曲」に連なる舞台なんじゃないかなと思ったのだった。

|

« 「ひとり、独りの遊戯」の抽選予約に申し込む | トップページ | 「ポンコツ大学探険部」 のチケットを予約する »

*芝居」カテゴリの記事

*感想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「ベターハーフ」を見る:

« 「ひとり、独りの遊戯」の抽選予約に申し込む | トップページ | 「ポンコツ大学探険部」 のチケットを予約する »