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「ART」
作 ヤスミナ・レザ
演出 パトリス・ケルブラ
美術 エドゥアール・ローグ
出演 市村正親/平田満/益岡徹
観劇日 2015年5月9日(土曜日)午後5時開演
劇場 サンシャイン劇場 1階3列6番
料金 9200円
上演時間 1時間40分
ロビーではパンフレット等(値段はチェックしそびれた)が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
真っ白な舞台セットに黒の衣裳を着た市村正親が立ち、モノローグから舞台が始まる。
このセットは、登場する3人の男達の自宅という設定で、益岡徹演じるセルジュの家は本当に真っ白、市村正親演じるマークの家には窓から見える風景が描かれた絵が飾られ、平田満演じるイワンの家には別の絵が飾られている。その変化で「ここは誰の家」ということを表している。シンプルな舞台美術だ。
サイトには、この芝居の紹介としてこんな惹句が踊っていた。
*****
高価な白い絵をめぐって、価値観の違いから大親友が大ゲンカ!
怒鳴って取っ組み合って笑って笑って最後にはジーンとくる
男3人の友情物語が日本に帰ってくる!!
*****
これを読んでいたので、コメディだと思っていたし、もう死語かも知れないけれどハートウォーミングな舞台を想像していたら、とんでもない。そんなことはなかった。
事の起こりは、セルジュが真っ白な背景に斜めに細く白い線が引かれた「だけ」の絵を500万(貨幣単位はついていなかったけれど、円だろうかドルだろうか)で買ったことだ。
セルジュは、もともとギャラリー巡りが趣味の医者で、500万の絵を買う財力はある。前衛美術に傾倒していて、特にこの絵の作者のことは崇拝している。ポンピドーセンターに3枚の絵が収蔵されている画家が描いた絵なのだそうだ。
しかし、市村正親演じる設計技師の(だったと思う)マークにとっては、「ただの白い絵」に500万も出すセルジュは理解不能だ。美術についても理解できないし、それを買うセルジュのことも理解できない。
合理主義というのか、割りと常に上から目線のマークのそういう態度はセルジュを苛立たせる。
この二人の会話には、ときどき、それぞれのモノローグが挟み込まれ、とにかく反目が盛り上がって行く様子がひしひしと感じられる。
怖い。
とてもではないけれど、「高価な白い絵をめぐって、価値観の違いから大親友が大ゲンカ!」という惹句から想像するような陽性のケンカではない。
もう一人、15年来の友人である平田満演じるイワンは、マークから「セルジュが白いだけの絵を500万で買った」と聞かされ、「信じられないけれど、セルジュが嬉しいならそれでいい」と感想を述べる。
もちろん、マークはイワンのこの反応を喜ばない。どころか「それでいいのか!」と責める。
そうしてマークに言われてセルジュの家に行ったイワンは、白い絵を見せられ(というか見せてくれるように必死に誘導し)、「何かを感じるよ」と言ってしまう。
このイワンの八方美人といえばいいのか、争いをとことん避けようという気質が、3人の付き合いを15年間続けさせたとも言えるし、今回はそれが徒になったとも言える。
そうして、この二人、あの二人と、3人のうち二人ずつが会って話し、その話をもう一人にするということを繰り返して、話はどんどんややこしくなって行く。
ついには、3人で映画でも見ようとセルジュの家に集まったとき、イワンが映画の開始時間もとっくに過ぎている45分の遅刻をやらかしたことで、一気に3人の(というよりも、マークとセルジュの)緊張感が高まり、お互いの伴侶についての悪口まで含めて、言い争い(一部、とっくみあいになりかけ)が始まる。
言い争っているときにマークとセルジュはとことん陰険である。
「これまで言ってきたことと思っていたことが全く違う」ことが明らかになる。仕事を転々としているイワンに対してはどうやら二人ともこれまでも言いたいことを言ってきているようだけれど、マークとセルジュという関係になると、どうも遠慮なのか何なのか、思っていたけど言わなかったことがてんこ盛りだったらしい。
客席から笑いも漏れていたけれど、私は正直、何だかこの3人の関係がコワ過ぎて笑う気にはなれなかった。
「だから、もっと陽性のカラっとした笑いとケンカと友情の物語だと思っていたのに!」という気分である。
マークの「友人を啓蒙し自分にふさわしい人物に育てなければならない」と本気で言っている様子も滑稽だけれど、そのマークに応えて、白い絵とフェルトペンを示し「書けよ」と言うセルジュもちょっとおかしい。
その後のモノローグで「セルジュは白い絵よりもマークが大切だと示した」とイワンが解説していたけれど、そういうことなのか? と思う。
そこでマークが描いたのが、シュプールを描くスキーヤーだったのには笑ったけれど(しかも、描いた市村正親が上手いのだ)、しかし、それってどうなんだと思う。
イワンは、そうして一応の仲直りをした二人がこれから友情を建て直そうという今の状況を指して「お試し期間」と言ったことにショックを受けている。
そうモノローグで語るイワンに何だかもの凄く共感してしまう。
そうだよね、心は試すものじゃないよね、と思うのだ。
そこでイワンに共感したためなのか、その後、セルジュが「フェルトペンは消せるって知っていましたか? 僕は知っていた」と言ったときには、何故かそれほどのショックは受けなかった。
最大の見せ場をここで引っ繰り返すのか! というところだけれど、意外とショックはない。何しろ美術に素養がないので、スキーヤーの絵が描かれたときも、それが友情の証明だとは思わず「500万の絵に落書きなんて!」と思ったし、フェルトペンの絵が消されていくときも「いや、完全に消すことは不可能でしょ、フェルトペンなんだから。絵の価値は戻らないのでは」と思ったくらいだからだ。
そうして、マークのモノローグでこの芝居は幕を閉じる。
この芝居を見る前に勝手にこしらえていた「陽性」とか「濃密」とか「笑い」とか、そういうイメージが悉く外れていて、何だかちゃんと楽しめなかったのが残念である。
けれど、多分こういう思い込みがなかったら、陰険なやりとりも笑って見られたのかも知れないと思う。
勿体ないことをしてしまった。
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