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「夜想曲集」
原作 カズオ・イシグロ(原題「Nocturnes」)
脚本 長田育恵
演出 小川絵梨子
音楽 阿部海太郎
出演 東出昌大/安田成美/近藤芳正/中嶋しゅう
長谷川寧/渚あき/入来茉里
ミュージシャン 高橋ピエール/守屋拓之
観劇日 2015年5月16日(土曜日)午後6時開演
劇場 天王洲 銀河劇場 1階J列25番
料金 8500円
上演時間 1時間50分
ロビーでは、パンフレットや原作小説(短編集)、Tシャツなどの各種グッズが販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
原作がカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」がもの凄く良かったので、これも見てみたいと思ってチケットを取った。
こちらは長編ではなく、短編集のなかの3編を組み合わせてひとつの作品にしている。
原作の形も違うし、演出家も違うので、当たり前だけれど、随分と雰囲気の違う作品になっていたと思う。
舞台を立体に使って、両脇に階段、階段を上がったところにソファや椅子のコーナーがあり、その2つのコーナーをキャットウォークで繋いでいる。舞台中央にスペースがあり、左奥と右手前が少し高くなっている。
ほぼ白一色だったと思うのに、「白い」という感想を持った記憶がないのが不思議である。
時々、赤いカーテンがたらされたりしたからだろうか。
しかし、役者さん達の衣裳もほとんどがモノトーンで、でも「無機質」という感じもしない。不思議である。
最初は、ヴェネチアのカフェで東出昌大演じるヤン(本名より長い呼び名があるのだけれど、本人の名乗りを聞いても、他の人が呼んでいるところを聞いても、確信が持てなかった)はギター、コントラバスとともに演奏している。ギターとコントラバスはミュージシャンのお二方が本当に弾いていて、東出昌大はもちろんダミーである。
それで、失礼ながら、この「弾いている振り」があまりにもそれらしく見えなくてどうしても気になってしまった。「本物っぽさ」というものがどこから生まれるのか私にはよく判らないのだけれど、しかし、どう見ても「チェロ弾いてないよね」という感じなのだ。
音楽家(の卵か、なるのを諦めたか)という設定で、3本の短編を繋ぐのは東出昌大演じるヤンと安田成美演じるリンディの2人と、そして音楽なので、どうしてもそこは気になってしまった。
ヤンはポーランドの出身で、民主化する前に国を出て音楽家の道を歩き始めたらしい。
ポーランドにいた頃、自分の母親が大ファンだった、中島しゅう演じるトニー・ガードナーがカフェにやってきたのを見かけてつい声をかける。
トニーもなかなか好意的に応対している。トニーに対してこんなに真っ直ぐな崇拝の念を向けてくれる客はもうほとんどいないのかも知れない。
やってきたリンディは天真爛漫といえばいいのか、トニーが常に「他人様に対して無礼なことをしてはいかん」と言わなくてはならないキャラクターで、「気の利かない、プライドが高いけれど実直な青年」であるらしいヤンとはまた別の意味で「困った人」という印象だ。
トニーがゴンドラに乗り、リンディがいるホテルの部屋に向かってセレナーデを歌いたい、その伴奏者を探して欲しいと言われたヤンが立候補し、チェロをギターに持ち替えてお供する、というのが一編だ。
もう一編は、そのヤンがポーランドを出たばかりの頃らしい。カフェでチェロを弾いているところ、渚あき演じるエロイーズという女性に「間違った演奏をしている」「でも私が個人教授をすればまだ間に合う」と声をかけられる。ただひたすら「それは私たちの音楽ではない」と言われ続けることに反発していたが、あるとき、その「場所」に自分が近づいていることに気付く。
しかし、「どうしてエロイーズはチェロを弾かないのか」「バカンスに来ているとはいえ、どうしてチェロを持参していないのか」という彼の疑問に対する答えが「11歳のときから弾いていない」だったことで、ヤンは彼女の元を去ってしまう。
彼が戻ったとき、彼女は婚約者と結婚するためにアメリカに戻ろうとしているところだった、そういう一編である。
レッスンのとき、ヤンは白いシャツに黒いズボン、エロイーズは黒いブラウスとスカートだったけれど、アメリカに帰ろうというときだけ、グリーン系の服を着ていたのが印象的だ。
そういう意味では、ずっと「モノトーンではない」色の服を着ていたのは、近藤芳正演じるサックス奏者スティーブンのマネージャーだ。ベージュ系のパンツスーツに紫系のシャツを合わせている。
そのスティーブンは、マネージャーに「あなたの顔が普通過ぎるから、こんなに演奏がいいのに売れないんだ」「スティーブンの別れた妻であるヘレンの新しい夫からの資金援助を受け、”売れる”顔に整形してもらえ」と説得され、最初は全く話にもならないという態度だったが、ついには入院する。
手術後は高級ホテルの「セキュリティが万全な」フロアで療養することになり、その隣室に同じく整形手術を受けたばかり(それはつまりトニーと離婚したばかりということだ)のリンディがいた、という一編である。
この整形手術受けた直後の二人は、包帯で顔をぐるぐる巻きにして、目と口しか出していない。
全体としても白い服を着ている。
最初と最後にヴェネチア編が入って、間を他の2編が交互に埋めている感じ(実際はもう少し複雑だったような気もする)で、最初のシーンには赤いドレスで、その1年ごという設定で一人で訪れた(しかし連れがいることは示唆されている)ときは青いドレスを着ているリンディは、やはりこの舞台の主役という貫禄だ。
自分もリンディにももう一花咲かせたいと離婚を決め、その決意を伝えるためにセレナーデを歌うトニーも、そもそも「上に行く」野心を達成するために何もないところから這い上がり今も何もないけど上には来ているリンディ、才能があるのに何者でもない自分ではなく世間を恨めしく思っているスティーブンに、その音楽を理解し後押しを買って出るリンディ、トニーの歌うセレナーデに伴奏したヤンはエロイーズのレッスンを受けて果たしてその「場所」に行けたのか行くことを諦めてしまったのか、この舞台にいる間中、ヴェネチアのカフェでチェロを弾いている。
何というか、舞台を見ているときにはそれほど思わなかったのだけれど、何というか、音楽家の話ではあるけれど、こういう人々はどこにでもいるような気もしてくる。
何だか不思議な感じの舞台で、この世界が成立するかどうかは、とにかくリンディにかかっているという気がする。
才能は何もないけど野心だけはあって、その野心を実現させようという根性がある。そして、整形しても昔の顔には戻れないと知っていて、しかしトニーの心意気に打たれて(多分)整形手術を受けてまでがんばろうとしている。
もしかして、リンディは何をがんばろうとしているのか、自分で判っていないのかも知れないとも思う。
しかし、その言動はとにかく天真爛漫で思ったことを思ったとおりに言っているように聞こえるし、本人もそう言うけれど、しかし、多分「言っていないこと」はたくさんある。
そのリンディに説得力があるかどうかが勝負の分かれ目だ。
舞台を見終わって、原作小説も読んでみたいと思ったのだった。
ロビーで販売されていたけれど、うっかり買い忘れてしまったのがショックである。
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